断片的な記憶からストーリーを立てることの意味とは
姉が中学に上がったくらいからだろうか。
姉は家でよくパニックを起こすようになっていった。
それをなだめる母、たまりかねず切れる父。
父親が平手で姉をはたいていた。
それを私は布団に包まって見て見ぬふりをするのであった。
ただただ時が過ぎるのを待つだけだった。
そうしたことがどのくらいの頻度であったのか、具体的な時期など、ぼんやりとしていてうまく思い出せないが、今でもこの記憶は重く心の奥に残っている。
当時の私はこのことを誰に話すこともなく、学校でも何事もないようにふるまっていた。なるべくこのことを考えないようにしていた。
自分がストレスに感じているとか、何かを我慢しているという自覚すらなかった。
小さいころから、もともと自分の感情を表に出すのが得意なタイプではなかったが、いよいよあの時に私は自分の感情にどこかで蓋をしてしまった。
臭いものにはフタをするに限る。
当時の私は、自分が嫌なことやムカついたこと、悲しいこと、それらに目を向けることを避けていたのだろう。
「その場が穏やかであること」が私にとって最優先であって、自分の感情は二の次、三の次に置かれた。
それと同時に、自分は何が好きなのか、何をしていると嬉しいのか、楽しいのかといった感情を感知する力も弱くなってしまった、のかもしれない。
私が小学生の高学年から高校にかけての我が家での出来事が、今の私にどんな影響を与えているのだろうか、このように言葉にし、ストーリー仕立てにしてみることで、見えてくるものがある。
こうした見立てが本当に正しいのかは分からない。あくまで過去の語り口の一つにすぎない。
けれどあえて語るのは、まず「そういう自分」を位置付けることで、「これからの自分」の行動のきっかけにしたいからだ。
「感情を抑え込みがち私」や「周りの空気を読み過ぎる私」を想定することではじめて、「もっと自分が感じてることに気にしてみよう」とか「今回はあえて自分のやりたいことを主張してみよう」といったアクションにつながるのではないか。
その結果、気持ちが楽になるかもしれないし、ならないかもしれない。
うまくいかなければ、また次を考えていけばよい。試してみて、いまより自然な自分を発見できたならラッキーではないか。
何歳になっても、人は変わり得る。時間はかかるかもしれないけれど。
本を読むことで、旅をすることで、だれかと出会うことで、人は変わっていく。
一人ひとりが自分だけの「好き」を大切にしていく時代に、周回遅れかもしれないけれど、私も歩みを進めている。