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自分の小説世界を広げるために フランス篇
日本に暮らして日本の小説を読んでいると どうしても日本の小説世界が枠として意識されがちになると思います。
日本では 「この小説変わってるー」と思われても、
世界中の読み手には「どこかで読んだ技法や表現だな」と思われているかもしれません。
日本生まれの日本育ちで日本にしかルーツがない作家だから狭いということにならないように 海外に旅行や移住などをできればいいのですが、諸事情でできない人もいますよね。上村もそうですが、海外の小説を読むことでなんとか埋めようと思っています。
今回はフランスの小説で、上村が読んだものを書きます。
20世紀以降の作品です。読んだものすべてではありません。
見出し画像はコンコルド広場です。
「セーヌ川の書店主」ニーナ ゲオルゲさん
セーヌ川に浮かぶはしけを改造して、文学処方箋 という名前で人々の悩みを見抜いて 本を何冊か組み合わせて処方する書店主ジャン ペルディユの物語。彼の頭の中にはおよそ3万の物語が詰め込まれているそうです。自分が一番悩んでいるんです。20年前に恋人が彼のもとを突然去ってからずっと時間が凍りついたままで、本棚の後ろにある彼女との思い出が詰まった部屋は閉めたままになっています。彼の共同住宅に気になる女性カトリーヌが引っ越してきます。彼女は夫に捨てられて悲しみに沈んでいるんです。けど、彼は自分に対して2匹の野良猫とのスキンシップだけを許しているので、近づかないようにしています。ある日、彼は突如昔の恋人に会おうと、セーヌ川を動き始めます。デビューしたばかりの悩める作家も飛び乗って、二人と二匹の旅が始まります。途中で、本なんて読むと生意気になると親から言われている娘さんに会ったり、なんでもできる男性に会って料理を任せたりと豊かな出会いの時を過ごします。そして、とうとう彼の地に到着するのですが、若き日の彼女にそっくりの女性に出会うんです。そして、すべてを知るペルディウ。
「服従」ミシェルウェルベックさん
ノーベル文学賞のショートリスト(上位リスト)によく載っている作家さんです。表紙とタイトルに惹かれて「素粒子」も読んだことはあります。あんまりおもしろくなかった。
「服従」は、2022年の大統領選挙でファシスト右翼の国民戦線のルペン、イスラーム同朋党のベン・アッベスが争い、決選投票では後者が勝つというところから始まる物語。フランスは文化を守れと、移民には同質化教育もしますし、宗教の誇示も忌避する社会です。けれど、右翼を選ばなかった。知識人なのに薄給で評価の低い主人公は、学問的成果を正当に評価し、高額報酬、イスラームならではの4人の若い妻を得られるという俗物的な条件に惹かれます。ヨーロッパでは知的エリートだけがイスラームを理解しているのに、政府や大衆は彼らに敬意を払わず、アカデミズムの成果を尊重しない、補助金もないから、彼らは生活のためにそうなりがちという指摘をしている小説です。日本でも基礎研究を軽視して、短期の成果を出させようという政府の政策があるので、日銭を稼ぐために成果の出やすい分野だけを研究しているなんていう人もいるようですね。外国の研究機関に高報酬で雇われる人もいますしね。
書かれた当時は特にEU崩壊が不安視されていて、イスラームの下での平和統合がましと考える人もいたかもしれません。イスラーム世界でもおかしなムスリムの君主よりは、まっとうな異教徒の君主の統治を選ぶべしという考えもあるので、親和性はありそうです。
「嘔吐」ジャン ポール サルトルさん
世界を旅してフランスに戻ってきた孤独な男が、物や人が全くの偶然に、何らの必然性もなく存在しているということに気付き、吐き気を覚えるという物語。自分も偶然の産物で無意味な余計なものに過ぎない。音楽を聴く間や元恋人といる間は忘れられる。それは、終わりが明確であったり、意図的な関係だから。過去も固定されて意味がある。けど現在はという実存に不安を覚えているということがテーマです。
唐突に「小説を書くことで救われる」と思うのですが、よくわかりません。
「編集室」(白水Uブックス)ロジェ グルニエさん
