こうして私は書くことに没頭してしまう(12月エッセイ③)
こんばんは、土曜の夜ダノです。今週のnoteを公開します。タイトルは『こうして私は書くことに没頭してしまう』です。見てくださる方々のおかげで、15,000回閲覧を達成しましたので、記念として書きました。
1.noteを始めるまで
元々文章を書くのは得意だった。小学校の作文コンクールでは入選したこともあるし、高校で毎年宿題に出ていた読書感想文では校内選考を通って県全体のコンクールに出品させられたこともある。当時の課題は、介助犬と被介護者が主人公で、その介助犬が事故に遭って尊厳死させるか否かをその被介護者が迷ってしまうという感動的な物語だったが、元来ケチな私は本を買う行動に出ることはなく、想像で書いた。AMAZONや本屋の紹介ページを見ておおよそのストーリーは把握できたが、それだけでは原稿用紙1枚も埋まらない。仕方がないので、それに加えて、世界史で学んだ人間と犬の歴史や、身体障害者の尊厳死の可否の持論について言及したアカデミックな文章になった。書くのが止まらなくなって結果的に5枚を超える力作になったのだ。当然、ここまでアカデミックな作文を仕上げてきた猛者はいなかったらしく、「尊厳死についてここまで書いた作文は初めて見た」という褒めているのかどうなのか分かりにくいお褒めの言葉を担任から頂いた。尊敬している先生からも、「お前は文才がある」と言ってもらえたし、ここでナルシストでもある私は、「書くのは得意なんだ」といらない自信を持ってしまったのである。
自称”文才がある”兼ナルシストな私も、その才能を如何なく発揮して売り込み営業をした結果、見事大学に合格し、1月から時間を持て余しそうになった。ボランティアを始めるのは決めていたし、大学から始めるフランス語の勉強もある。遊ぶにもコロナが怖くて家からあまり出たくはない。そもそも、国立推しの高校で私立進学確定者はほぼいないから遊びに誘えない。あ、そもそも論として、友達も少ない。少ない友達はみんな国立大学を受験するから気軽に誘いたくない。
さらに、せっかく早く進学先が決まったので、人とは何か違うことをしたい我儘な一面もある厄介なやつだ。今まで窮屈な全体主義の中で前ならえで生きてきたのに、急に実力と環境さえあればなんだってできると言われる新自由主義に入り込んでしまうとこうなる。実力があると勘違いをした私を止める術はなく、結果的にTwitterを初めて、造形が幾分かある「地方創生」について発信を始めた。1ヶ月ほど経った頃、DM欄に見慣れないメッセージが届いた。テレビ出演の依頼と書いてある。とうとう自分の文才がテレビ様にまで届いてしまったかと意気揚々と書いてある番号に電話をかけてみる。電話に出てくださったのはNHK関連の制作会社の方。なんでも、地方の学生にコロナ禍での進学状況や学校生活についてパネラーとして出演してほしいとのこと。2年ほど微力ながら地方創生に取り組んできて、その成果で大学に進学する身としては十分すぎるほど適任であると思ったので、即答で許諾した。その後事前インタビューがあり、そこそこの意見を言った。結果は「不採用」。ええええええええええええええええええええ。後日、出演する予定だった番組を見たが、全員電話インタビューを受けた私よりもイキイキ話していた。ゲストの尾木ママさんとMCの小山アナウンサーとのトークも脂が乗っている。
ここでようやく、あれ、俺、話すの得意じゃない?書くのだけ?と悟ったのだ。要するに、非文面上のコミュニケーションが苦手だったのだ。
当時、すでに新入の慶應生のコミュニティーが出来つつあり、その中で個人の立場も確立しないと大学生活の良いスタートをきれない。そこに、コミュニケーションに困っていた私を救う存在が登場した。clubhouseだ。ラジオ感覚で人と話せる機能があるらしく、ミーハーの私も参画。新慶應生のコミュニティーを広げようとかいういらない節介で番組を組んでは毎日放送していた。ただ、日向で暮らしてきた民族と、日陰で気の合う人しか付き合わない民族とではトークが合うわけもなく、トークが続かなくなって1週間でやめてしまったのだ。情けない。期待したclubhouseを辞め、人とコミュニケーションをとる機会をキャッチアンドリリースしてしまったので、もうあとは文面でコミュニケーションをとるしかなくなり、当時、少しだけ知名度が上がっていたnoteに目をつけたのだ。
要するに、始めた理由は話すのが苦手だったからだ。
小説を書く人も多かったが、登場人物が私の周りだけだと3週間で一周してしまいそうだったので、エッセイを書くことにした。こうして、自称”日陰坂1”の圧倒的センターを務める私とnoteとの毎日が始まったのだ。
2.書き始めた変化
最初のnoteは(もう消してしまったが)自己紹介を書いた。「最強の補欠」だの「裏方のスペシャリスト」だの、今考えただけで背筋が凍るような寒いnoteになったが、これが500ビューでそこそこ見られた。無名な一般人であるし、インスタグラムと違って流れた勢いで見るのではなく、わざわざリンクをクリックして読まないといけない面倒臭さがあるので、こんなに読まれるのかという快感を得た。普段のインスタでも100いいねもつかないのに、こんなに読んでくれるのか〜と自分に感心した記憶がある。言葉の力に感慨深く耽ったし、書く気力にもなった。
