
大きな壁に挑む勇気をくれるマンガ『チ。ー地球の運動についてー』の魅力を紡ぎたい!
普段の生活の中で、辛いことや嫌なことで落ち込んだり、気分が乗らないときに少しでも気持ちを前向きにする“きっかけ”がほしいときはありませんか?
僕はマンガを読んでいると、「こんなふうに考えることができなかった!」ということや「こんな捉え方があるんだ!」と、自分を見つめ直す“きっかけ”になる言葉に出会うことがあります。
今回はマンガが好きすぎて、貯蔵量が70,000冊を越えながらも毎月新マンガを買い漁っている僕が、完結後のいまも読み返している『チ。ー地球の運動についてー』より、僕自身の価値観や経験を通して心に刺さった言葉を厳選して紹介したいと思います!
本作は2025年1月現在、単行本は全8巻で完結し、マンガ大賞2021:第2位、このマンガがすごい!2022:オトコ編第2位、第26回手塚治虫文化賞:マンガ大賞受賞など、数々の賞を受賞し、2024年10月にアニメ化して現在もアニメ放送中の作品です。
チ。ー地球の運動についてー 概要・感想
『チ。ー地球の運動についてー』は15世紀のヨーロッパを舞台に、異端思想として迫害を受けた「地動説」に命を懸けた人々の生き様を描いた歴史群像劇で、若き神童のラファウが異端思想に触れるところから始まり、彼の死を経て「地動説」を受け継ぐ人たちの運命が壮大なドラマとして展開されていく物語です。
この作品の魅力かつ引き込まれるポイントは「緻密な歴史描写」と「登場人物の圧倒的な信念がある」ところで、地動説が持つ科学的真理だけでなく、それを追求する人たちの葛藤や覚悟、希望が細部にわたって描かれているので、読者はまるで自分自身もその時代の一員になったかのように感じられると思います。
そして登場人物たちの中で主人公という立ち位置があるようでないというか、地動説への想いを汲み、数年後、十数年後へと紡いでいく人たちが各章の主人公としてオムニバス形式に近いような感じで登場し、「天動説」が当たり前とされ「地動説」を信じ研究することは命がけの挑戦で、異端審問という名の拷問が厳しく行われていた時代に、主人公たちは信念のために命を懸けてその真理を次世代へとつなぎます。
「真理を守るために何を捨てるのか?」という問いが作品全体の軸となって、主人公たちはそれぞれ異なる答えを導き出し、時には新たな発見に歓喜すれば、時には絶望の淵に立たされ、それでもその絶望を越えて真理を物語として残していく姿は、人間がいかにして未来へ希望をつなぐのかを象徴的に示してくれているように感じます。
「地動説」との出会いによって、合理性を最も重んじるラファウが合理的判断を覆し、命を捨ててでも曲げられない信念へとなっていく姿や「地動説」の綺麗さに魅せられたグラス、その想いを継いで「地動説」証明へと動き、その内容を守るオクジーとバデーニ、ヨレンタ、そして25年後には異端解放戦線の組織長として抵抗を続けたヨレンタを支えるシュミットと自らの運命を変えるという強い信念を持つドゥラカたちが紡ぐ、「地動説という名の真理」に命を懸けて自らの意志で運命を切り開いていく姿には時代を越えた普遍的なメッセージが込められています。
真理を追い求めた人たちの物語を通して、歴史の重みや人間の可能性、真理とは何か、希望とは何かといった哲学的なものを信念として貫くことの困難さ、それを支える希望の力が描かれた作品ですので、ぜひ興味のある方は読んでみて損はないと思います!
