考えず感じる読書
『サンショウウオの四十九日』を読んだ。
社会人になって以来長らく、気が乗らないと集中して読めない・慌ただしさにかまけて読まない状態なので、読書はある時に突然イッキ読みして、その後はパタリと読まなくなることが多い。
『サンショウウオの四十九日』は、芥川賞発表のニュースで紹介されていた筋書きに惹かれ、出版社HPの試し読みで冒頭のスルスルと入り込んでくる文章に、直感的にこれは読めると思ってそのまま購入した。
前回、小説を読んでから3ヶ月振りで、かなり久しぶりの読書だったが、呑み込まれるようにイッキ読みしていた。
なかなか表現しにくいが、夢中になって読んでいた。語彙力がない感想だが、とにかく面白かった。
物語は結合双生児の主人公二人の一人称視点で、二人の間を視点が行き来しながら進んでいく。視点転換のタイミングは曖昧で、気付くともう一方の視点に入れ替わっている。
今はどちらの視点なのか、正しく理解しながら読もうとすると混乱してくる。多分、二人の感情に呑まれて流されるように読む方が向いている作品のように思う。
二人の人格それぞれの思考や感情が、入れ替わり立ち替わり流れ込んでくる。
一つの身体に一つの人格が当たり前だと、ひどく異質な状況のようにも感じるが、状況を理解しようとは思わず、ただ感じるままに読み進めていくと、だんだん身に覚えがあるようにも思えてくる。
ぼーっと夢想しているときや取り留めなく考え事をしているとき、脈絡なく何かが思い浮かんだり、主題だった思考がいつのまにか別の思考に入れ替わっていたりする。
ままならないことが起こって負の感情に頭がじわじわと支配されるとき、自分ではコントロールできない別の何かに翻弄されて思わず叫び出したくなる。
そんな時々の感覚に近いものを感じた。
二人の視点の入れ替わりを正確に理解しながら読もうと思うと、自分とは縁遠い異質な状況だと思うだけかもしれない。
一つの身体に起こる思考として、深く考えず、ただただ呑まれ流されるままに追体験するだけのほうが、この作品は身近なものになるように思う。