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ギャル全盛期に10代だった根暗女の雑誌遍歴

○ピチレモン

小2から買い続けていた「なかよし」を卒業したあと、移行したのがティーン向け雑誌「ピチレモン」である。

私が読み始めたのは、宮崎あおいや長澤まさみ、栗山千明がモデルだった頃だ。
彼女たちはローティーンなのに雰囲気抜群で、今で言う「スクールカースト上位」な感じに満ち溢れていた。

しばらくすると、大沢あかねが誌面にものすごく出るようになった。
確かに、NHKの「天才てれびくん」で有名ではあったし、親しみの持てるキャラも決して嫌いではなかったのだが、個人的には「表紙モデルはこの子じゃないほうが良いな」と感じていた。
同じ天てれ出演者のモデルだと、同時期に佐久間信子や中田あすみが居て、私は彼女達の方が好きだったから、その子たちをすっ飛ばしての大沢あかねは、どうも腑に落ちなかった。

同時期に出た別冊ムックの「ピチレモンインテリアBOOK」の表紙も彼女だったが、モデルたちの部屋を公開する本なのに、大沢あかねだけは部屋の全体写真を載せず、部分的な写真やイラストだったのにも違和感があった。

後になって、彼女が「母子家庭育ちで極貧生活を味わった」というような話をしていたから、部屋を全面公開しなかったのには、そのあたりに理由があったのかもしれない。

○ニコラ、マイバースデイ、ハナチュー

あかねフィーバー状態の「ピチレモン」から心が離れた私は、新垣結衣や蒼井優がモデルだった「ニコラ」や、後にSDN48メンバーとなる大堀恵がモデルをしていた雑誌「マイバースデイ」などを気分で買うようになった。

中学生に上がった頃、「ハナチュー」という雑誌が創刊され、時々読んでいた。「ハナチュー」とは、「花の女子中学生」の略らしい。
これは確か、南明奈が専属モデルだった。こちらはいかにも明るいギャルという感じで、当時の世相的にもドンピシャな雰囲気だった。
スクールバッグにキーホルダーをジャラジャラ付け、ポスカで落書きして小汚くするのがギャルの流儀であった。読者モデルのカバンに「アニータ金返せ!」と書かれていたのが、妙に忘れられない。

○ギャル誌、青文字系雑誌

私の十代は、ひたすらギャル全盛期だった。自分自身はまったくギャルという柄ではなかったが、一種の娯楽として、ギャル雑誌を読むのは好きだった。
当時は、「Popteen」「egg」がイケていた。舞川あいくとか益若つばさあたりが出ていた時代。「JELLY」なんてのもあった。濃くて長くてバサバサのつけまつげ(ダイヤモンドラッシュ)がマストアイテム。

一方で、「CUTiE」「Zipper」といった古着系個性派カジュアルの流行というのもあった。いわゆる「青文字系」の雑誌だ。
YUKIやPUFFY、aiko、土屋アンナなど、アーティストがよく表紙を飾っていた。
個人的にこちらは、ギャル系より取り入れやすそうな感じだったが、なにせ私は地味顔であるため、雑誌の着こなしを真似ると「服に負ける」という現象が多々発生した。

ギャル系にしても古着系にしても、バサバサの睫毛とカラーレスリップがテッパンだったのがこの時代の特徴だ。
とにかくアイメイク重視、囲み目、眉毛はほぼ存在感なしで、触覚みたいな吊り眉。
髪はスカスカに梳いて、ストレートパーマや縮毛矯正でピーンとまっすぐにするが主流だったと思う。
多毛・天パの私には受難の時代であった。

○宝島社系

高校生に上がると、当時椎名林檎が好きだったこともあり、彼女が載っている号の「Spring」「PS」を買うようになった。
年齢的にはちょっと背伸びしたテイストだったが、この雑誌は「宝島社系」のシンプルで小綺麗な雰囲気だったので、ギャルも個性派カジュアルもイマイチしっくり来なかった老け顔の私にはちょうど良かった。
以後、私のファッションはその方面に確定され、今に至るという感じである。



SNSの普及により、雑誌という媒体は「流行の発信源」の役割を外れ、付録を書店で売るための口実でしかなくなっている感がある。
私も、雑誌はAmazonプライムリーディングに入っているものを流し読みするくらいで、紙の雑誌はめったに買わなくなった。

今年買ったのは、「FUDGE」と、付録目当てで買った「SPRiNG」の2冊だ。
「FUDGE」のムーミン&フィンランド特集、すごく良かった。保存版にしたいので、そのままムック本にして欲しいくらい気に入っている。

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