チ。ー地球の運動についてー 名言10選&共感ポイント
この記事は『チ。ー地球の運動についてー』©魚豊/小学館 の内容を引用しています。
フベルトさんは死んで消えた。でもあの人がくれた感動は今も消えない。多分、感動は寿命の長さより大切なものだと思う。ーーだからこの場は、僕の命に変えてでも、この感動を生き残らす。
感動って単なる一時的なものじゃなくて、心に深く刻まれて時間を越えて生き続けるものだと思うんですよね。
そして「自分が生きた証を残したい」と思うこともあると思いますが、その生きた証にするものを「感動」にしようと思える気持ちはきっと、圧倒的な感動に影響を受けて自分も与え続ける側に回りたいと思うのかもしれませんね。
僕は「想いを紡ぐ」って言葉が大好きで、この言葉にリンクする言葉だと思いました。
僕は同じ思想に生まれるよりも、同じ時代に生まれることのほうがよっぽど近いと思う。だから、絶対そんな訳ないと思いつつも、感情と理屈に拒絶されようとも、こう信じたい。今、たまたまここに生きた全員は、たとえ殺し合うほど憎んでも、同じ時代を作った仲間な気がする。
率直に「同じ時代に生まれ、同じ時代を作った仲間」って考えられる感覚は、いままで僕の中には持ってなかったなと気づきを与えてくれた言葉でした。
たしかに同じ時代に生きることって、それ自体が特別なつながりを生んでいるとも捉えることができますし、敵対している相手であっても同じ時代を作り上げたと思えたなら、何らかの共有された経験や価値観が存在するんじゃないかと思います。
それって日常生活の中で起こっている対立や分断に対して、僕たちは共感したり理解していますか?と投げかけてくれているようで、違う認識も取り入れる大切さを教えくる言葉のように思います。
…君は悩んでいると言ったね。無意味だともダメだとも。自分のやってることがなんの役に立つかわからないことが。自分がただ知りたいと思ってることが。それに対して、僕は極めて不適切な発言をするけど、知が人や社会の役に立たなければいけないなんて発想はクソだ。知りたいからやる。それだけだよ。
好奇心に駆られたとき、僕は周りからムダとか意味がないと言われても飛び込んでしまいます。
それは「知りたいから」という一心で、探求することへの喜びが合理的で論理的な考えを撥ね退けているんだと思います。
現代社会は純粋に気になったことを追い求めることが難しくなってきて、批判されたりすることもありますが、知的探求の本質を思い出させてくれる言葉だと思います。
そんなことはないよ!『好き』がいけない訳がない!この世に期待をしなくなると我々の魂は瞬く間に濁ってしまう。“好き”とか“夢”とか“希望”とか、そういうモノは捨てちゃダメだ!
好きなことだったり、希望を与えてくれるものがなくなったら、濁ってしまうというかもはや絶望の淵に立たされて正気を失ってるかもしれませんね…。(朦朧として自分の意志で体が動かない感覚かも?)
「好き」であること自体が生きる意味を与えてくれて、困難な現実に立ち向かう力を生をむんだよと励ましてくれてるメッセージでもあるので、無気力感や絶望に打ちひしがれているときには、この言葉は熱い想い輝いていて、なんだか自分を救ってくれる温かさが含まれている言葉のように感じますね。
君の言うように、この世は喪失で溢れている。それに、人はいつか死んでここを去る。でも、私が死んでもこの世界は続く。だったらそこに何かを託せる。それが喪失まみれのこの世界から生まれたある種の、希望だ。
「自分が死んでもこの世界は続いていき、それなら自分には何がのこせるのだろうか?」と考えるとき、残すのではなく、託すという言葉選びがとても素敵で心に刺さりました。
まさに自分が想いを紡ぎ、誰かがその想いに影響されてまた紡いでいく…。(自分の想いが汲まれて紡がれていくのかもしれない…。)
noteで記事を書くこともそうだけど、自分が影響を与えることってもしかしたら自分にとって単なる承認欲求でしかないのかもしれないけど、誰かに紡いていってもらえるならと思うと、また捉え方から行動が変わっていくとてもいい言葉だなと思います。
私の心は学者です。だから私は、神と真理の為なら退きたくない。才能も発展も人生も、いざって時に退いたら終わりだ。
自分の信念を貫き通す強い覚悟が表れた言葉で、大きな壁に立ち向かうこときに勇気をくれる言葉だと思います。
本当に大切だと思えるものに対して全力を尽くすことは理想でもあるけど、とても難しいことでもあると思います。
僕はそのバイタリティーや熱量はどこから来ているの?と聞かれると「●●に対する使命感」と答えていますが、その使命感って覚悟のことなんだろうなと、改めて考えさせてくれる言葉でした。
200年前の情報に涙が流れることも、1000年前の噂話で笑うこともある。そんなの信じられますか? 私達の人生はどうしようもなくこの時代に閉じ込められてる。だけど、文字を読むときだけはかつていた偉人達が私に向かって口を開いてくれる。その一瞬この時代から抜け出せる。文字になった思考はこの世に残って、ずっと未来の誰かを動かすことだってある。そんなの…、まるで、奇跡じゃないですか。
