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自分を苦しめるということ/自分を傷つけるということ
1.はじめに
今まで、自分で自分のことを大いに苦しめ、自分で自分のことをいたく傷つけてきたと思います。そして、正直、これからも、自分を苦しめたり、痛めつけたりすることはあるのだと思います。
自らを自らの力で苦しめたり、傷つけたりしている人は、私に限らず世の中にたくさんいらっしゃると思います。少なくとも、私が教育現場で見てきた限り、多感な時期である中学生や高校生たちの何人かは自らの葛藤にもがき、その結果自分自身の力で自らを攻撃していました。
彼ら彼女らも同じかは分かりませんが、私の場合は、
なんで、自分は頑張りたいしもっと力を付けたいのに頑張れないの
なんで、こんな自分って弱いの
といった感情を持ち続けることで、自分で自分を締め付ける方向に走ってしまいました。
もう少し、具体的に書くと、
なんで教室に入りたいのに、保健室登校がやっとなの
もっと努力したいのに、なんでこんなめまいがするの
という苦しみが、私が私を苦しませる種となりました。
2.周囲も苦しむ
私の両親は、我が子である私が自分で自分を叱咤し続けて、その延長で自分で自分を痛めつけるような感情に走ってしまった時、見ていて本当に辛いと言います。
我が子でもありませんが、自分の生徒が、はじめは良い意味で自分を高めていたはずだったのに次第に自分を叩きのめすかのように自己否定に走り出した時、見ていて心が痛みました。整理してみると、私が教職を一度離れたきっかけは、その一つ一つの光景に先生である自分までもが耐えられなくなってしまったからでもあります。
自分で自分を苦しめ、痛めつけていると、周り回って周囲の人をも傷つけることになるわけです。
3.なぜ自分を苦しめるのか
それでは、人はなぜそこまでして、自分にとって一番大切なはずの自分を苦しめてしまい、時に傷つけまでしてしまうのでしょうか。私は専門家ではないので分かりませんが、自分の経験を振り返ると、自分自身に裏切られたという感情が起因となって、自分自身を攻撃してしまうのだと思います。
2人以上人がいたとして、誰かに裏切られてしまうと、人は怒りや苦しみの感情を覚えると思います。
なんで、この人はそんな裏切りをしたんだ、
なぜ、自分は裏切られたのか
と腹が立ったり、失望の念が生まれたりすると思います。
相手がいて、相手に裏切られたのであれば、上記のように他人を責めれば済む話です。しかし、裏切った相手が自分自身の場合、怒りや失望のベクトルは己に向いてしまいます。
なんで、こないだ頑張ると誓ったのに、自分の体と心は頑張ってくれないの
なんで、教室に行きたいのに、身体が付いてこないの?
こうした一つ一つの自分への失望、自分自身に裏切られたと思うことの積み重ねで、自分で自分をボコボコにしてしまうのだと思います。
4.傷つけてはいけない
今回のタイトルは、
自分を苦しめるということ
自分を傷つけるということ
です。ここからは、より個々で解釈が変わると思いますが、私は自分を苦しめるのはアリでも自分を傷つけるのは絶対良くない
と思うタイプです。
私が古い考えの人間だからからもしれませんが、苦しむということは人生の中で大切だと思います。苦しい経験がなければ、楽しい経験を楽しいと感じられないのではないかとも思えます。己にプレッシャーをかけることでより精度の高いところを目指せることもあると信じています
しかし、傷つけて得をすることは何もないと思います。理由はありません。傷つけていい存在など、モノ・他人・自分、何をとっても無いと思います。
5.傷つけない約束
もがき苦しむことと傷つくことは別だということを念頭に置くべきだと強く思います。自分で自分を追いつめることで切磋琢磨するにしても、絶対に自分で自分を傷つけるようなことがあってはならないと頭に叩き込むことがまずはじめに必要だと思いました。
自分を傷つけないと宣誓できてはじめて、自分に正しく負荷をかけられるのだと