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神に戻る道をゆく「悟り」の時代 悟りは意識の境地

神に戻る道をゆく誰しもが「悟り」を開く時代です。悟りを開くと人生はシンプルで、とても楽になります。

ブッダからのメッセージです。このブログを、自分の今のスタンスの確認にしていただければと思います。そこで「悟り」について実体験をもとにお伝えしていきたいと思います。

今回のメッセージは、「悟り」とは意識の境地だということです。

内側が広がっていく、真実の自分に戻る、宇宙そのものもの私に戻っていく、内側が自由そのものに達していくということが悟りに向かっていっていると言えるということです。

例えば、「現実を良くするため」となっていた場合、これはいくらスピリチュアルに捉えていたとしても、物質世界になるので、意識の境地や悟りに向かっている方向とは違っているのだと気付くことだということでした。

間接的にもたらされる物質的な方を求めているのか?

精神的な自由を本当は求めているのかを自分に聞いてみてください。何のために目覚めようとしているのかです。

境地のためではなく結局、物質のためになっていませんでしょうか?

プランターで野菜を育てているのですが、先日カラスに食べられてしまったのです。

このような時、みんさんはどう思いますか?

例えば、”危害を加えられた””カラスに食べられてしまった…最悪””被害”だと感じる方もいるのではないでしょうか。

その他に「取られたくない」といった執着を感じられるようなことです。

カラスに食べたれたことに気づいた瞬間、残念な気持ちにはなったのですが、その後このような感情になったのです。

「諸法無我」という言葉をご存知でしょうか。

「諸法無我」しょほうむが)を言葉の通り捉えると、「すべての事象や存在は無我である」「この世のものに我は無い」という意味となります。

諸法無我」はひとつのところに留まることはないという意味なのですが、これはすべての出来事に対して言えるのではないかと思います。

これは「諸行無常」と大きく関係していて、物事は変わり続け、それに合わせて他のものごとも変化していきます。

きっと誰もが、この世の全ての繋がりを見た時、物事を1つに定めることは出来ないのだと感じられるはずです。

なぜなら私達は食物を消化し、栄養を吸収して生きていますし、この栄養というのはタンパク質、脂質、炭水化物といったものですが、これらは植物もしくは動物から得ていますよね。

つまり、他の「いのち」から栄養をもらって私達は生きています。また私たちが食べている動物も生きていくために他の「いのち」から栄養を取っています。

例えばお刺身で考えてみましょう。

マグロはイワシなど他の小魚を食べますし、イワシは動物プランクトンを食べます。その動物プランクトンは植物プランクトンから栄養を取っています。

なので私達の体を作るタンパク質は遠い海の植物プランクトンから移り移りやってきたものといっていいでしょう。

また私達の体は毎日の新陳代謝でタンパク質はどんどん入れ替わっていきます。

古くなった細胞は肌の垢となったり、排出と一緒に体の外に流れていきます。

それらは下水と一緒に川に、海に流れていきます。そして、遙か海の底で、植物プランクトンの栄養になります。

なので、私達の体を作っているタンパク質などはこの地球という世界中を巡り続けています。

このように私達が生きている上で栄養という面でも「諸法無我」なのです。

自然環境と同じように、絶妙なバランスのうえに成り立っているのです。互いの関係の中で「生かされている」わけです。

「諸法無我」から見た時、「これは私のものだから」といった執着の無意味さを感じられませんでしょうか。

私たちの住むこの地球を、1つの大きな生命体として捉えてみるのです。

もちろんカラスに食べられたことは残念ではありますが、1つの側面からだけ見ていると、とても視野が狭くなってしまい、心にもゆとりを持つことが出来なくなってしまうことや、争いや敵・味方、悪・善といった二元論の世界を生きることになってしまうのです。

育てたのは確かに私かもしれませんが、大きな視点から見た時、私のものなのではなく全てのものであり、ゼロポイントに繋がるとこのように「この世のものに我は無い」という本質に気付けるようになる事や内側からの理解がやってくるのです。

