ご都合主義の帰属意識

誰だってそうだろうけど、連帯責任がきらいだ。
自ら同じ意思を持って集った団体での連帯責任ならまぁ100000歩くらい譲って容認できるが、学校のクラスとか自分の意図と関係なくグルーピングされた団体での連帯責任はまじで意味がわからない。

同じクラスって、たまたま近所の同い年の人間が集められただけなのに。
関係なく責任を負わされるのも、負わせてしまうのもなんの教育的意義があるのか理解できない。

そんなところから帰属への意識が低いのか、学生時代からあまり団体へ所属したくなかった。

「みんなと一緒はイヤ!」とか「我が道を行くぜ!」みたいな強い意志があるわけではないし、なんなら浮いてただけって可能性もじゅうぶんあるのだけど。

出席番号が必ず最後になるような苗字なので、なにかと1人残ることが多かった。
他のクラスの余りの子や、先生とペアを組むことが多く、なんとなくフワフワした気持ちで過ごしていた。

いわゆる「女の子のグループ」にも属さず(属せず)、グループ活動時は必要に応じて様々なグループに派遣されていた。
4人組を作るときは3人グループにプラスワンとして加入。
3人組を作るときは5人グループにプラスワンとして加入。
女の子たちのわだかまりを最小にするための働きをしていたと自負できる。

しかし、避けられなかったのが中学校での部活動。
強制加入&運動部至上主義の学校ではテニス部に入部した。
せめてもの抵抗で個人競技を選んだ。
それでも中学校の部活動なんて帰属の塊。
連帯責任やらチームの絆やら、まぁ盛りだくさん。

テニス部の同級生が下校中にゲームセンターへ寄り道し、学年全員で先輩へ謝罪&反省文。
何を反省したらいいんだよと思いつつ、インターネットで反省文と検索してプリントアウト。
先輩へ提出したら、「ふつう手書きだろ」とつき返されたことをよく覚えている。
【理不尽なこともある】という教訓てことで。

中学3年間苦しんだ帰属も終わり、高校へ。
部活が盛んでない学校だったことも幸いし帰宅部へ。
高校生くらいになると女の子のグループもあまりなく過ごしやすかった。
主婦しかいないバイト先では、我が子のようにおばさま方からちやほやしてもらえた。

大学生になると、それこそ帰属なんてなくなる。
授業ごとにメンバーは変わるし、もちろんサークルにも入らず。
ゼミも個人主義だったので、研究に没頭することができた。

そして、社会というでかすぎる団体に帰属。
大きすぎる団体に帰属すると逆に楽になった。

世界が広がれば広がるほどラクになることを知っている。
帰属が嫌なんてカッコつけたけど、実際はどこかに属さないと生きづらいもんね。
都合よく抜けたり入ったり、ご都合主義でいきたいネ。

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