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二十四時間不思議な話 〈夏・・・チベット不思議な話〉お話会

胸にぽっかり穴が開く
という言葉があるが、
 
先日ある神社を参拝した時に
その感覚があった。
 
本来は喪失感をあらわす言葉であるが、
筆者の場合は、体感としてぽっかり穴が開いていた。
 
(お祈りは目を瞑ってしていたものの)
上からみると、頭があって、
胸のところに何もなくて、
腹から下はある感覚だった。
 

考えることが習慣になっている人々の中にいると、
考える癖がつく。
 
不思議だなぁと思ってしばらくすると、
派生して別のことを考え始めた。
 
自分たちの身体の体感についてである。
 

仏教でも、仏教でなくとも、
今のこの身体は借りもので、
意識はこの身体に宿っているものだという考え方がある。
 
今まではそれだけのイメージしかなかったのだが、
付随して新しいことを考えた。
 

わたしたちの感じている「身体」の感覚、
あるいは「身体がある」感覚も、
 
全身に張り巡らされた触感の
小さな小さな一点一点の感覚をつなぎ合わせて、
全体として捉えて、
「身体」として捉えているのではないか。
 
身体中に張り巡らされた全ての感覚器官には、
全く同じ共通点がある。
「感じている側」の感覚である。
 
これがないと、
身体で痛いところと痛くないところがあった時、
痛いところが自分で、痛くないところが自分でないか、
痛くないところが自分で、痛いところが自分でないか、
主体の人格が分断されてしまう。
 

概念作用(思考)は、
複数の同じものをみると、
個々は別々でも、
ひっくるめて一つのイメージでみる性質がある。
 
イチゴのパックのようなものである。
個々のイチゴは別々でも、
一つの「イチゴ」というイメージで「イチゴのパック」という。
 

それと同じことが、
今ここで、
自分の身体体感で起こっているのではないか。
 

胸の部分が空っぽになった感覚を得たことで、
そこに思い至った。
 
意識と身体の関係は、
きっと昔から、沢山の人が興味を持ってきたのだろう。
 
だから、身体をもたない意識だけの存在、
幽霊や不思議な気の流れ、
 
または心をもたない身体だけの存在
なのに動くというゾンビにも、
 
怖がりながらも興味を持ち続けているのだろう。
 

何の変哲もない日常にも、
思いもかけない不思議が内在している。
 
気がつけば、
東西南北二十四時間
不思議な話なのかもしれない。
 

🌸 直子デチェン・ゆったりお話会
夏・・・チベット不思議な話
2023年7月22日(土) 15:30〜17:00 pm 参加費:3500円(ドリンク付き)
 
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先生方や、葬儀担当おじさんから、直接うかがったお話をシェアします
 
生きても、死んでも、心のある者は皆おなじ
幽霊が怖くなくなる秘訣もお話します

なるほど・チベットのことわざ
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お申込み先:チベットレストラン・タシデレ
    tibetrestaurant@tashidelek.jp  Tel: 03-6457-7255
 
【講師紹介】:直子デチェン         
1970年千葉県出身             
1999年初渡印
チベタン・ライブラリー講座履修      
2003年〜2016年             
ダラムサラ仏教論理大学聴講(全科目履修)   
 
ブログ https://note.com/dechenblog
のんびりインド生活、旅日記、仏教話をつらつら記す
龍樹著『中論』・仏護著『ブッダパーリタ(仏護註)』・月称著『顕句論』・ツォンカパ著『正理の海』翻訳  https://www.dechen.jp/ で公開

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