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口伝3日目:幸運

口伝3日目。
昼過ぎ1時35分に
戒律についてのお経は
4巻目に入った。

昨日のアナウンスでは、
戒律についてのお経は多いので
朝が30分早くなり、
午前中のセッションは
7時半から11時半まで。
昼休みは30分短く、終わりは30分長くなり、
午後のセッションは1時から5時半まで。

朝から夕方まで
先生はひたすら読み続けている。

今朝は会場に来る時から
じんわり味のある
幸せを感じていた。

カトマンズの街は
空気が良いとは言い難い。
スワヤンブナートも
聖地の山に木々が沢山生えているとはいえ
やや空気に澱がある。

身体が免疫力を発揮しようと頑張っているのを感じながら
法話会場へ歩いていく時、
五体満足とはありがたいことだなと
改めて思った。

自分は身体が強い方だと思う。
度胸も少しあるかもしれない。
そうしてネパールの下町を
道もうろ覚えのまま1人で歩いている。

身体が元気でなかったらこんな経験はできないと、
しみじみ思ったのだ。

会場についてから、
持参の朝ごはんを食べた。

ダラムサラを出る時に先生が下さった
パンとリンゴとチーズが
実はまだ残っていた。

リンゴはおそらく無農薬で
そのまま来年まで置いておいても多分腐らないリンゴ。
パンも手作りで、
乾燥した気候が良かったのか
乾いて半生のカンパンみたいになっていた。
チーズもカビたり腐ったりしない
あまり混ぜ物のないものなのだろう。

2日法話を受けて
頂けるものは頂こうという図々しさが
少し弱まったのか、
まずは先生から頂いたありがたい食べ物を消費しようという気持ちになった。

今日は席から少し離れた
ベンチの端っこで朝ごはんにしたのだが、

先生からもらった
乾きかけたパンを食べながら
美味しいなぁ
この法話会場で自分が1番の幸せ者かもしれないなぁ
と、何故か1人でジーンと感動していた。

先生優しいなぁ。
涙が出てくるなぁ。

食べ物をくれる人に動物は懐くけれど
筆者も動物に似ているのかもしれない。

優しいダラムサラの先生のことを
しみじみありがたがっていると、
横から朝日がさしているのに気がついた。

メインの法話会場のすぐ外。朝日がさしてきた。

立派な食卓や豪華な食事も
もちろん素敵だけれど、

愛情を注いでくれる人が用意してくれたシンプルな食事が
最も自分を育ててくれるような気がする。

これは多分、
母親の握ったおにぎりを
食べている時のような気持ちなのだろう。

パンの塊とリンゴとチーズは
思ったより体積があって
お腹がいっぱいになった。

質素に済ませるつもりが
しっかり朝ごはんになってしまった。

さて、
口伝は大河が滔々と流れるように
絶え間なく続く。
時々ゾゾゾゾという風の音が
先生の声に混じりながら続く。

読む声が速すぎて何をおっしゃっているのか分からないながら、
とにかく全てを受け取ろうと
皆耳をダンボにして
眠らないように頑張って聴いている。
こんな幸運はまたとない
と思って聴いている。

何を幸運と思うか、
何千人の参加者それぞれに
意味も、ありがたさも
受け取り方も違うだろう。

中には慣れぬネパール滞在に苦労している人々もいるだろうし、
お坊さん達は硬派が多そうだから
明るく軽やかな喜びの表現は
あまりしないかもしれない。

それでも皆、
自分達が幸運であると
知っているのがわかる。

読んでいる側も
聴いている側も
気合いが入っている。

ここで少し
前行法話を紹介する。

『父子合集経』(蔵漢大辞典の訳)の言葉を引用して
仏法聴聞時の心構えのお話があった。

①仏陀がこの世界に現れること自体が稀少で、
②現れて法を解かれたとしても、説かれた法が長く保持されることが稀少。
③教えが残っていても、それに対して信仰心を持つことも稀少。
④そして、信仰心をもって修行することができる人身を得ることも難しい。

なので、仏法に巡りあい、信仰の心を持つことができた者は、
諸仏の教えに智慧をもって向かい
善く精進しなさい。

という言葉。

先生の補足の説明として
②仏法を保持するというのは、お寺を建てたり仏像を造ったり、お坊さんがいて法要をしているだけのことではない。
正しく戒律を保ち、
仏法を学び、それを再々深く考え抜いて、納得した理由をもって教えに確信を持ち、それを修習(瞑想)して成就を得て、
教えの内容を正しく伝えることが必要なので、
「説かれた法が長く保持されることは稀少。」

③の信仰心は一般的な信仰心ではなく、
教えの内容を精査して確信を得た上で
「知って信仰心を得た」ことが必要になる。
智慧をともにした不退転の信仰心なので、
「信仰心を得ることも稀少。」

「善く精進しなさい」の
「善く」という言葉は、
「智慧をもって」という意味が含まれる。
「学び、考え、瞑想して得た智慧をもって
仏道修行に精進しなさい」
という意味で、
ここで不必要な補足を付け足せば

「精進」とは善を喜んですること。
嫌々努めることではない。

仏の説かれた教えと修行は、
嫌がっている者に強制的にさせるものではない。

絶対やらなきゃいけない訳じゃないけど
やるんだったらちゃんとやりなさい。

この自由さが
性に合ってるんだろうか。

今日の先生の最後の一言は
「まだ何枚か残っているけど、今日はこのくらいにしておこう。遠くから来てる人達が(遅くなったらどうしよう…と)ドキドキしてる。」

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