柄谷行人『トランスクリティーク』解説(5)
今回からマルクスの解説になります。
ここでは、第一章「移動と批判」を説明していきます。
移動
これまでの解説してきたように、カントの思想には様々な視点への「移動」があり、そこから生じる視差こそがカントの批判であった。
マルクスもカントと同様に、視点の移動を行っている。そして、マルクス自身が実際に様々な土地を移動し、様々な視点を得ている。
まずここでは、マルクスがドイツいた時の視差を説明する。
マルクスは、フォイエルバッハも含めたそれまでの唯物論の欠陥を、対象、現実、感性がただの客体としてしか捉えられておらず、感性的な人間的な活動、実践として主体的に捉えられていないことであると指摘する。
この批判によってマルクスは、物事を客体的にしか捉えない視点から、主体的に捉える視点への移動をしようとしている。
物事を客体として扱おうとする場合、自分ではない何かをどのように経験しているのかという分析となる。これは経験論的にならざる得ない。
一方で物事を主体として扱おうとする場合、自分ではない何かすら、自分の一部として、ヘーゲル風に言えば精神活動の一部として考えるということになる。これは、観念論的である。
よって、柄谷は次のように言う。
以上のように、マルクスの思想もカント同様、視差の上に成り立っているのである。
代表機構
マルクスの思想の特徴の一つは、物事を諸階級の闘争として捉えることである。その階級闘争とはどのようなものかをマルクスはフランスおいてみる。つまり、フランス革命から見る。
マルクスが注目するのは、普通選挙による代表議会制という制度である。
普通選挙においては、代表は議会のなかで議員として存在している。議員となった瞬間に、その議員は経済的な階級構造から離れて存在することになる。
一人の農民が選挙において代表として選ばれ議員になったとき、その農民はもう経済的な階級構造における農民ではなくなり、そこから離れた議員になってしまうのだ。
つまり、政党や彼らの言説が、実際の諸階級から独立しているのである。にも関わらず、階級とは議会においてしか明確にならず、闘争は議会という場所で起こるのである。
よって、フランス革命後の普通選挙によるナポレオンの登場とは、経済的な階級構造とは独立したものなのである。
後にナポレオンは皇帝として君臨する。それは代表制が、議会としての立法権力と大統領としての行政権力の二重性があることを意味する。
議会制は討論を通じての多数決による支配として民主主義である。一方で、大統領制はルソーの言う一般意志として民主主義なのである。
一般意志とは、全ての人類が根底にもっている共通の意志である。それに対して全体意志は、多数決によって決まった意志である。
つまり、ルソーを言葉を借りて言うなれば、議会とは全体意志であり、大統領は一般意志である。
この全体意志と一般意志の二重性は、この二つの意志の混同をもたらす。それは、一部の人の利害による多数決できまった代表が、万人を代表する一般意志として振舞えてしまうということである。
ここに皇帝ナポレオンが存在する。
そのため柄谷は次のように言う。
秘密投票は、誰が誰に投票したかを隠すことによって人を自由にする。
しかし、それによって誰が誰に投票したのかという証拠が消え去り、「代表するもの」と「代表されるもの」は根本的に分断される。
それにより、「代表するもの」は実際はそうでないのに、万人を代表するかのように振舞えてしまう。つまり、全体意志と一般意志の混同が生じるのである。
マルクスがフランス革命において見たのは、経済的階級構造と議会的階級構造、「代表されるもの」と「代表するもの」における視差なのである。
恐慌としての視差
マルクスが次に視差を見出したのは、イギリスであった。
マルクスがイギリスにおいて見出した重要な問題は恐慌である。
マルクス以前、商品の価値はそこに投入された労働にあるとすると考えられていた。いわゆる労働価値説である。
この問題点は、貨幣を見ていないことである。
マルクスは、商品交換と社会的分業は貨幣によってのみ可能であることを重視する。
貨幣というどの商品にも通用するものがあるからこそ、商品の交換が可能なのであり、貨幣という共通のもので賃金が支払われるからこそ、労働者は様々な職業を担当して働くことができる。
では貨幣とはどのような性質をもっているのだろうか。
資本主義における商品の交換はG-W-G'(商品‐貨幣‐商品)という形でなされる。
ここで貨幣を所持しているということは、商品がすでに売れたものとしてみなされることを意味する。
例えば、100円をもっていたとして、その100円それ自体には何の意味もなさない。100円が何かの商品と交換できることで初めて価値をもつ。つまり100円を持っているということは、事実上100円の価値がある商品を持っていることと同じなのである。
このように、ただ100円硬貨を持っているだけで、100円の価値を持っているとみなされるのは、将来買ってくれるという「信用」があるからである。
もしある人が100円もっていてもそれを最終的に何かの商品と交換せずにずっと持っていたらどうなるだろう。その100円は動きを止め、経済活動を止めることになる。それは、「信用」を「裏切る」ことである。
