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happy ever after

月がきれいだ。
明日は満月らしい。

インスタで星読みをする人の記事を見ていたら、満月には心の浄化、そして新月には願い事をするといいと書いてあった。

特に気にしたことはなかったけれど、今月のしたいことリストを書いていたら、たまたまその日が新月だったとういことは結構ある。
きっと、宇宙の一部である "私" は月の変化を体で感じているのだろう。なーんて。

今日夕方4時ごろ、‘‘ご予約の本の用意が出来ました‘‘と地元の図書館からメールが来たので、今から行くと帰り暗くなるからどうしようかなと思ったけれど、散歩がてら家を出た。そしてやはり帰り道、暗くなってしまった。

借りたのは青山美智子の「リカバリー・カバヒコ」。
新刊なので予約してから半年くらい待ったと思う。
青山美智子の本はちょっと明るい気持ちになりたいとき、あったかい気持になりたい時に読む。

今日、手元に届いてちょうどよかった。

おそるおそる村上春樹の「雑文集」も借りた。
なぜおそるおそるなのか。
「ねじまき鳥クロニクル」以後、村上春樹の書く本が読めなくなってしまったからだ。ストーリについていけなくなった。私には内容がエキセントリックすぎると感じるようになってきた。
もしくは年を取って静かで流れるようなストーリーを好むようになってきたせいか。
もし彼が、「1973年のピンボール」や「風の歌を聴け」や「羊をめぐる冒険」のような作風の小説も今でも書き続けていたら、まだ読んでいたかもしれない。彼が書くストーリーは変わっていった。
彼の小説家としての成長に私が追いつけなかったのだ。

もうひとり。レイ・ブラッドベリ。
もともとアメリカやイギリスの文学が好きだったので、高校生の時からブラッドベリの小説は原文で読んでいた。文章の美しさに惚れ込んでいた。
「Dandelion wine」が一番好きで、ボロボロになってしまった洋書を今でもベッドの横の本棚に置いてある。読み返したくなった時、すぐ出せるように。
イリノイ州グリーンタウン、1928年、夏。ダグラス少年の周りで起こる美しくノスタルジックでちよっとcreepyな物語。
そう。ブラッドベリの書くストーリーは美しいけれどcreepyなのだ。

大人になって小説には美しい文章と心あたたまるストーリー、そして``happy ending``しか望まなくなった。
冒険や奇跡、不可思議な巡り合わせは人生の中で充分経験したから。

今夜はこれからリカバリー・カバーヒコを読んで暖かな夢のバスタブにゆっくり浸かろう。

もう雨戸を閉めないと。
月が綺麗だ。