書き始めてからというもの、精神が安定するようになった。大袈裟であるが事実である。昔、あちこちオードリーという番組のゲストでファーストサマーウイカさんが出演されていた時に、彼女が当時出演していたANN(オールナイトニッポン)は秘密基地だと言っていた。さまざまな仕事の中で、唯一安心できる仕事だそうだ。私も似ている。バイトは接客業で慣れていないし、そもそも人と話すのも苦手。そんな中でnoteはオアシスだろう。
情報処理の授業でも、『月間1,500PVを誇るnoteクリエイターダノがその魅力を伝えたい』というタイトルでプレゼンを今度する。その中の自分に訪れた変化として、社会に寛容になったことを挙げた。東京に来たばかりの頃は、周りの目が気になってしょうがなかった。地方で通用したものと東京様で通用することは違う。例えば、地方からノコノコ出てくると、女性の美しさがインフレしていて、え、こんな可愛い子いるの?くらいになってくる。男子校出身者が、ほぞ全ての女子を可愛いと思ってしまうのと同じ現象が私にも発現していた。そんな中、美女と手を繋いで睦まじく歩いているのを見てキーーーって思ったり、大学でキラキラ系サークルを見ては、羨ましく思ったりしたものだ。ただ、noteを書き進めてくると、そんなことはどうでもいいなと思えた。人それぞれの価値観は違うし、授業の他にサークルに精を出すのも良し、バイトに精を出すのも良し、インターンをしてみるのも良し、何もせずボーと過ごすのも良しなのが大学なのだ。当たり前なのは当たり前で、それに気がつけ、周りに斜めの視線を向けなくなったのもnoteの大きな功績と言えるのでないか。
3.社会との階梯
「note案件」が口癖になりつつある。街でセールスマンに声をかけられた時、バイトのちょっとした出来事、街を歩いていて見つけたこと。あ、これ書けるなってことはiPhoneのメモアプリに少し走り書きをしておく。毎週出すことを目標にしている(できていなかった時期もあるが)。大体1本3000字くらいで計算している。書き出して、オチが見え出したらそこで書くのをやめると大体3000字くらいになる。多分、昔から感性の度合いが変わっていないから、オチや結論までの時間が同じなんだろうと思う。
書くことを続けると少なからず良い影響がある。「継続は力なり」は本当なんだ。いい影響、それは「コミュニティーへの帰属」だ。大学の入学式で「ダノ君だよね?」と声をかけてくれる人も多かったし、それがきっかけでできたコミュニティーもある。化学の実験の授業でも、英語のプレゼンの授業でも、名前を名乗らなくても、「noteの人」と分かってくれるから、繋がりを持つのに助かる。バイト先にも同じ大学の方が来てくれたことがあるが、「ダノ君ですよね?noteで見ました」と声をかけてくれて、他のお客さんには見せたことのないハニカミでレジを打ったのを覚えている。隣にいた彼氏さんは渋い顔をしていたが。
4.これからのnoteと東京に染まった私
最近、東京に染まってしまった。表参道を覚えて、毎回パーマ・カラー・カット込み込みで1万円かかる美容室に通っているし、銀座を覚えて値段を見ずに4万円を超えるPaulSmithのトートバッグを買ったこともある。
スタバでは、昔、お小遣いが少ない時期に、トールかショートのアイスコーヒーで迷い、タンブラーで20円引いてもらい、さらに、氷にお金を払うのはちょっと...ということで、「氷なし・液量多め」のアイスコーヒーがトールアーモンドミストに様変わりした。リワードチケットがたまらないと飲めなかった、「ホイップ多め・シロップ多め・チョコチップ追加・氷少なめ」のベンティサイズのキャラメルフラペチーノだったが、今ではチケットがなくても、フラペチーノをベンティで頼み、「アーモンドミルク変更・ホイップ抜き」カスタマイズを堂々と言えるようになった。ラテに至ってはディカフェ変更という夜に優しいメニューを頼めるようになったのだ。今までバーカウンターに案内していた側の自分が、レジ出しのコーヒーしか飲んでいなかったあの私が、ミストやフラペチーノを取りにバーカウンターに並び、「どこのPTRさんなんですか?」という問いかけに軽快に答えるようになった。
ただこの”成長”の背景には、強いものor弱いものの格差を前提とする新自由主義の功罪があり、その社会の中で甘い蜜を吸ってきた自分もいれば、キラキライケメンと比較して苦汁を啜る自分もいる。でも、小学生の時、みんなが妖怪ウォッチに勤しんでいた間に塾に通い、中学校では部活と勉強を両立させ、高校では生徒会や部活、まちづくりに関わり、忙しい日々を送ってきた結果、甘いフラペチーノを喉に通すことに成功しているから、割と上出来だろう。
これからも誰かとの競争に勝って、誰かとの競争に負けて、手に入れたお金でスタバに行き、PCの電源を入れ、せっせせっせと案件を文字起こしする毎日が続いてしまうのだ。