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選挙の結果に過大な期待はしない/結果と失望の向き合い方とは?/投票行動に意味はある

私達の、自由・人権・生活(経済)を左右する、選挙が近付いています

"当選=彼らが手にする特権は、法律の在り方と税金の使い道を、大きく変えることが出来るからです"

何度も選挙を経験して、投票に行かない人が多勢の中で、組織票を持つ人が勝ちやすかったり…

公約を破ったり、手の平返しの変節を起こし、大きく期待した分だけ、とってもがっかりした…

私自身が、失望と諦めに何度も陥いる、経験をしました…

では、投票も行かず、無関心でいいのでしょうか?

"自分1人が投票に行っても、大勢は変わらないでしょ…"

気持ちは理解できるし、その考えも、一理あるとも思います

ただ、1人の個人として考えると、あなたご自身が社会と、どう向き合うか?ありたいかという所に、行き着くかと、私は思います

昨年からの悪政禍と、失業中故の時間で、右往左往や失敗や間違いを経験して、民主主義の有り難さや、現実との折り合いを、どう付けるかが、少しだけ、私なりに見つけられました

"選挙の結果が、どうであれ、当選した議員には、生活や経済についての、意見や要望を伝え続けましょう"

地元と関わらなくても、地元民を意識したり繋がりを持たずに済むように、改悪された選挙制度の問題点も、ありますが…

"当選したら、何も口出しが出来ない約束や契約を、私達は当選者と交わしていますか?"

当選者と考えや意見が違っても、違う視点や視野から伝えていいし、、、

本当の国民の代表者であるならば、多様な意見や想いを自らが掬い上げ、国政に反映して、法律や予算の在り方を修正したり、創造するのが期待される役割です

が、、、

しかし、実際の現実との大きな落差は、薄々でも・明確にでも、感じている人が多数では、ないでしょうか?

特定の人達の意見や考えだけが優遇されて、予算も法律も優先され続けている…

"仮に投票に行こうと思っても、どの候補者を選べばいいのか?"

選挙の時だけ、国民を意識した、甘言が飛び出したり、近視眼的政策の実現・成果を自慢するのが、恒例行事ですよね

悪政禍で、多くの人達が生活に苦しみ、自死を選択された方が多いのに、何やらスポーツ大会を強行開催したりと…

こうした、ツッコミが入れらるようになったのも、人生経験を経て自分なりに自分の頭で考えるように、なったからです

救済や対策を打ち出すのが、今ではなく、、、

必要な時にしないと、遅過ぎるのでは、ないでしょうか?

選挙前に、臨時国会を開き、行き過ぎた、不要不急な感染対策を早急に見直し是正して、、、

多くの失業者や生活困難者、雇用と取り引き先(家族を含む)の生活を支えている事業主の救済を、多角的視野と視点で話し合い、政策を打ち出すべきでは、なかったのでは、 ないでしょうか?

[私の選び方です]

地元自治体の選挙もですが、80~90点以上の候補者はいなく、選びたくない人達の中から、少しでも比較的にマシだと思える、不本意の中の選択が現実です

有力な対抗馬がいないと、立候補者同士で政策を競い合い磨き合う、切磋琢磨が必要ないからです

どっちも大差がない政策で済み、当選後も楽できるからです

よほどの人格者や情熱がない限り、、、

ほどほど・そこそこの実績さえ上げたら、次も当選という筋書きや思惑が、凡人の人間として妥当な線だと思います

そういった選挙区ほど、悲しいですが、民度が成長途上です

民主主義が根付き育ち、民度の成長や底上げは、数十年・数百年は掛かると思います

急激な変化や成長は、自他に対する不寛容という病をもたらすので、変わることも望むことも、オススメできません

なので、私は生活や日常を最優先に大切にしつつ、自分に今できることもをしたら、それでよしと考えます

戦争経験世代だからこそ、戦争の悲惨さ・無意味さ・悲しさ・苦しさを、当事者として語れ、平和の有難さを痛感し、後世に語れる様に…

成長途上の民主主義下で、悪政禍による不自由と人権制限を受けた当事者として、私達も、後世への語り部となることや…

微力ながらも、小さな出来る事を一緒に考えて模索しませんか?

私が投票する上で、参考にしている考えや意見です


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