![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/82583490/rectangle_large_type_2_a5272962a8e688a4f9dd0257b744eec7.png?width=1200)
「空気を読め」〔クリシェ【凡百の陳腐句】4-2〕
あれは僕が小学校4年生のころ。
算数の授業で、「みんなで図形名を言っていこう」というコーナーがあった。
みんなが「エン」「ダイケイ」「ヘイコウシヘンケイ」と、"今まで習った"図形を言っていく中、僕は習っていないが知っていた、
「だ円」
をあげた。
「"今まで習った"ものだけかな〜」と薄々勘づいてはいたものの、そのことがはっきり示されてなかったからだ。
そうしたら、周りから総ブーイングがきた。
理由は「今まで習ってないから」。
「いや、それ言ってなかったじゃん!」とは思ったが、当時の僕に同調圧力耐性などなく、何も言い返せなくて押し黙るしかなかった。
あの時の状況を今の言い方に置き換えると、「空気読め!お前!」なんだろうなと思う(当時、そんな言葉なかったが)。
そして、大人になった今、当時を思い返して「あぁ、確かにあのときは空気読めてなかったなぁ」と大きく反省しているかといえば、
「否」。
「今だったら論破に加えて、『ペンタゴン』だの『ポリへドロン』だの『ヘキサグラム』だのを『Make you happy』踊りながらガンガン言ったる!」気概で満々。まぁ、大人なので状況判断はしつつではあるが。
「空気を読め」を絶対的価値として宣うのは勝手。しかし、日本人のそのような性質が「個人の不合理でなく、自由で枠組みに囚われない発想」を妨げていることにもう少し目を向けた方がいい。
たかだか「だ円」程度の拡張すら許さない、狭量なものだから。
僕は"今まで習った"縛りに、今現在なんの価値も感じていない("大人の事情"をふまえてなお、"ひっくるめて")。
(2022/5/11に投稿した記事の続編)