そう思うと、「危害を加えられた」と気分が悪くなることや、「悪いことが起きた、何かのサインなのかな?」と不安になることもなくなるため、パッと執着を手放せるのです。

これは全てを受け入れれる人になりなさいということでも、分け与える人になりましょうと言ったことでも、理解ある人になることでも、正しいことが正しいといったものの見方をすることではなく、”ただそうである”といった事実を見る世界となります。

これがワンネスであり、ゼロポイントフィールドの領域で日常を送ることが増えてくると「悟り」のような感覚になります。

ゼロポイントフィールドを詳しくお話したブログがありますので、そちらも併せてご覧ください。

それはつまりカラスは私でもあり、巡り巡って私の命や全ての命に繋がっているということ。

「私」と「動物」、「自然」と「私」、「私」とは別の「神」といった分離意識だと別物だという認識から、境界線を自ら創っているのでゼロポイントフィールドから離れているです。

「これは私のもの」と思う世界は、取られたくない、奪われたくない、という思いが強くなります。

結果、その時心地よさは感じていないため、心がギスギスして疲れることになるのです。

ゼロポイントはフラットな状態、つまり本来あるべき姿を思い出させてくれるのです。

現代社会は個人主義が強まっていることもあり、両極の側面が現れています。あるがまま生きることを、自我やアイデンティティ(個人の価値観)に強い執着を持ってしまう人も増えているのも事実。

このような背景の中で、「諸法無我」は、私たちに過度な自己中心的な考えや行動から解放する手助けになることや、日常のストレスや悩み、対人関係の摩擦を和らげ、心の平穏を求める手助けとなるのではないでしょうか。

変化や出来事を個人的な「自分」の問題として捉えるのではなく、それらを宇宙や生命の大きな流れの中の一部として捉えてみると、心の平和への第一歩となるのではないでしょうか。

そうすると、すべての欲望・煩悩から解き放たれるのです。

実はこれが、縄文の時代生き方にも通ずるものがあるのです。

それは、「誰かの問題は、皆の問題として、みなが向き合い、個人の所有という概念がない」というものです。

例えば、私のカラスに食べられたのも、「そもそも開発などにより本来住んでいた山林や森林が減少したため、都市部で暮らせばエサに困ることはなく、悠々自適に暮らせるようになったからなのではないか?」といったことに目が向き、カラスが悪いわけではなく根本的な原因に気付くことが出来るので、私だけの問題ではなく、全ての問題だということを捉えることが出来るということなのです。

どこかの働きが滞れば、全体に影響を与え、別の場所がバランスをとろうとします。それは、この宇宙そのものであり、全ては繋がり成り立っている。

このようなことから分かるように「個」というものは、実体ではないのです。

この私は、私のものではなく「全」のもの。
同じく、あの人も、誰のものでもなく「全」。

そうすると、「我が我が」という分断はなくなり無我になるわけです。だからこそ、個々の尊厳も生まれる。

ですので、本来「あるがまま」になっていけば行くほど、自己中心的なわがままにはならないということです。

自分も、あの人も、あれもこれも、全の為には尊く大事な存在です。何かひとつでも欠ければ、この宇宙の構成は崩れ、真空に戻り消えてしまう。そこに落ちてる、ゴミひとつでさえです。全てはバランスを取り合っている。

縄文の時代は既に、このことを理解していたということです。

このように、目覚めが進んでいくと悟りの感覚が意識の中に入ってくるようになるため、本質に目が向くようになることや、視点が増えるので、カラスに食べられたとイライラすることや被害者意識などもなくなり、とても楽になります。

本来の望みである、意識の境地に向かわれたいのであれば、現実を変えるための目覚め外の世界ではなく、内なる世界に意識を向け、注意散漫になりやすい意識を、今に集中させる力を研ぎ澄まされることです。

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