美の灯
「菩提(=さとり)とは?」と尋ねられ
「それは自分の心を知ることです」と弘法大師空海は答えました。
近すぎて見えないのが自分の心
人は肉体を持つ故、内に棲む欲や感情に翻弄されてしまいます。
真正面から自分の心と向き合ってしまったら、悲しみや苦しみが心の果てにまで広がってしまいそうだから 、そんな時はさりげなく感情の外側にいます。 けれど、どんなに見て見ぬふりをしようとも、心を無視することは出来ず、それどころか真理から遠く離れ置き去りになっているようで切なくなるのです。でも、そんな時でも心にそっと美の明かりが灯ります。
真理とは・・・・・・。
それは天に帰ってからしか解らないのかもしれません。でも、たとえ理解に及ばなくても真理とは美しいものであることは解ります。
だから美しいものを美しいと感じられる心を失ってしまわない限り、真理の光は心の中に灯っているのだと思います。 色々なことがあり過ぎて時々忘れそうになってしまうけれど、私の心の中にもあることを野に咲く花や夜空に輝く星が思い出させてくれます。
ここに佇むと、地に支えられ、火に照らされ、水に洗われ、風に包まれ、感情がほどけ、肉体が消え、”魂”の存在で在れるような気がします。
瑞牆山の弘法岩の基部に刻まれた梵字”カンマンボロン”は空海が自らが刻み込んだと言われています。
”カンマンボロン”
カンマンは、大日如来の化身である不動明王を表し、
ボロンは、瞑想の境地に至った時に如来が発した梵字で、あらゆる仏菩薩の功徳がこの梵字に帰するとされていて、一切結合の意味を持っ。
荘厳美麗な輝きはすべての穢れを清め、万物が味方であることを感じさせてくれます。
宇宙の壮大なスケールの中に生きる砂粒ほどの小さな存在でも、”さとり”と言う無限の奥行きの光へ向かう力を秘めていることを気付かせてくれます。
山から吹き下ろす風は、己の心と対峙し続けた空海の叫びのように聴こえます。
己の心を知り、その心をどう使うか。
大切なのは、
自分が何を感じ、何を想い、何をするか。
すべては己の心次第であると。
時々わたしはその声を聴きたくなり、この場所へゆくのです。