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むしろ、幻想水滸伝。

最近、ゲーム沼から抜け出せません。自称映画狂でしたが家ではWOWOWの録画を消化するのが精いっぱい。
正直、じっくり所有ソフトを見るよりゲームでボケーっとしてたい感じがあります。情報過多の時代だから。

さて、私は盲導犬RPGのドラクエ沼にハマりまくってますが日本のRPGと言えばドラクエ、FF、またはマザーシリーズ、ちょっと変化球でも桃太郎伝説、ファイヤーエンブレムくらいしか浮かばない人は多いと思います。

ゲームフィルの人は全然違うでしょうが。(今考えたゲームオタ用語)
私は大学時代、ためたお金でPS1を買い、どっぷりと当時呼ばれた次世代機を堪能した世代です。
PS2、ドリキャスまでは付き合えたが。
コナミ、カプコン、この二社に共通して言えることはこの令和の時代においてもどことも合併せずに会社が存続していることです。
ほとんどの優良サードパーティーが合併しまくってるのにこれは驚異的です。
バンダイナムコ、コーエーテクモ、スクエアエニックス、等々。
一部上場企業になるためには仕方ないのですがコナミはスポーツクラブ経営、まあ知らないだけで他もやってるでしょうが。
カプコンはガチでゲーム開発のみ。凄いことです。ストⅡの事もあるし、モンハンあるし、バイオシリーズもあるから前途洋々ですけどね。

さて、時代は遡り、90年代後半。コナミが水滸伝を独自解釈で幻想水滸伝というタイトルでゲーム化しました。

実は私の中では全く知らないゲームでした。そしたら当時のファミ通が米国で初登場一位のゲームなったと報じていて、(ネット未発達時代)ならばやってみようと思い購入。

やったらハマりましたね。ドット絵の絵柄に複雑なゲーム展開、108人の仲間、全員集めるのがとても大変。そして何よりもその世界観の奥深さ。

呪文の組み合わせは無限だし、このシリーズは自力ではコンプリート出来ないと把握して完全攻略本買いました。
そして、一作目の興奮冷めやらぬうちに2作目。
両方の主人公が組み技をすると凄まじいことが起きる。メモリカードでのデータ引継ぎは当時は斬新だった。Wi-Fi時代ではありえないことですが。

2作目、とあるシーンで私は泣きました。そしてそれを108人集めたら回避できることを知り、とことんやった。

もっとも、PS2になってからはやってません。やはり、ドット絵好きにはレトロがいいのです。

そして早ければ今年の冬にごろに1&2のHDリマスターが出る。

もはやスイッチはかつてのSFC化しましたので、ありとあらゆる面白いゲームは集まってくる。PS5でも出ることも多いですが主戦場はスイッチです。

ドラクエのHD-2Dは多分、二作を多数ハードでの同時展開で多分300万本は出るでしょう。その位の力は軽くある。

しかし、幻想水滸伝を忘れては困る。

あれを、発売をのばしてまでコナミさんはとことん煮詰めている。ならば期待せずにおれましょうか?