短編集です。酒に酔っては暴れる元青年の保護者的な同僚記者が取材に行く「冬季オリンピック」、チームを組むと取材先で人が死ぬ「厄払い」、パパの偽者を演じる人さえ代替物として好きになる「死者よさらば」、田舎出の20歳の女性はあけっぴろげで、すぐに都会ですさんでいき男性を三股にして付き合い、遂には落ちぶれて、君は人を不幸にする女だと言われる「すこし色あせたブロンド女」、失職して酷い女房を持つ婦人服担当のDJがラジオで語る「親愛なる奥様」といった作品集です。
「八月の日曜日」「暗いブティック通り」「失われた時のカフェで」
パトリック モディアーノさん。ノーベル文学賞を受賞した人です。三作とも共通して、失われた自分の記憶を放浪しつつ探る物語。テーマとしては村上春樹さんやポールオースターさんに近いし、カフカさんの「審判」のような空気感ですね。
「風の巻く丘」(1995年)マリーズ コンデさん
1880年代から始まり、白人(エムリック)と黒人(ラジエ、カティ)が主な登場人物です。親に見捨てられた子は親戚には好かれるという「嵐が丘」の設定を継承しています。上村の好きな世代間小説です。
拾われた元孤児のラジエはカティと愛しあうけれど、カティは白人であるエムリックを選び、娘カティ(理由は不明だけれどラジエそっくり)を産む。カティはすぐ死ぬし、カティの兄ジュスタンも白人の血を入れるために死の間近だからと許された白人と結婚して子を産んですぐに死ぬが、その子ジュスタンマリはカティの面影があるからラジエはかわいがる。育ててくれた家の子が孤児になって、孤児だったラジエが世話をする。疎外と愛と復讐の物語。
水村美苗さんの「本格小説」も「嵐が丘」を日本に置き換えた小説で、とてもエナジーを感じる作品なんです。この時には古典の骨組みというのはすごいと思いました。
「黄金のしずく」ミシェル トゥルニエさん
自分の写真を撮りにパリに行くアラブの遊牧民の少年の物語です。砂漠でいろいろな大人に出会い、そしてとうとうパリにつく。パリでは美しさを買われて、モデルとして成功していくのですが。西洋のルッキズムを30年以上前に批判的に描いた作品です。移民として生きていくには、自分の特長を高く評価してくれるものを差し出すのがいいのだけれど、自分のアイデンティティとはかけ離れていきます。
日本でインドのカレー店を経営しているネパール人を描いた「カレー移民の謎」を想起しますね。素朴なネパール料理に自信を持てず、インドカレーなら手早く稼げるだろうという発想になってしまう。食べていくための選択で、故郷から離れ、故郷の文化も薄れていってしまう物悲しさがあります。
「パワナ くじらの失楽園」ギュスターブ ル クレジオさん
たしかカリフォルニア湾だったと思いますが、くじらの楽園と言われているんです。世界中を回遊するくじらは、ある時期になると温かな海に集って、子を産んだりするんです。カリフォルニア湾もその一つなんです。この物語は実話に基づいているらしく、捕鯨をする老いた漁師と少年がこのくじらの楽園を見つけるのですが。ハーマン メルヴィルさんの「白鯨」の十年後に設定しているので、人間の装備は強化されています。もう畏怖を抱き力の限りを尽くして挑む相手ではなく、殺戮の対象でしかなくなっていくんです。それが哀しい。けど、楽園を見守るわけにいかないという人間の暴力性を描いています。
「星の王子さま」(新潮文庫)サン・テグジュぺリさん
砂漠にいると、星からやってきたという王子様がいてという物語ですが。
世界中で研究されていて、その後どうなったとか、王子は何かのメタファーだとか。そういうのは研究者に譲っておいて、ただただ胸に浮かんだもわもわを感じていればいいんだと思います。
上村は「夜間飛行」(1931年)の方が好きです。サン・テグジュぺリさんは飛行機乗りだったので、自分の経験を書いています。
「ハドリアヌス帝の回想」(白水社)マルグリット ユルスナールさん
やたらと評判になっているので読んだことがあるのですが、なにがおもしろいのかさっぱりわかりませんでした。ローマ帝国の五賢帝の一人 イングランドに長城を作ったハドリアヌス帝の回想といった体なんですが、うーん。
「異邦人」アルベール カミュさん
実質デビュー作。フランスの植民地だったアルジェリアで1913年に生まれました。一歳で父は戦死。17歳で結核ということで、暗い人生観を持ってしまったのかな。
この作品でも父は出てこないんです。無関心、出世欲なし、口数少なく、けど、みんなは話を聞いてくれとムルソーのところに来る。ストーリーではなく、いろいろと気になる言葉が印象的です。
何日が経過したかは意味がない。
