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リモート稽古の可能性

 コロナにおいてリモート稽古という形をとってみた――といっても、なんのことはない、スマホでテレビ電話を繋ぐだけである。

 やってみると意外と、よく動きが見える……というのは、目敏いからだとよく言われるが、合理的な動きになっていないと余計な部分が動くことを論理的に理解できていれば、おかしな点を指摘できる。

 茶筅の振り方、姿勢、音……などで、どの程度の煉り具合か分かるし、照りが出ているかどうかも分かる。

 そんなこんなで、一年以上リモート稽古を、月1回やってきた。
 
 それだけ映像技術が身近になってきたということなのだろう。

リモート稽古の難点

 便利なリモート稽古であるが、難点もある。

 教えたい道具で稽古ができないことだ。

 リモート稽古は出稽古と同じで、弟子が自分で用意した道具しか稽古できない。だから、私は二つ持っている道具を積極的に弟子に持たせている。そうでないと稽古が進まない!(笑)

 これは私にとって意外にストレスだった。

 あとは、味をみれないこと。動きである程度の味の想像はつくが、そこはやはり飲まないと成長はわからない。粉っぽさや泡のきめ細かさなどは飲んでこそのもの。

 それと、自服稽古になりがちなので、点前の型が崩れてしまいがちなところだろうか。

 自服になりがちな点は、弟子が茶友を集めて、一緒に稽古を受けるようになり、少し解消した。が、やはり二服点て、三服点てといった稽古をさせたいので(当流は二服点てると茶巾を洗う手があるので、私は三服点てる稽古をすることが多い)、一度に受けられる弟子が多いに越したことはない。

 稽古内容と関係なく、お客様から質問があったりするが、こういう形式は悪くないという感触をもっている。弟子が弟子を取るようになればいいのだが、免状も取り次いでいないのでまだ、ひらかせるわけにはいかないが(笑)

 希望者が居れば、地方に弟子を持ってもよいと思うほどである。といっても、場所と道具を用意できる人しか出来ない訳だが。

 可能性としては、公民館などの茶室で道具も貸し出しているところがあるので、そうした所で遠隔稽古ということも出来なくはない。主体者がこちらではなく弟子の方になるという点が懸念事項ではあるが。

 今後は、先生同士も鎬を削る時代が来るのだろうか。切磋琢磨して、より好いセンセイになっていけるのならば、有り難い話だ。

リモート稽古の可能性

 流儀を超えた稽古が容易になるということもある。

 私は他流に稽古へいくことを禁じる昨今の風潮に疑問を持っている。自流に自信があるならバンバン他流に習いに行かせたらいいと思う。現に私は、他の流派の稽古に何度も混じらせていただいている。
 
 茶会も、茶事も、他流の人との交流で成長していくものだからだ。
 
 しかし、それには、ある程度の知識と経験とが必要不可欠で、せめて平点前がソラで一通り間違いなくでき、他流の点前との差異に気づけるほどの観察眼を養えていることを求められる。
 
 こうした流儀を超えた交流と稽古を受けるというのは、茶道を活性化させると考えるのだがどうだろう。
 
 私は別段入門しない人間に教えてはならないと、言われたことはない。学びたいという向上心だけが、必要であり、稽古をつけるなら勿論対価はいただくが、流儀至上主義というのは、今後の茶道にとって弊害にしかならないと思うばかりである。

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