ほらまた、すぐ心の問題におきかえる!
今回も、引き続き、日本学術会議の『道徳科において「考え、議論する」教育を推進するために』(https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-h200609.pdf)でも報告されている、心理主義化について、お話していきます。
本来は政治的・社会的・経済的な問題を、個人の心の問題にすり替えてしまうことを、【心理主義化】といいます。
日本学術会議の報告では、書籍や単元、我々の地元でもある広島県の教育委員会を名指しにして(笑)、痛烈に批判しています。
しかし、その批判や警鐘は、どれも頷けるものばかりです。
例えば、障害者が合理的配慮を求める権利を、助けてくれた人の「親切・思いやり」として扱い、権利として要求できることを温情による救済に置き換えている教材があります。
日本では、合理的配慮や障害者理解の推進、バリアフリーなどといいつつも、まだまだ、車いすや障害を抱える人が自由にアクセスできる環境は、非常に限られています。
図書館や市役所、美術館などは、バリアフリーが整っていますが、年に数回行くか行かないかの場所ばかりです。
使用頻度が圧倒的に多い、スーパー、コンビニ、居酒屋、バー、パチンコなどの場所はどうでしょうか。
中には、整備されているお店もありますが、2階以上・地下に店を構えているのに、階段しかないお店や、車いすで通るには、余りにも狭く、入れないお店、買い物しようにも上の棚に配置されているものが、車いすでは届かず購入できないお店などが圧倒的に多く存在します。
車いすや障害を抱える人は、バーに行かない、買い物に行かないとでも考えているのか、と感じるほど、日本は、公共の場所・機関以外の合理的配慮やバリアフリーの整備が、遅れています。
アメリカでは、ADA法に基づいて、1990年代には既に、バーや、ビデオショップ、上階にあるお店、カジノに至るまで、バリアフリーが完備されていました。完備されていないと、営業許可が下りないんですよね。
日本のように、バリアフリーや合理的配慮が完備されていない、この社会的・経済的な問題を考えずして/知らずして、車いすの人や障害を抱える人に、手を差し伸べることが、単なる思いやり、救済に置き換えられているだけならば、その道徳教育は、まさに心理主義化のそれです。
他にも、日本学術会議は、
「足が不自由でも優しくしてくれる」と当事者である主人公に差別的発言をさせる教材(「ぼくのちかい」学校図書4年生用)
一定の特徴を持つ子どもがアクセスできない遊び場を設定し、そこに「親切」で連れていくという、障害の社会モデルの発想のまるでない教材(「およげないりすさん」光村図書2年生用)
などを指摘した上で、「これらは議論の素材としてではなく、あるべき「よい話」として扱われてしまうならば、かえって有害とさえ言える教材なのではないか。」と批判しています。
まさにそうですね。
そして、我らが広島県の、教育委員会の教材についても、法学者が厳しく批判しています。
以下、引用します。必読です。
――引用開始――
広島県教育委員会は、「『児童生徒の心に響く教材の活用・開発』研究報告集」として、「心の元気」という教材を作っているが、その中に、「組体操 学校行事と関連付けた取組み」という小学校5・6年生用の教材がある。
運動会の組体操での練習のストーリーが題材になっている。
この中では、組体操の練習中に事故で骨折した少年に対し、母親が、「一番つらい思いをしているのはつよし(バランスを崩して事故のきっかけを作っ た子)だと思うよ」と言って本人が和解の電話をかけようとすることで終わっている。
あたかも、骨折事故よりも、それよりは重大とは思えない他者の気持ちへの配慮や「困難を乗り越え、運動会を成功させる」ことが優先されるべきかのように扱われている、 と木村は指摘する。
ここで倫理学的に問題とすべきは、道徳教育と称して、一方で「遵法精神(価値項目 12)」を説きながら、他方で学校行事での事故を「思いやり」の問題としてしまっていることである。
ある学校行事の危険性を問題視することなく、学校行事を優先させ、事故を心の問題へと還元する態度は、道徳心理学的には、外集団に対して内集団の秩序を優先する態度として解釈できる。
この態度の問題点はビジネス倫理や組織倫理の専門家によって指摘されている。
――引用終了――
ここまでを読んでいただければ、これまで我々が受けてきた道徳教育がいかに、心理主義化にまみれていたかが、分かると思います。
そして、その根拠なき刷り込み、心理主義化の道徳を子供時分に受けてきた教師自身が、今、また同じように、心理主義化した道徳教育を行っている現実があります。
だからなのか、今でも教師志望者の、面接の語りを聞いていると、「何事も諦めないことが強み」、「子供達に寄り添った教育を」、「思いやることの大切さ」、「挨拶・礼儀が大事」など、心理的・感情的な表現・イメージを好む傾向がありますよね。
さて、今回のブログでお伝えしたかったのは、思いやりや気遣いなどが悪いこと/いけないこと、というのではありません。
社会的・政治的・経済的な問題であるはずの事象を、心の問題としてすり替えるな、ということです。
現在は、新学習指導要領に則り、『考え、議論する道徳』が始まっていますが、どこまで心理主義化からの脱却を図ることができるのか、あるいは、どれだけ心理主義化から脱却できる教師が現れるのかに、注目ですね。