安い美容院のカラクリに潜む闇
もうずっと行きたい美容院が定まらない。
髪の毛を触られるという行為は、プライベートスペースに踏み込まれる訳で、警戒心が人一倍強いわたしは、その行為をする相手をくまなく観察してしまう。
同じように美容師の方もわたしを見て似合う髪型や性格を想像しているように思う。
今日行った美容院は、劇的にみんな疲れていた。普通店のドアを開けると誰かが気づいて挨拶をしてくれるのだけれど、そういうのがなかった。ちょうど受付の人がトイレに行っていたみたいで、出てきて「あっ、どうも」という雰囲気になったけれど、「いらっしゃいませ」って発しなかった。感じが悪いとかではなくて、「いらっしゃいませ」って言う余裕がない感じだった。
まだ出来て新しい様子で内装がオシャレで、かかっている音楽も(きっとどこの美容院でもかけている有線だろうけれど)特別オシャレで耳障りよく聞こえた。天井から小さな観葉植物が垂れ下がっていたり、ブリキの缶が置かれたりするのを見てカントリーがコンセプトかなと思った。でも、その中に青い船のハンドルを見つけて、それだけが浮いているように見えた。そこから、もしかしたらタダなんとなくお洒落なものをかき集めて雰囲気で仕上げただけの部屋なのかもしれないと思えてきて、私は雰囲気に騙されかけてるのではないか?と思えてきた。
そんな風に何もかもを懐疑的に見てしまうのは、この初めて来た美容院が他のところより断然安いからだ。
わたしが今日指名した人は、口コミで人柄が良いと書かれていた人だった。真心込めて接しますと一言あった。
そうして、予約していた時間が来て奥に通されて驚いたのは、なんと受付の人だと思っていた人が指名していた人だったのだ。
載っていた写真がうつむいて髪を切ろうとしていたところだった事を踏まえても、全く別人だった。太っていた。それは、ストレス太りに見えた。
笑顔を一生懸命に作るのだけれど、笑いながら泣いてるみたいに見えた。「もう、わたししんどいんですー(涙)」
これから髪を切ってもらうのが、なんだかとても気の毒に思えた。「ちょっと休憩したほうがいいですよ」と言いたくなった。でも、体力はありそうに見えたので、「私、体力あるんで大丈夫です。」とも言い返される気もした。
そんなこんなで、カットとカラーとトリートメントをしてもらい、破格の税込6500円だったのだから文句は言えまい。普通なら、初回割引があっても8500円以上はする。しかもこれが、初回だけじゃなく、毎回なのだからお財布には優しい。
私はまた行きたくなるだろうか。安いけれど、従業員がゾンビのようになって働き、なんだか心配になる。安いからやっぱり技術はないんじゃないかと不安になる(切ってすぐはキレイにセットしてもらうから、しばらく経たないと良かったかどうか分からない)。髪の毛を触って、癖の生え方や悩みを聞いて、親しくなってからカットしてほしかった。それでも、嘘でもお客様のために笑おう、しんどいけど、仕事を懸命にしようっていう気概に心は揺れた。
最近あまり人とちゃんと接していなかったわたしにとって、久しぶりに人の魂に触れた気がして、モクモクとエネルギーが沸いた。
だから、そんなエネルギーを受けて、今日の感想をこうして書いてみて美容院のことを総合的に判断したい。
書いてみて思うのは、美容院の制度が水商売に似ているということ。写真を見て好きな人を指名してオシャレで非現実な世界に行って、おもてなしを受けて良かったらまた同じ人を指名する。サービス業とは、どこも似た感じなのだろうか。
奉仕とは、経営とは、社会貢献とは何なんだろう。その裏側には、ブラックホールのようなものが透けて見えて、限りない闇が広がる。それが見えた時に、わたしはそちら側に行けないと思った。けれど、社会に生きている限り、このブラックホールからは逃れられない。あと、悪いものかと言われたらそうとも言い切れない。でも、闇は闇として決して表には出てこれない。出てきたら抹殺される。それが、闇だ。上手く循環をさせることが大事なのだろう。闇を次のものに、そう、光に。
人と関わることは、良くも悪くもエネルギーを分け合う。だからこそ、心のこもった交流や、動かしていない部分を動かすために新しい出会いが大切だと思う。
闇と共存して、それを上手く還元し、エネルギーを分配する。売れている、繁盛している店とは、疲弊するけれど、エネルギーが溢れているのだった。