無人書店についての雑感
無人書店が増えているとは最近よく聞くことです。
本の自動販売機、ネット書店などは購入者からすれば、無人書店です。
24時間買えるところも同じです。
無人書店では、たぶん好きなページを試し読みできるところは、前の二つとは違いますね。
リアルな書店では、未知の本との出会いがあるとはよく聞きます。
それはまるで関係のない本が並んでいる時なのか、そうでないのかよくわかりません。
最近はテーマごとに本を並べる書店も多いので、関係のない本との出会いは少なくなるのかなあと思ったりもします。
また、(香水や匂い付き柔軟剤は咳が出るのですが、)上村のように、洋書のインクのにおいをかぐのがこの上なく好きだというものにとっては、リアルな書店が生理的に必要です。なぜかと言うと、洋書って、買ってもすぐにインクのにおいが薄くなってしまうんですよ。でも、そんなに洋書ばかり読むわけにはいきません。だから、かぐためだけに立ち寄ることがあります。
無人書店は、人件費の削減にはなりますが、専門知識を持った書店員が減るということです。
周囲の書店や書評、取次の情報、図書館の貸し出しランキング、最近葵祭などの行事があったから京都の本が売れているとか、入り口近くの平台の一列目と、奥の通路にある平台の前列の売り上げの違いなどを把握して、選書、注文して、返品するということは、まだAIができないことです。
祭のことなど知らないし、周囲の独立系の書店の棚を調べることもできないAIなんかに任せたら、お祭りが終わってもう売れなくなったころに、本が届くでしょう。
また、お勧めを訊いたり、内容から本を探してくれる書店員が減るということなので、利用者にとっては不利益も多いし、書店の経営資源の枢要を損なうことにもなると思います。
書店員が適切な問いを発するから、探している本が見つかるということもあるんです。
「本を探しているんですけど」
「なんという本ですか?」
「いやー、題名はわからないんですけど」
「それでは探せませんね」
これではひどいAIと同じですが、書店員がただの配架作業員に堕したら、こうなってしまうでしょう。
「小説ですか?」
「はい」
「日本人の作家ですか?」
「はい」
「女性作家ですか?」
「たぶん男性です」
「昔からかなり有名な作家ですか?最近有名な作家ですか?有名ではない方ですか?」
「昔からかなり有名です」
お客さんが10代の方なら別ですが、60代の方なら、年配の作家だとわかります。
「その小説は、いつどこで知りましたか?」
「ずうっと昔に書評で観ました」
この時点で、最近の本ではないとわかります。お客さんが10代の方なら、ずうっと昔は6年くらい前かもしれないと見当をつけるし、「最近」と言ったとしても60代の方なら10年前かもしれません。本を調べるのに自分の年齢を打ち込むことは将来もないでしょうから、この点ではAIの検索は精度がそんなに上がらないと思います。
「ジャンルは何ですか?純文学ですか?SFですか?」
「うーん」
微妙なジャンル、ジャンル横断でしょう。
「主人公は人間ですか?女性ですか?」
「うーん」
はっきりした主人公がいないかもしれません。もしかしたら、人間以外かもしれません。
「特徴的な名前の登場人物、もの、ことや、他の小説にはないエピソードはありますか?」
ここで、たんに「どんな内容ですか?」と訊くと、少年と少女が出会って恋に落ちる小説などというありきたりな回答になるので、そういうふうには訊きません。
「えーと、そうですね。車が家族の話を聞いてああ哀しいという」
「ああ、老車の墓場ですね。五木寛之さんです。奇妙な味の物語という短編集の一篇です。角川文庫やポプラ社の単行本で出ています。」
優れた書店員ならこういう仕事ができます。
人が減ったらこういう知識や技量を持つ書店員は減るでしょうし、ネットでは「車が家族の話を聞いてああ哀しい」と検索しても辿り着けません。
上村のように毎週60冊くらい読みたい本リストにストックが溜まっていって、タイトルも著者名も出版社も発行年も記録しているものにとっては、つまり大概の書店員よりも自分が読みたい本に関しては知識が多いものにとっては、コンシェルジュとしての書店員は不要ではあります。
けれど、知らない分野の本や、棚に目当ての本が見当たらないときには、書店員さんに訊いてしまいます。検索機より早いから。
そして、人件費が浮いた分、本を安く買えると言うなら、無人書店を利用しようかなと思わないでもないのですが、実際は、どこでもたいていの本の価格は今のところ同じです。あまり利点がありません。
買い切りの本も増えているので、そのうちに希望小売価格と販売価格が乖離していくことが普通化される可能性はありますが、まだ先でしょう。
こういうことをつらつらと考えていると、
「無人書店、いいじゃん」とは思えません。
無人書店は好きになれないのに、野菜の無人販売所は嫌いではない。
こうも思います。これはなんなのでしょう。
本の場合、作る人、売る人は別だからということなのかもしれません。
野菜の生産者が無人販売所を運営して、自分の野菜を置いている。
そうですかそうですか、いいんじゃないですか。わざわざこんなところまで来て、ずっといるのも大変でしょうし。そう思います。
試しに、無人の八百屋さんを想像してみたら、これは違和感がありますね。
なんだか冷たい感じがします。
八百屋さんは生産者ではないので、お店にいてほしい。
それでは、出版社が自分のところで出している本を、併設した無人の書店で売っている。これはどうかと想像します。これは気になりません。
こう考えてくると、作る人、売る人が別の場合には、リアルな店舗には人がいてほしいのが上村の嗜好のようです。
その書店員さんがあんまり人間には興味がなかったとしても、本好きな書店員のいる書店が好きです。