目的と成果は違うということ(10/21)
展覧会の撤収も兼ねてしばらく休みをとりました。身の回りは相変わらずバタバタしてる。政治とか、周りの環境とか、補助金とか。いろいろある。
先日とあるミーティングに参加した。そのミーティングの主題は「アーティストのための仕事を作る」というものでした。すごく熱意のある主催者さんで、やもすれば熱意だけが先走るタイプでした。
会議でもまとまりのない話が続き、みんなのテンションが下がり始め、そろそろ会議はお開きにしようか?という雰囲気に。すると、突如主催者が参加した人たちに怒り始めました。「僕はこんなに考えている!君たちは本気で考えているのか!?」と。それを見て、「あぁ、この人は目的だけしか見えていない人なんだ」と落胆し、以降その会議への出席はずっとお断りしています。
目的に向けて猪突猛進なのはいいんですが、最近、目的以外の部分を”無駄なもの”とでも言わんばかりの考え方を持つ人たちが増えてきているような気がしています。なんなんでしょうね。あれ。
ベンチャー企業の成功談で語られるような「目的だけを見て!」「昔の慣例は無視して効率化達成!」みたいなストーリーと、「目的に向けてコツコツ一つのことをやっていればいつか報われる。色々なものに目移りするやつはダメ」みたいな日本的サクセスストーリーが、変な形で融合したような、そんな価値観。いい歳の大人が”自分を肯定するストーリー”に酔って周りが見えていないような、そんな怖さを感じます。
目的に向けて突っ走ることは難しいことじゃないんです。誰でもできます。事業というのは、目的に至る過程でどういう成果を獲得していくのか?ということだと思っています。
例えば、最初に例を挙げた主催者さんは、目的の達成に向けて「会議を通じて賛同者を増やす」ことが真の成果だったはずなんです。ただ目的に向けたアイデアが出ないことにイラついてしまったわけです。もったいない。
同様の事例は、他にもさまざまなものが考えられると思います。
例えば、「川に橋を架ける」という事業を受注して、ただの長い丸太を対岸までかけ、「できました」と言ったら、みんな納得しないでしょう。車で渡る人、安全に渡りたい人からクレームが入ることは想像に難くないです。もしかしたら工事を発注した人は「セメントが大量に余っていたので消費したかった」のかも。世界一の橋を作って観光資源にしたかったのかもしれません。その街に高速道路を誘致するための布石として、交通量を増やしたかったのかもしれない。でも最近、被災地での事業を見ていて「でも橋は架けましたよね?」って開き直るタイプの事業、よく見かけるんですよね……。
あと、これは職業病だと思うのですが、特に芸術を生業にする人が陥りやすい勘違いで「クオリティの高いものは作ったらみんな喜ぶ」というやつ。ひどい時には「今価値がわからなくても、100年後の人が評価するはず!」と平然と言ったりするんですが、依頼主は目の前にいる人なので……ただの愚痴ですが……
芸術作品や文化財を残す文化行政であっても、その目的は「文化の醸成や保護」ですが、文化事業として取得するべき成果は「文化の醸成や保護」ではない、ということです。
考えてみればすぐにわかる話です。来場者が増えなければ波及しませんし、波及しなければそれは地域の文化とは言えません。売上を増やしていかなければ保護はできません。理念に賛同してくれる人が増えなければ議会を通せず、行政を動かせません。
多分これは難しいことじゃなくて、いかに”普通の感覚”や”一般的な常識”を持ち続けられるかだと思っています。何か尖ったものを打ち出そうと思ったり、奇抜なものを進めていくことと同時に、そういう当たり前の感覚を失わないようにしたいものです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?