昨日と明日があるだけ。
20年後に死ぬのも今死ぬのも変わりはない、ただそこまでの歳月や暮らしがあるだけ。
「われわれはみな死刑囚なのだ」
「狭き門」(1908年の脱稿。読んだ新潮文庫初版は昭和29年というから1954年です。山内義雄訳。)アンドレ ジッドさん
なぜか昔から惹かれていた作品です。読む前はタイトルが何を意味するのか良くわからないけれど、門を通ったところで何かいいものが待っているとは到底思えない。暗い予兆の本でした。それはドイツ文学全体に共通すると思っていますが、実際はこれはフランス文学なのです。なぜだかドイツっぽい。
愛する人と二人で通るには、永遠の魂へ入る道は狭すぎるのです。だから一人ひとり通るしかないのです。という言葉が印象的です。
愛を捨てることで、魂を浄化しよう、清い人間として徳を積もうという姿勢で、苦悩がありありと描かれるのですが、これが禁書になった理由かもしれません。人間の愛と信仰との狭間でもがく様子を描いているので、信仰とは愛や人間存在の否定、つまり神への冒涜と受け取られたのでしょう。
構成としては幼い二人が出会い、神の言葉に触れ、それが暗示となって付きまとうんです。善き魂の通る道は「狭き道」である。二人は愛し合い、公認の仲になるが、なぜだか彼女が婚約を嫌がる。ただこのまま一緒にいるだけで幸せだからという。離れているときは手紙で愛を語り、会うと冷淡な態度を取るが愛しているという。全く理解できないので身もだえする主人公のジェローム。どんどん溝が。気持ちは変わらないが、一緒にはなれない。だんだんとそれがなんなのかわかってくる。それは徳のため。彼女が残した日記があって、それですっかり内面が分かる仕掛けになっています。
「悲しみよ、こんにちは」(訳1955年.新潮文庫)フランソワーズ サガンさん。プルーストの作品から取った名だそうです。
題名は既存の詩から借用したそうです。
女たらしで人生を謳歌するやもめの父と、それを受け入れて2年間共生する娘セシル。長年の友、クールで知的で性的なところのない美しいアンヌは、南仏の別荘に呼ばれ、あろうことか結婚の約束。それは義理の母としての責任も持たせる。責任がなければ他人の欠点は慣れるもの。自由気儘な青春は楽しいのに、それはだめと、規則正しいつまらない生活に導こうとする。自分が損なわれる。父がエルザと浮気した日、アンヌは初めて人間らしく泣いて、私たちが謝罪の手紙を書き終えると、自動車事故の知らせが届く。自由と愛のパワーが描かれる物語です。デビュー作からの成長を知りたいので、そのうちに後期の作品を読もうと思っています。
「ヌヌ 完璧なベビーシッター」レイラ スリマニさん
ゴンクール賞の受賞作です。フランス・アルジェリアの母、モロッコの父を持つ作家で、モロッコのフランス人学校を出て、パリへ。ヌヌ(ベビーシッター)の世話を受けています。2012年にニューヨークでプエルトリコ系のヌヌが子供二人を殺した事件に想を得て書いた作品です。「ルパン」にも乳母ヴィクトワール(たぶん白人系)が出て来るし、フランスでは乳母は一般的なんですね。仕事が限られる黒人の多いアメリカ合衆国やブラジルでもそうですが。日本で乳母が一般的だったのは都市で核家族の多い昭和の前半くらいまでですかね。それ以降は、女性の職業人も増えていって子どもは保育園、幼稚園、学童保育に預けるようになって行きます。
「ヌヌ」ではパリ十区で子ども二人が殺された事件から始まって、白人の金髪の美しく若いヌヌとしてルイーズの過去が語られていきます。細いが力がある。仕事ぶりは丁寧で、頼んでもいないのに掃除をして、料理もしだす。早出残業もする。雇い主の夫婦は次第にそれに慣れていく。気品があるので、公園では他のヌヌが近づかない。
けれど、気位が高いし、話せないけれど抱えていることもあって、夫婦とは友人になりたいが、使用人であるという線引きとの間で揺れるんです。
ミステリーではないけれど、なぜ事件を起こしたかということは、読み終えて、狂信的ではあるけれど、彼女の中では合理があったと思いました。
これから読みたいフランスの小説は
アントニオ イトゥルベさんの「アウシュヴィッツの図書係」
アニー エルノーさんの「シンプルな情熱」「場所」
ピエール ルメートルさんの「哀しみのイレーヌ」「その女アレックス」
エッセイやノンフィクションでは
シルヴァン テッソン「シベリアの森のなかで」
ソローの「森の生活」のような暮らしに惹かれてしまいます。