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すずめの戸締まりの余韻を引きずる男

一昨日、新海誠監督の新作映画『すずめの戸締まり』が話題になってきたこともあり、公開1週間のタイミングでネタバレ回避のために見てきた。その作品が未だに少し心にシミのように残っている。新海誠はまだこんなものを作る力があるのか、ということに驚愕せざるを得なかったのだ。

一応言っておくと自分は新海誠作品はかなり見ている。新海誠展を観にわざわざ都内に出たほどではあるし、君の名はの聖地探訪に岐阜まで行っている。なんなら君の名は。の前に『秒速5センチメートル』を見ていたので、その映像美と内省的でとても繊細な物語に心を摑まされていた。そこに当時結構ハマっていたRADWIMPSの劇伴もあり、絶対観に行こうと思って、大学受験を控えた高3の夏なのにも関わらず公開2日目に観に行った。そこで感じた君の名は。の完成度に完全に心打たれた。前半の冒頭の入れ替わりのクスッと笑える日常シーンから、彗星墜落からの3年後の時差を超えて過去を改変すべく激動の展開にアニメってこんなことができるのかと呆気に取られてしまった。高校時代もアニメを見ていたが、『君の名は。』の出会いとその社会現象的なヒットにアニメを文化として誇りに思っていいものだと思うようになった。さらにアニオタ度を加速させる一つの大きな要因だったと感じている。

『君の名は。』は3年前の過去を改変するためにタイムトリップを果たし、糸守町の住人を救う、『天気の子』は天に連れていかれたヒロインを救うために雨のやまない世界を選ぶという行動、世界の在り方まで変えたエンドだ。対照的にすずめの戸締まりのエンドは過去の自分と時空を超えた場所で出会い、過去の自分自身を励まして救うという結果的にはかなり内省的な作品である。地震の発生源のミミズを鎮めるために廃墟にある扉を閉めるというとてもファンタジーでゲーム的な目的要素がはっきりしているけれど、そんなこと一般の人達は知らない。『君の名は。』では過去まで戻ったけど、ここでは時系列は不可逆的で続いていて後戻りできない。これからの地震発生を未然に防ぐだけで、発生してしまった地震は関東大震災や東日本大地震を含めて何一つ変わっていない。

「戸締まり」というのがなんともいいなとも思う。元凶のミミズを駆除するんじゃない。ジャンプ漫画ならこれを倒そうとするし、前2作品はそれに抗った。扉を閉めることで帰ってください!と頭を下げて鎮めるのがこの作品なのだ。自然現象への畏怖は前2作品でもあったが、ここまでそれを受け入れているというのはある意味独特で神道的な要素を大きく感じる。

また、「すずめ」の戸締まりなんだよなというタイトル回収的なオチがいい。普通歌詞でも「扉を開ける」という表現はよく使う。アナ雪は「扉開けて〜」って歌いながら恋の前進に胸が躍り、自分の大好きなミスチルの終わりなき旅だって、「さあ次の扉をノックしよう」と次へのステップを後押ししてくれる。けどそうじゃない。扉を閉めるのだ。鈴芽の中にある震災で母を失った記憶。忘却していた悲しき思い出に向き合って、整理をしてそっと心の中に戻す。すずめは母親がもういないというのを知っていた。それは12年後の自分がそれを諭し、それでも自分は成長はしていくから不安はないということを教えていたからだ。そして12年が経った今その役割をかつて迷いこんだ扉の中で果たす。そうした流れも混乱していた記憶を戻しただけにすぎない、あくまで内省的な物語だ。

これは自分が当初新海誠作品のイメージだった。『秒速5センチメートル』では初恋の相手がずっとどこかに引っかかっていてそれが誰といても埋められるものではない。相手のヒロインは結婚もして、最後お互い踏切ですれ違うっても気づかない。けど、それを受け止めてまた進んでいくという終わり方。『ほしのこえ』も地球とはるか彼方の宇宙ではメールのやりとりに何百年もかかるというどうしようもなさを描くし、『言の葉の庭』も新任教師と高校生という年齢のすれ違いを、恋愛という部分を多くを占めるがそういった寂しさをやるせなさをそのままに消化不良を起こするレベルで描いてきた。

『君の名は。』『天気の子』は正直その側面をエンターテイメントとして描く上でかなり削っていたし、それこそ「2人ならどこへでも行ける!」とある意味青さ全開のエネルギーで突き進むからそういった要素がほとんどない。けど、その持ち味をエンターテイメントのレベルでうまく落とし込めるように、東日本大震災という大災害を題材にして多くの人々に受け入れやすく、ある程度のリアリティを持って作り込んだ。

上手いなと思う。新海誠作品の映像美はそれだけですごい。元々持っていた繊細な感情を表せる構成に、震災の映像教材として今後教育にも使えなくはないよなというこの社会派というか、模範的な着地。まさしく千と千尋で描いた人間のゴミで汚れた神々の世界を描き皮肉満載で描いたスタジオジブリ・宮崎駿の世界を、直接の接点はないはずなのに何か受け継いでるなとか感じてしまう。正直、天気の子で自分のやりたいことに吹っ切れてそのまま自己表現の世界から新海誠は帰ってこないんじゃないかなと割と思っていた。だから、今回の作品はあまり注目してなかった。けど、しっかり伝える、遺す、そういった視聴者とのコミュニケーションをまだしたいんだなという意思があって、それをわかりやすく受け取りやすい構成で今回は作り込めた。君の名は。のヒットもマグレとは言えないなと改めて感じたし、ある意味そうしたメッセージ性という意味ではこの作品は君の名は。を超えたんじゃないかなと結構思う。

といったわけで、自分の中で久々にアニメ映画ですごいなと思った作品だった。2週間前にソードアードオンライン・プログレッシブの最新映画を見たけど、キリトとアスナがタッグを組んでSAOというオンラインゲームの中で事件を解決しながらイチャイチャしている要素が今作は強かった。それが悪いわけではないが、前作ではなぜアスナがSAOを始めたのか、誰が途中までガイドしたのか、キリトと会うまではどうしていたのか、というアスナ視点で物語が進むのは斬新で面白かった分、いつものSAOになってしまったのが物足りなく感じた。歳を食ったのか、この『すずめの戸締まり』の眼前に広がる自然に身を任せ、畏怖し鎮める、こちらの方が何か尊いものに見える。なんなら、鈴芽の叔母の環が鈴芽を引き取ったが故に、思うようにならない人生を嘆いてしまう描写にはどちらかというとこちらの心情の方がわかるようになってしまったなと結構感じてしまった。ティーンズ向けにも見えなくなかった「君の名は。』からかなりこの『すずめの戸締まり』は落ちついたさらに上の層に刺さるような作品になったとも言える。新海誠の表現力にまたもや驚かされるとは。完全にやられた。1ファンとして、また彼のアニメ作品が観たいし、何より今作は多くの人に届いてほしいなと思う。鬼滅の刃やらワンピースやらアニメ映画が金になるのでヒットもして欲しいが、またしてもオリジナルで勝負できる作品を作ることのできる新海誠は数字以上に評価されて欲しいなと思うばかりだ。

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