自分らしさとジコチュウの違い
だれもが生きやすい世界を目指す団体[daremoga]にはいくつか大切にしているワードがあります。
まずトップに
世界で一番子ども時代を幸せに過ごせる国にする
というビジョン
そのために私たちがしたいことは
園や学校で「ちょっと気になる子」を放っておかないこと。
そして、そのために
支援者のGood Loopで困っている親子をサポートする、という具体案があります。
これらは、話し合いを何十時間も重ねて生まれてきたもので
その根底には
すべての人が「自分らしく生きること」が許される世界が本来の誰もが生きやすい世界だという考えがあります。
ちょっと気になる子は「普通の枠にはまらないなぁ」と本人も周りも感じているようです。
その子たちは、みんなが楽しそうにしている枠の中で、居心地の悪さを感じていることも多い。わたしの息子はまさにそのような子どもだったと思います。
でも、その枠からはみ出すと、周りから注意をされたり、特異な目で見られるのも怖いので、その居心地の悪さを我慢して生活しようとがんばっています。
そのストレスが溜まると
時に、家でのかんしゃく、乱暴な態度、わがままな素行、教室を飛び出すなど、周りが困ってしまうような行動が多くなる。
ありのままで〜とか、自分らしく生きる、という言葉を聞くと
「うんうん。ありのままでいいんだよね」
となんとな〜く感傷的な感じになります・・・
が、・・・ここで問題が浮上します。
自分らしさとジコチュウ(自己中心)を混同しやすい、という問題です。
「自分らしさ」や「ありのまま」とは、
・自分の価値観に従って生きる
・自分の信念に基づいて表現する
などです。
それって時に協調性と相入れない部分にもなりますよね。
他者の個性を尊重しようとすることは、協調性を重視する組織や社会では実際にややこしい課題を引き起こすことがあります。
最小単位の家庭の中でもこれを実行するのはとても難しいので、それが大きな組織になれば尚更、難しい。
ちょっと偉そうに聞こえるかもしれませんが
「ありのまま」の真の意味を理解するには
「人間をどう見るか」を深く理解していく必要があるのではないかと思います。
人の言葉や態度、行動を受け取る側の深い「人間理解」の知識がなければ、上澄のような浅い”ありのまま”でしかないと思うのです。
そのような浅い言葉を子どもたちはよ〜く見抜きます。
「表面的には”いいよ”と言っていても、やっぱり私のこれはダメなんだね」とかえって不信感を募らせ、心を閉じてしまうことになりかねません。
良いよ、と言いつつ「ダメ」というメッセージを送ることを心理学ではダブルマインドと呼びます。
「自分らしく生きていいんだよ」
「自分の”好き”を大事にしてね」
などと言いながら
「社会で必要なことなんだから、ちょっとは周りに合わせないと」
「良いとは言ったけど、やっぱりこっちの方が良くない?」
こんなふうに、相入れない2つのメッセージを送って、子どもたちを混乱させている大人も多いのではないかと思います。
かつて、私自身も
我が子をありのままで受け入れたい
でも受け入れ難い
というダブルバイドの中でもがいていました。
ちょっとしたことですが、
外遊びが好きになって欲しいのに、家から出たがらない。
お友だちと積極的に遊んで欲しいのに、公園では一人遊びをしている。
そんなとき、内側から「そのままでいいよ」という自分と「もっと良いことを教えたい・矯正したい」という葛藤があり、大抵”矯正”に軍配が上がりました。
いいよ、は「いいよ」
だめ、は「だめ」
それをしっかりと伝えられる大人が少ない、
というのも、わたしたち大人もダブルバイドのメッセージを自分に送りながら生活しているからかもしれません。
では、どうしたら、「自分らしく生きる」大切さを混乱させずに伝えることができるのでしょうか。
daremoga的な答えは
「個を知る」です。
個を知るとは「人間を知る」ともいえますが
精神的な意味というより、個というユニークで唯一無二の「体」や「発達」を知ること。
次回は、daremogaが請け負っているフリースクールの研修で先生方にどう「個を知る」ことをお伝えしているのかを書いていきますね。