これが恐慌なのである。
誰もがお金を持っているが、それを商品と交換することなく、「信用」を「裏切り」保持し続けた場合、経済は停滞し、恐慌に陥る。
この「裏切り」が生じるのは、利子等により貨幣を使用するより所持していた方が得になる場合である。しかし、資本主義においてはこの利子等による貨幣の増殖こそ第一にされることなのである。貨幣の自己増殖こそ資本主義なのである。
つまり、恐慌とは、本来使用されるための貨幣が、自分の限界を越えて増殖し続けようとすることに対する資本=理性への批判を意味する。
資本主義の根底には貨幣をため込もうとする欲望が根底にあり、その上に成り立っているものなのである。
以上のことを柄谷は次のようにまとめる。
資本主義の根底には、貨幣の自己増殖の欲動がある。その力により世界は変形していく。その歴史をマルクスは見ようとしたのである。
微細な差異
以上のように、マルクスは様々な視点の移動を通じて、視差によって哲学を見ていた。その視差の場というのは、どこか特定の場所ではなく、どこにも属さずに、様々な領域の移動を可能にする場なのである。
この姿勢は、マルクスの学位論文のころから変わらないと、柄谷は言う。
マルクスは、学位論文でデモクリトスとエピクロスを比較した。マルクスはこの二人の差異を、アリストテレスを媒介することにより、ほとんど同じとしてみなされていた自然哲学の領域から見出す。
デモクリトスの自然観は感覚論者であり、原子論による機械論的決定論である。一方で、アリストテレスは目的論的合理論者である。
この機械論と目的論の視差から、エピクロスは、デモクリトスがただ一方向に動くとした原子の動きに、偶然性による偏差を導入する。これは、機械論的決定論の批判であり、アリストテレスの合理論的な予定調和に対する批判でもある。つまり、エピクロスはただのデモクリトスの亜流ではなく、視差により機械論でも目的論でもない新たな道を切り開こうとした人物なのである。
柄谷は言う。
マルクスもエピクロスと同様に新たな道を資本論において切り開こうとする。それは柄谷からすれば、価値形態論の導入なのである。
価値形態論とは、どの商品とも交換可能なものとして貨幣が存在するという、貨幣分析によって出てきた結果である。
それは、貨幣の歴史を客体として見る経験論的な立場と、形態の分析においてはカテゴリーの自律的な力を強調する観念論的な見方の視差において生じた思想なのである。
マルクスとアナーキスト
マルクスは資本主義によって生じた矛盾を解消するために、アソシエーションを構想する。
ヘーゲルは、政治的国家(議会制民主主義)によってのみ、資本主義の矛盾を解消できると考えたが、マルクスは市民社会においてその矛盾が解消されるとし、それを政治的国家に対して社会的国家と名付けた。
つまり、最初マルクスが目指したのは、政治的国家の廃棄であり、そのために資本経済に支配された市民社会としての社会的国家を再編成することであった。
しかしシュティルナーの思想に影響を受けたマルクスはその考えを修正する。シュティルナーは、ヘーゲル以降の国家によって矛盾を解消しようとする考えを、「類的存在」から個人を見ているものであり、現に目の前にいる他者を自由な人間として扱っていないと批判した。
これにより、個-類という見方で物事を考える方法を退けたのだ。
これを受けたマルクスは、現実の目の前にいる個人を対象とするようになる。だだし、それはただの個人ではなく、社会的諸関係の中におかれた諸個人から出発するものであった。
ここに個-類と違った側面から個をみるという新たな視点が開かれたのである。
そのうえで考えられるアソシエーションとはどのようなものか。柄谷は次のように言う。
ヒュームはデカルトの自我に対して、そのような固定された一個の自己などなく、観念の連合(アソシエーション)があるだけであり、それに応じて多数の自己があるとした。
カントはそれを受けて、実体的な自己は確かにないが、多数の自己のアソシエーションを統合する「超越論的統覚X」があるとした。
マルクスもこれと同様のことを考えた。
アナーキズムが国家を否定するのは、まさにヒュームがデカルトを批判したのを同じであり、国家はなく複数のアソシエーションがあると主張である。それを受けてマルクスは、アソシエーションのアソシエーション、いわば「超越論的統覚X」がなければならないとかんがえたのである。
しかし、それは党や国家官僚のような実体的な中心として考えてはいけない。この点でマルクスはアーキズム(国家主義)とアナーキズム(無国家主義)の間で考えていたと言えるだろう。
アソシエーションは中心をもつが、その中心はどこにもない。その状態を作り出すのは、古代アテネにおいて、行政を司る官吏やそれを監視する陪審員をくじ引きで決めるといったやり方である。
議会制民主主義がブルジョア的独裁の形式であるとするなら、くじ引き制こそプロレタリア独裁の形式なのである。
マルクスによれば、国家と資本に対抗する運動は、それ自身において、権力の集中する場に偶然性を導入するというシステムを導入していなければならないのである。