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アンチアンチの基本〔マキシム〈ブッダ〉【金言の再現】9〕

もし誰かに嫌な目に遭わされたら

 もし君が敵(ライバル)からいやな目に遭わされて、鬱になったり落ち込んだりするのなら、それを見た敵は、「わーい、ざまーみろ」と笑って喜ぶだろう。 
 ゆえに「真の損得」を知る人は、どんないや目に遭わされようとも、嘆かず平常心を保つ。前と変わらず穏やかなままの、君の優しい表情を見た敵は「ちぇっ、がっかりだ」と落胆する。
 皮肉なことに、敵を悩ませるための最高の「イヤガラセ」は君が怒らず朗らかにしている、たったそれだけのこと。

 増支部経典

『超訳 ブッダの言葉』001(小池竜之介編訳 ディスカバー)

超訳とはいえ紀元前のブッダの言葉なんですが、まんま現代の「誹謗中傷する者」やら「嫌なクラスメイト・同僚」やらへの基本対策になりそうです。

ちなみに、引用文では「敵(ライバル)」となってますが、現代風になおすと「アンチ」といったところでしょうか(ライバルなんて上質なものではないでしょう)。

「基本はスルー」。

これは、今も昔も変わらないんでしょうね。

もっとも今は、スルーしてもスルーしてもしつこく粘着してるイメージがあるので、簡単では無いんでしょうけど(昔と比べてどうなのかは分かりませんが)。

…それにしても誹謗中傷する人たちの心理はよくわからないですね。

相手に対してかりそめでも優位に立ち、いい気分に浸りたい、までは考察できてますが、そこから先は想像の範囲外。

『人を動かす』にも書いてましたけど、人は非難されれば反発する生き物なので、どうせ変えられないし、日本から出ていかせられないし。

仮に"やっつけられた"としても、世の中が自分の好みに沿うように動くわけないので、アンチ対象は次から次へと出てくるし、"ネバーエンドレスバッシッングだし。

そもそも、歴とした"犯罪"で今は厳罰傾向だし、まともな人がその人は誹謗中傷をしていると知れば、大体離れていくだろうし。

普通に考えれば百害あって一理なしなんだけど…。

まぁ、ギャンブルとかヤクブツとか(最近話題の)宗教に傾倒するとかと同じく、多大な犠牲や迷惑を払ってでも「一時的な快楽」を得たいとかなんだろうね。

こういうのは時代とかじゃなく、「そもそもの人間の本質」からくる弊害と捉えた方がよさそう。

「あって当たり前」と。

不愉快ですが、もはやしょうがないのかな。

(参考図書)

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