折原みと→主婦→書籍化
折原みとをリスペクトした小学校の頃から、ずっと小説を書いてみたかった。
途中まで書くも全く結末が思い浮かばず、
シャープペンカチカチしすぎて、全芯が死んだ。
それからウン十年の時を経て
結婚を機に公募を始め、川柳やちょっとした小話の投稿が入賞したときは、逐一夫に自慢していた。でも反応はない。語っても意味なし。
とある日、
語っても意味はない夫と、とある日「俺が死んだら〜話」をしていた。
唐突すぎましたね。「わたしが死んだら、いちごとビールを仏壇に供えろ」的な会話の続きだったかと思う。
「俺が今死んだら、俺のこと小説書くんでしょ?」
と言われたのだ。
えっ夫、わたしが小説をかけるって思ってるんだ、へー。
となった。
特に意味はない会話に、わたしだけ意味を持たせてた。ああ、やっぱり小説書いてみたいなー。
そのときに、たまたま目にしたのが公募ガイド社の講座だ。書いた童話を添削してくれて本にするという内容で、参加料は15,000円ほどだったと思う。
悩みに悩んだ。高い!とか値段のことではなく、書けるかどうかわからなかったから。でも童話ならいけるかもしれん、悩むかもしれんが、シャープペンのカチカチも半分ぐらいで、書ける気がすると変な勘が働き参加を決めた。
わたしの娘が小学校に入ったら読めるお話を書こうと決めた。
842gで人より小さく産まれ、人より不器用で努力が必要な娘が、わたしの童話を読んで頑張ることの楽しさを知っでくれたらなーと思い書いた。
そして、その本が…手元にない。どこへ。
公募ガイドの方は添削も優しく、気持ちよく文章を書き終えることかできた。
ちなみにちいさく産まれた娘の話はこちら(有料だがな宣伝だがな)
そして、絵本が完成した気持ちよさが忘れられず、エブリスタに投稿し賞をとり、「軽蔑」という作品を「5分後に残酷さに震えるラスト (5分シリーズ)本」に掲載してもらえた(展開早)
わたしお題があると結末が書けるタイプでした!!
世の中には、誰かの一言が背中を押すこともあるが意外にも、悩んでる人に肩を叩いて「大丈夫、俺が支えるよ!!人という文字は支えあって人という文字で…」なんて響かなかったりする。
たわいもない会話に、勇気のようなキラっとひかるものが、含まれていて、それを勝手に感じとって行動するってことが今まさに、世の中で起きてる。これを読んでくれているあなたも誰かに背中を押す言葉を発しているのである。それは、ポテチ食べながらとか、お尻かきながらとか、たられば話しや、自分語りとかかもしれない。
リラックスしている時の方が、人の言葉がよく染みるのだ。
ただぁ(粗品風)この自分語りのように一見自慢に感じてしまわれる人もいるかもしれん。
わたしにとってはおばのシンデレラストーリーだったりするので。
こんな風に自分は変われたよ!というのは
「ふん、聞いてねぇし」となるかもしれぬ恐ろしさもある。
が、そこがnoteのええところ。読みたい人が読んでくれる。会話と違うし、一方的感あってもいい感じ。
でも、もうええでしょう。気にしないで語ろう。
自分の言葉がだれかをポンして、ピンさせている可能性信じよう。
(完)