長靴を履いたあの子は 水溜まりの真ん中をゆく 敢えてゆくのだ
長靴を履いていたとして、水溜まりの真ん中を歩くだろうか。と書き出せば、反語で「いや、歩かない。」と書きたくなるのは私がかつて受験生だったからなのか。
雨の日の晴れ間に、車に乗って無印良品を目指す。
無印良品では、無くても良いけど有ったら良いものを買い集めるのが好きで、その日はポストカードを良い感じに飾るためのアクリル写真立てを買いに行く途中だった。
ふと歩道に目をやると、
スマホを見ながら歩く30代前半の女性
足下の大きな水溜まり
の順番で視界に入ってきた。
私は反射的に「あっ濡れる」と思い、運転中なので心理的に目を伏せた。
それでも、その女性はまるで水溜まりが始めからなかったかのように真っ直ぐ歩いていく。止まることもしない。
それは奇行などではなく、女性はよく見かけるHUNTERの長靴を履いていたのだ。だから、水溜まりがあっても少しの躊躇もなく真っ直ぐ歩くことが出来たという訳だ。
書き出しに戻るが、長靴を履いていたとして、水溜まりの真ん中を歩くだろうか。私は長靴を履いてもなお、水溜まりを避けて歩くような人間だ。
だってそうでしょう?
ヘルメットしていたって殴られようものなら反射的に屈んでしまうし、サランラップしたおにぎりだって地面に落とそうものなら必死で拾うもの。
その女性があまりに颯爽と歩くものだから、その意志の強さに感銘を受けた。そして短歌が浮かぶ。
長靴を履いたあの子は
水溜まりの真ん中をゆく
敢えてゆくのだ
…しかし、ただ道を歩いただけなのに勝手に感銘を受けられるその女性はなんだか可哀想でもある。
自分に問いかける。
その女性が「水溜まりがあったとしても私はあえて真ん中を歩くわ」などと考えているだろうか。いや、考えていない。