「文字」という存在が記録する・蓄える力を持っていて、また時間を超えた感情の橋渡しをしてくれる存在であることを強烈に伝えてくれた言葉でした。
僕たちが生きる時間は有限で、過去や未来を直接体験することはできませんが、文字という形で記録された思考や感情に触れることで、この時代の枠を超えて生きることができている…。たしかにこの体験は奇跡と呼べると思う。
人はなぜ、言葉を紡ぎ、記録を残すのか…。その根源的な意味や僕たちの今の行動・考えが、未来の誰かにとっての希望や感動の種になるという可能性、日々を生きる原動力になるものであると教えてくれているように思います。
人は先人の発見を引き継ぐ。それも、いつの間にか勝手に自然に。だから今を生きる人には過去のすべてが含まれてる。
僕たちが日々享受している生活って、無意識のうちに過去の膨大な成果や知恵に依存しているということを思い出させてくれますね。
科学技術から芸術、言語に至るまで、僕たちの生活を形作るあらゆるものが先人たちの努力や発見の積み重ねの上に成り立っていて、しかも「いつの間にか、勝手に、自然に」って、知識の継承がいかに日常の一部なんだよと教えてくれている気がします。
だからこそ自分も未来へと日常をつなげる存在であり、未来に影響を与える存在だと思えたなら、他者や過去への感謝したり、責任感を持ったり、希望を育んでいこうと思えるかもしれませんね。
「託す」とか「任せる」とか一見聞こえはいいですけど、実際、他人が自分の思い通りに受け継ぐかなんてわからない。それどころか思いもよらない反論をされる可能性もある訳で、だから託すなんて不安でとても希望とは思えない。で…、でも、実は、寧ろ反論や訂正をされることが託すことの、本質というか…、自分の思い通りいかない誤解とか事故とか予想外の存在とか、それこそ…、教徒にとって異端者が。天動説にとって、地動説が。そういう他者が引き起こす捩れが、現状を前に向かわせる希望なのかもしれない。
たしかに自分が残したものが、自分の思い通りに解釈されないというのは不安です…。
でも、誤解や反論、予想外の展開こそが新しい価値を生み出し、未来を切り拓く原動力になるという考え方は、自分を否定された感じを受けず、逆に嬉しく思えるかもしれません。
歴史を振り返れば、異端とされた思想や誤解から生まれた発見がいかに多くの進歩をもたらしたかがわかりますし、自分の思想や行動が理解されないときに、一歩立ち止まって冷静にさせてくれる心の安定剤的な言葉でした。
私だって…、これから平和が訪れるとは思わない。貴方の言う通り次に来るのは大量死の時代かもしれない。でも、その死の責任は神じゃなくて人が引き受ける。だからそこにはきっと“罪”と“救い”じゃなく…、“反省”と“自立”がある。そうやって苦しみを味わった知性は、いずれ十分迷うことのできる知性になる。暴走した文明に歯止めをかけて、異常な技術も乗りこなせる知性になる。
絶望的なことに対して負い目を感じたり助けを求めるのではく、今までの経験も含めて振り返ることで改めて歩き出すことができるのかもしれないと思わせてくれますね。
反省と自立か踏み出した一歩、苦しみを越えてきた一歩は、「解決するもの」ではなく「迷える選択肢となるもの」になる考え方が好きです。
次で100%達成できるというわけではなく、「次も無理かもしれないけど、可能性は0じゃない!」と勇気をくれる言葉だと思います。
この世のすべてを知る為に、何を捧げればいいかなんてわからない。けど、秘匿も排除も、有効じゃなかったことは確かだ。僕らは足りない。だから補い合える。そうじゃなきゃこの世界には挑めない。人間は…、“社会的な動物”だ。
未知のものに挑むとき、この言葉が勇気をくれました。
自分1人で何とかしたいという想いが強くても、周りに頼ることや共感してもらうこと、補ってもらうことって、そういう存在がいないと「自分も潰れてしまうよ」って突きつけられているように感じます。
個人的に「僕らは足りない」って、絶妙に説得力があって納得感を得られる表現だなと感心した言葉でもあります。
まとめ
いかがだったでしょうか。
『チ。ー地球の運動についてー』の魅力&自分を見つめ直すきっかけになりそうな言葉は伝わったでしょうか?
学校や会社、いろんな組織、団体などに所属していて、「落ち込んでいるとき、疲れているとき、悩んでいるとき、そして、少しでもあなたが夢に向かって突き進むとき、壁が現れたとき、壁を乗り越えるとき」に、物事の見え方が変わるヒントを見つけてもらえたら嬉しいです。
それでは今回はここまでです。
スキやフォローをいただけると励みになりますし、記事への感想や紹介してほしい作品の要望などのコメントも大歓迎です!
最後まで読んでいただきありがとうございました