私の中の大本命です。

昔、私が小学生の頃、当時の学者が1.5人のコミュニケーションだから早くゲームをやめろと言ってましたが全くの見当違いでした。

つい最近も香川県がゲームのプレイ時間制限とか県条例でなんだかんだやってましたが、誰がそんなものに従うか。

優れたゲームは一冊の書物、一本の映画、いや、優れた絵画を鑑賞するのに匹敵するくらい素晴らしいものです。

総合芸術化したのですよ、とうとうゲームが。

世界中がソニー、任天堂、マイクロソフト、またはPCのスティーム系で常に新しいゲームを模索して制作して発売してます。

この流れはいつまでも続くと思います。

現実はとことん腐っているし、大手企業、官公庁、人間の集団に期待しても無駄だと誰しもが気付いてしまった。

だから、スマホ依存も、ゲーム依存も、誰も本質的には責められない。だってこんな世の中に真面目に向かうあうなんて馬鹿げているから。

世界は多分、緩やかに衰退していくでしょう。何百年かかけて。

宇宙で人が暮らせるように確実になれば人口は延々と増えます。ジェフ・ベゾス氏とイーロン・マスク氏は100年後の未来を考えたら人口は少ないと言っている。

スペースコロニーや人間居住可能地域が宇宙に無数に派生したら人口が500億人いようが一兆人いようが生活は問題ない。

要は、人の心の問題です。大都会、薬物依存者が減らない。田舎、閉塞的であるが衣食住には困らない。

地球の許容量としてはこれ以上の人口増加は望ましくない。新興国、貧困国はとんでもない勢いで人口は増える。かたや経済的に成熟した国は減り続ける。

ならば、人がちゃんと向き合って考えるべき問題をきちんと100年、300年計画で考えねばなりません。環境保護団体にはその視点がないからテロリスト扱いされる。

極端な話、人間だけを消し去るならエボラウイルスを生物兵器化したものを世界中でばらまけば五年で人口の99%はいなくなります。あれは致死率が高すぎるウィルスだから絶対に逃げられない。

そのような事態にならなくても酸素濃度の変化やさらなるウィルスの発生が続けば人は自宅、自室から出ることが不可能になる。

すると、運動能力の低下、鬱病の発症率上昇、等々問題が出てきます。

つまり、メタバースなり、ゲームなりで世界と繋がらねば人が人たり得なくなってくる。

スピルバーグのレディプレイヤー1にはその視点が一切なかった。だから大した作品にならなかった。

マトリックスも、それ以降に続くVR世界を描いたものもその到着点を超えられなかった。

ロバート・ロドリゲスのドミノは超一級品の作品ですが世間が理解するのは先でしょう。

世界にはゲームが必要であって、戦争、飢餓、自然災害、この21世紀がどこへ向かうかは誰も分からないし預言者などいません。

だから、日本という稀に見るコンテンツ王国は世界を救うためにアニメ、漫画、ゲーム、と生み続けなければならない。それが定めだから。

私たち日本人は世界最高レベルのサービスの恩恵を受けられる稀に見る恵まれた人種です。

極端な話、スマホとコンビニさえあれば何不自由ない。

メディアコンテンツは星の数ほど増大しつつそれが減ることなどありえない。

そして、目利きも世界中にいる。

ならば、とことん人生は遊ばなきゃ。今、100年の孤独の文庫本がベストセラーですが私はハードカバー時代から知ってましたがやっと時代が追いついたかと。

人は孤独であると知る時、最も孤独ではない。私が大好きな言葉です。

言った人は覚えてません。孤独を愉しむか、嗜むか、苦しむか個人個人の小さな脳みそにかかってます。

人は両親に産んでもらって、一人で死にます。孤独とは、媚薬であり、猛毒になる時もある。

でも、それはいやしでもある。

人は必ず死にます。それがどうした?

何千年前の人々もよく知っていたし、秦の始皇帝、エジプトの王たちも不老不死や復活を願ったが不可能だった。

今生きている、この奇跡は誰にも犯せない。自由がある国に生きる人、制約が多すぎるが必死に抵抗して足跡を残す人。様々です。

混迷、混沌、修羅、今の時代を正確に表現できる形容詞はないでしょう。ああったとしてもそれは50年後の歴史学者が思いつく。

だったら、子孫繁栄とか、国家の維持とかは偉い人に任せて庶民は欲を求めていいでしょう。
それができるのだから。日本人は戦国時代から今に至るまで世界で稀に見る倫理観を持った人々です。

世界が覇権国家を諦めて、無気力で最低限の労働しかしない時代は決して来ないでしょう、だったら、この極東の国の人間としては今を楽しみましょう。

能登半島、秋田、山形、四国、南九州、関東甲信越、災害だらけです。だが死んだ人は少ない。世界的に見たら。

ならば、状況復活能力の高い日本のシステムを利用してなるべく早く、通常の自堕落でもいい日常に戻るために日本全体が復活すべきです。

パリオリンピックは大成功でした。フランス人は日本に対して優しかった。

いや、世界が、日本に期待している。その稀に見る日本文化に。

だったら日常を楽しめる事を噛みしめて今を生きればいいのです。

なんか、語りだすと長い素の自分を思いっきりさらけ出してしまいましたが、江戸川乱歩の夢の世界こそ・・、が好きな身としてはやはり、自己認識できる世界を愛したい。

世界は美しい、これから先もずっと。

だから、幻想、に浸るのも悪くないと思うのです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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