自己紹介|ASD当事者3女(次女ASD)の母|ただ一緒にいたいだけなのに
初めまして、ASD当事者のガリ種と申します。家族構成は、夫、三姉妹(次女はASD)の5人家族。小さい時から自分の特性に苛まれてきました。ASDと診断を受けたのは、3人の子供を産んでから。それから、どんどん家族がうまく機能しなくなっていきました。
夫婦として、家族として、恋人として、友達として、地域の一員として――ただみんなと一緒にいたいだけなのに、どうしてこんなにもすれ違ってしまうのでしょう。
思いは、ASD当事者も、その周りの人も同じはず。それなのに、なぜか互いの気持ちが届かない。
お互いを思いやってのコミュニケーションさえ、いつか限界を迎えてしまう。
もう、どうすればいいのかわからない。しんどい。頭の中がいっぱいいっぱいで、何をしてもうまくいかない。
どう感じればいいのか、どう動けばいいのか、どう考えればいいのか――。
いま、自分の周りで起きていることすべての理由がわからなくなってしまう。
「誰か助けて」「誰か説明して、教えて!」
心の中で、あるいは声に出して叫んでも、誰も答えを教えてはくれない。
もう、自分で考える余裕すらない……。
ガリ種も昔はこんな心境に追い込まれていました。目の前の相手と話し合うものの話が通じない、誰かに相談してみても返ってくる答えを受け入れることができない。最後には神頼み。何も変化はなかったし、辛い日々。それでも、周りのみんなと一緒にいたい、という思いで、数年間歩んできました。
まだ、試行錯誤中ですが日々を楽に過ごせていると感じています。
答えのない世界、非力ながら、ひとつの例として、ガリ種が日々心がけていることをお伝えし誰かの気持ちを楽にできたらいいなと思っています。
こんなふうに考え、こんな視点で物事を見るようにして、人間関係を少しずつ整えてきたということ。
相手の気持ちや考えを少しでも理解し、許し合い、愛し合える――そんな、不安の少ない世界。
そんな世界の作り方を、想像したい。
たとえば、
「相手は本当はこう思っているのかな?」
「こう考えているから、あの発言や行動につながったのかな?」
そんなふうに日常の一コマを切り取ってみると、見えるものが少しずつ変わってくるかもしれません。
ASDのガリ種と、その周りの人々とのコミュニケーションのズレを通して生まれる人間模様――
その一例を記事にしながら、皆さんと一緒に色々なことについて考えていけたらと思います。
どうぞよろしくお願い致します。