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【無名人インタビューの御礼】幼児通勤
皆さま、こんばんは!
今朝アップされた、私、ダニエルの無名人インタビューの記事を読んでくださった方、本当にありがとうございます。
また、これからもどしどし読んでいただけると嬉しいです!
さて、自分でも自分自身のインタビューを見返しました。感想としては、出会いに恵まれた29年だなと、だから、今までnote界隈も含めて出会った方々に改めて感謝したいと思いました。
いつもいつもありがとうございます。
今日は、人生を振り返った勢いで、少し乳幼児期の話をさせていただきます。
私は、自分でいうのも何ですが、とても性善説な人間だと思っています。人を疑うということがほとんどありません(故に裏切られた時はぶちギレますが。。)。
世の中にいる人は頼めばみんな自分のことを助けてくれる存在だぐらいの感覚を常に持ち合わせています。
それでは、私のこの図太さとド厚かましさと人を信じる清らかさはどこで育まれたのか、今日はそんなお話です。
1.幼児通勤
私は1歳6ヶ月から2歳5ヶ月ぐらいまでの間、幼児通勤していました。皆さまに伝わるように書くと、
1歳6ヶ月から2歳5ヶ月くらいまでの約1年間、毎日片道10分ほど電車に乗って、ママ友が運転してくださった車にも乗って、姉のお友達の家に通い、そのお宅でお昼間の時間を過ごしてお昼ご飯も食べ、また車と電車に乗って帰宅するという生活を送っていました。まだ発達のことなど誰も何も思っていなかった時期のことです。
端的に書くと、1年間毎日隣の隣の隣町くらいにある家族のお友達の家まで電車等で通い、そのお家で過ごさしてもらっていたということです。
1歳の頃からまるでサラリーマンかのように通勤電車に乗っていたのです。
2.通勤の理由
なぜそのような事態になったのか、詳細は省きますが、端的にいうと姉の通う幼稚園と我が家が遠かったことが原因です。車に乗らない母は、家から離れた幼稚園まで電車に乗って子どもを連れて行かねばなりません。そして、また電車で幼稚園から子どもを連れて帰らねばなりません。そこで、娘が幼稚園にいる間、比較的幼稚園の近くにお住まいだった姉の友達のお家で待機させてもらっていたということです。
まだ1・2歳であった弟の私を自宅に置いていくわけにもいかないので、私も赤ん坊のような時期から隣の隣の隣町くらいまで毎日電車に揺られて通っていたのです。
おかげで、朝の支度は早い人に育ちました。
3.優しいママたち
ところで、その私たち母子を預かってくれるお家にはまた別の家の方も常時いました。そのお家も幼稚園から家が遠かったのです。
これでだいたいの登場人物が出揃いました。
ここまで書いた通り、私は1歳から2歳にかけての時期を他所様のお宅でママ以外のママたちにも可愛がられながら育ったのです。それは、それは、ママ以外のママ、いや何人ものママたちからも優しく優しく優しく接してもらいました。
ある時からは、人様のお宅にも関わらず
パン チン パン チン ニュウニュウ
(パン焼いて! 牛乳入れて!)
モーモーさん(ヨーグルト食べたい)
などと勝手を言うようになりました。
その方々は、一つ一つに嫌な顔をせず、対応してくださったそうです。言いようによっては、私は他所様の冷蔵庫を物色していたわけです。
たくさんのお膝で育ち、テーブルの上に置いてあるおやつも自分の手ではなくママたちの手で取ってもらえるような楽園で1年間過ごしました。
私には当時の記憶がありません。
毎日グスることなく、朝から出かけた私だそうですが、グスる理由などなかったのでしょう。
我が家に居るよりパラダイスが待っているわけですから。
これが、世の中にいる人は皆親切だという性善説が構築された原点です。
ありがとうございました!