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「空気を読め」〔クリシェ【凡百の陳腐句】4-2〕

あれは僕が小学校4年生のころ。

算数の授業で、「みんなで図形名を言っていこう」というコーナーがあった。

みんなが「エン」「ダイケイ」「ヘイコウシヘンケイ」と、"今まで習った"図形を言っていく中、僕は習っていないが知っていた、

「だ円」

をあげた。

「"今まで習った"ものだけかな〜」と薄々勘づいてはいたものの、そのことがはっきり示されてなかったからだ。

そうしたら、周りから総ブーイングがきた。

理由は「今まで習ってないから」。

「いや、それ言ってなかったじゃん!」とは思ったが、当時の僕に同調圧力耐性などなく、何も言い返せなくて押し黙るしかなかった。

あの時の状況を今の言い方に置き換えると、「空気読め!お前!」なんだろうなと思う(当時、そんな言葉なかったが)。

そして、大人になった今、当時を思い返して「あぁ、確かにあのときは空気読めてなかったなぁ」と大きく反省しているかといえば、

「否」。


「今だったら論破に加えて、『ペンタゴン』だの『ポリへドロン』だの『ヘキサグラム』だのを『Make you happy』踊りながらガンガン言ったる!」気概で満々。まぁ、大人なので状況判断はしつつではあるが。


「空気を読め」を絶対的価値として宣うのは勝手。しかし、日本人のそのような性質が「個人の不合理でなく、自由で枠組みに囚われない発想」を妨げていることにもう少し目を向けた方がいい。

たかだか「だ円」程度の拡張すら許さない、狭量なものだから。

僕は"今まで習った"縛りに、今現在なんの価値も感じていない("大人の事情"をふまえてなお、"ひっくるめて")。


(2022/5/11に投稿した記事の続編)

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