掌編小説『夜明けに咲く花』
霧に包まれた森の中を歩いていた。木々の間から漏れる月明かりが、銀色の光の筋となって地面を照らしていた。足元には柔らかな苔が広がり、その上を歩くと、まるで雲の上を歩いているかのような感覚に襲われた。
突然、遠くから鐘の音が聞こえてきた。その音は、森全体に響き渡り、木々さえも震わせているようだった。鐘の音に導かれるように歩を進めると、小さな教会が姿を現した。扉は半開きで、中から温かな光が漏れ出ていた。
教会の中に入ると、そこには誰もいなかった。しかし、祭壇の上には一冊の古びた聖書が開かれていた。近づいてみると、その聖書のページが風もないのに、ゆっくりとめくられていった。あるページが開かれる。そこには、私の生を象徴する聖句が書かれていた。喜びも悲しみも、すべてが鮮やかに蘇ってくる。
そっと私は目を開ける。涙の足りない乾いた瞼が重たい。ぼんやりとしながら少しずつ目を開いていく。ゆっくりと瞬きを繰り返し目を開ける。まだ周囲は真っ暗だ。ドアの足元の夜灯の光がかすかに部屋の中の様子を浮かび上がらせている。私は喉が乾いている。私は何度か寝返りを打つ。ゆっくりと起き上がり、夜灯の明かりを頼りにダイニングルームに向かう。キッチンのシンクでコップに水を注ぎ飲む。いまは0時頃だろうか、それとも2時頃だろうか。キッチンの片隅においた小さな時計はカチカチと秒針の動く音を立てている。しかし私の眼鏡を外した視力では針の指す位置は分からない。それでいい。どちらにしてもいまはまだ起きる時間ではないことは分かっている。私は、水をもう一口飲む。足元に気をつけて部屋に戻り、布団に潜り込む。幸い頭はまだぼんやりしている。きっともう一度寝付けるだろう。目を瞑り、呼吸を整え、私はゆっくりと息を吐く。
聖書のページが再び風もなく捲られていく。私の人生の喜びと悲しみを映し出す聖句が次々と現れては消えていく。最後のページに辿り着いたとき、聖書は静かに閉じられた。
突如、教会の鐘が鳴り響き始めた。その音色は、私の魂の奥深くまで響き渡る。鐘の音に導かれるように、私は自分の人生を振り返る。
幼少期の無邪気な笑顔。学生時代の苦悩と成長。信仰に導かれ、人生の意味を見出した瞬間。社会人となってからの挫折と再起。そして、愛する人との出会い。
鐘の音が次第に大きくなり、教会全体が光に包まれ始める。その中で、一本の大きな樫の木が現れた。その幹は太く、枝葉は天に向かって伸びている。樹皮の割れ目からは清らかな水が湧き出ており、その水は教会の床を潤していく。
私はその樫の木に近づき、幹に手を触れる。すると、樹皮が開き、中から温かな光が溢れ出す。その光に包まれた瞬間、私は深い平安を感じる。光が強くなり、私の視界を覆い尽くす。
そっと私は目を開ける。涙の足りない乾いた瞼が重い。ぼんやりとしながら少しずつ目を開けていく。ゆっくりと瞬きを繰り返し目を開ける。少し天井が見える。カーテン越しにうっすらと外の光が漏れ入っているのが分かる。たぶん5時を過ぎた頃だろう。時折、鳥の鳴き声が聴こえる。私は今日はそれなりに眠れたことに気づき安堵した。身体を目覚めさせるために少しだけ勢いをつけて寝返りを打つ。数回繰り返し、うつ伏せになり、腕と腹に力を入れて、身体を起こしていく。猫のような背伸びをして、固くなった背中を緩める。私は顔をあげて、布団の上で正座する。だんだんと頭が働きだしてくる。よく眠れられた日は少しだけ嬉しい気持ちが湧いてくる。私は、今日という日を無事に迎えられたことを神様に感謝し祈りを捧げる。
慈悲深い愛情に溢れた天の神様、
この朝、新たな一日を迎えられたことを心より感謝いたします。夜の闇を通り抜け、再び光の中に立つことができる喜びを覚えます。
主よ、私の心と体を癒してください。不眠の苦しみの中にあっても、あなたの慈しみは尽きることがありません。夢の中で見た不思議な光景も、あなたの導きの一部であったことを信じます。
この一日、あなたの御心に適う歩みができますように。困難に直面しても、あなたの愛の中に安らぎを見出すことができますように。そして、周りの人々にも、あなたの光を分かち合うことができますように。
私の弱さを知っておられる主よ、どうか力を与えてください。あなたの御言葉が私の道を照らし、精霊が私を導いてくださいますように。
この祈りを、私たちの救い主イエス・キリストの御名においてお捧げいたします。
アーメン。
祈りを終えると、私はゆっくりとベッドから降りて窓辺に歩み寄った。カーテンを開くと、朝日が部屋に差し込み、温かな光が私の顔を包み込む。窓の外の庭に目をやると、昨日まで蕾だった一輪の白い鉄砲百合が、その花弁を大きく広げていた。露に濡れた花びらが朝日に輝き、まるで光そのものが花開いたかのようだ。その姿に、私は思わず微笑みを浮かべる。静かに窓を開けると、清々しい朝の空気が流れ込んできた。百合の香りが微かに漂い、新鮮な空気と共に私の肺を満たしていく。遠くで鳥のさえずりが聞こる。
私は深呼吸をし、胸いっぱいに朝の空気を吸い込んだ。そして、夢で見た樫の木を思い出す。今、この瞬間の私もまた、あの樫の木のように、新たな一日という大地にしっかりと根を下ろし、希望という枝を天に向かって伸ばしているような気がした。百合に目をやると、その白い花弁が朝日に輝いて、まるで私に向かって微笑んでいるかのようだった。私は静かにうなずき返した。
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