特別支援教育のはざまを元気に歩くむすこ - 「特別支援教育のはざまにいる子どもたち」を読んで
今回は放送大学とはまったく、離れた記事になります。
ずーっと「特別支援教育のはざま」どころか、「はざまのはざま」くらいの暮らしを元気に続けている中学生のむすこがいる母が、小倉正義氏、片桐正敏氏著の「特別支援教育のはざまにいる子どもたち」を読みました。
特別支援教育のはざまにいる子どもたち: ギフテッド・2E・境界知能
https://amzn.asia/d/iUCmdyr
「特別支援教育のはざまにいる子どもたち ギフテッド・2E・境界知能」について
誠実な本
本のサブタイトルになっている、「ギフテッド・2E・境界知能」は、いずれもややもすれば面白おかしく語られてしまいがちな存在ですが、この本は特別支援教育の現状から始まり、誠実な筆致でそれらのはざまに存在する彼らの置かれている「現実」、「必要とする支援」「将来(大学進学以降)」が書かれている本です。
この本を一読すれば、「特別支援教育のはざまにいる子どもたち」の置かれている状況は正しく理解できると言っても過言ではないです。(境界知能に関しては、詳しくはありませんが、もちろん境界知能についての章でも誠実な取材体制と筆致には変わりないことは言い切れます。)
アンダーアチーバー
個人的には、「天才児!」として面白おかしく、時には手厳しく語られやすいギフテッドや2Eとは真逆の特性である、「アンダーアチーバー」(知的能力に比べて学業成績をうまく発揮できない子どもたち)にもきちんと触れているところが良かったです。
フリースクール「ゆずラボ」さん
コラムを寄せられているフリースクール「ゆずラボ」さんは、距離的に通えないので残念ながら検討対象には入れられませんでしたが、もっと近ければ是非検討してみたかったフリースクールです。当事者親さんでもある運営者さんのTwitterを拝読する限り、確固とした信念がある、良いフリースクールだと思います。
それぞれの立場のかた視点の記事
他にもそれぞれの「はざま」を生きてきた保護者・当事者のかた、ずば抜けて学業ができるギフテッドや2Eとされる生徒が多く通う(であろう)中高の養護教諭さんなど、様々な立場のかたが記事を寄せられており、どれも読み応えがありました。
対談は共感の嵐!
第7章の著者同士の対談も、現実に即したお話ばかりで共感できました。
特に「はざまにいる子どもたち」に対する合理的配慮の話の流れでは、「そうだ!そうだ!!」が止まりませんでした。
むすこの「特別支援教育のはざま人生年表」
ここから先は、大変個人的な話になってしまい大変恐縮なのですが、
本書を読み、いろいろと触発されるところがあり、むすこの「特別支援教育のはざま人生年表」を書きました。
まさに産まれてこのかた、はざまからはざまを渡り歩き、今ではもはやはざまを口笛吹いて歩いている、そんなむすこの今までです。
一部、敢えて微妙に時系列を変えたりと、フェイクを入れているところもあります。
(かなりセンシティブなむすこの個人情報にもなるので、この記事への反応や状況によっては、ここから先のどこかからは個人情報保護の目的で有料に設定する可能性もあります。その際は申し訳ございません。)
乳児期〜未就学児
よく寝る、よく笑う、比較的育てやすい赤ちゃんでしたが、抱っこしても体重を全力で任せてくれず、かなりしんどく感じたのは今思えば…?となります。
1歳にもなる前の、おやおや、つかまり立ちを始めたね…というころから、親が使っているノートパソコンを必死に覗きこんできて、引き離すと、大泣きしました。
保育園の年中くらいからは、ダンボールでいくつも「パソコン」を作っていました。それも見守ってくれるおおらかな園でありがたかったです。
それでも、年長時、担任から「こだわりが…」など、「もしかしたら発達障害では…?」と、とても遠回しに指摘することを面談で言われるようになり、すぐにどうにか探し当てた児童精神科に連れていきましたが、「確かに”傾向”はあります。でも知能も高いようですし、普通級進学で問題はないですよ。就学前にまだ気になることがあればもう一度来てください。とりあえず、”様子見”で」と言われ、しかしそこはほどなくして閉院になり、それっきりになってしまいました。
こういう場面での「様子見」、特別支援教育においてはなかなかな最悪ワードだと知ることになったのは、もっともっと後になってのことでした…。
私の親としての弱さもあったと思います。我が子はあくまで「個性の範疇」なんだと思いたい、という。
変なプライドは捨て、まずはオープンマインドで保育士と話し、先に公的機関と繋がってみるべきでした。この記事を読んだ、ウチと似たご家庭には、同じ間違いはしてほしくありません。
感覚過敏
食べてくれるものが本当に少なく、保育園に行くまでなかなか離乳食が進みませんでした。2歳ごろから、何もないのに「眩しい」と言うことが多くなり、眼科にも連れていって精密検査も受けましたが、何の異常も見つかりませんでした。
よかれと思って連れて行ったアンパンマンの映画では、始まったとたん激しく大泣きして、途中退出するしかなかったです。
静かな家や近所の公園では比較的落ち着いていても、ザワザワした人混みに入ると、一気に落ち着きがなくなりました。「感覚過敏」は、もうこの頃から始まっていたんだと思います。
小学校(低学年)
入学式で、初めて入った教室で、(今思えば)見通しの立たない状況にパニックを起こして、大泣き。それでも周囲の子も幼く、おおらかな先生にも恵まれたしばらくの間は、大きなトラブルなく過ごしていました。
小学校(中学年以降)
明らかに、周囲の子から浮くこと、からかわれるようなことが増えてきました。特に4年生での担任との相性は最悪で、(今思えば)聴覚過敏、視覚過敏で苦しいのを紛らすための自己刺激行動を一方的に厳しく咎められ、廊下にまで何度も立たされ、そんなやり取りを見ている他の児童からもどんどん辛く当たられるようになり、完全に不適応を起こしてしまいました。
診断がおりた後、担任には診断書を出して感覚過敏のことも必死に説明するも、「でも専科の授業は普通に受けてますよ。それってただのワガママなんじゃないですか?」と一蹴されてしまいました。
起立性調節障害がきっかけの、診断
その不適応と関係するかはわかりませんが、起立性調節障害を起こしてしまい、鬱と思い込み慌てて駆け込んだ小児心療内科で、起立性調節障害とあわせて、ASDとADHDの診断がつきました(その後、高学年で行った児童精神科で、再度ASDと、LDの診断もつくことになります)。
起立性調節障害は投薬で寛解してきて、学校にも復帰し始めたあるとき、完全に自力では歩けなくなりました。地域の総合病院と大学病院にまで連れて行き、入院もさせ、どこを調べてみても何の異常もなかったので、学校での不適応が相当に精神に影響をきたしていたのだと思います。
一見、とても淡々、飄々とした子なので、そこまでならないと親ですら苦しみを分かることができなかったのです。今でも深く反省しています。
校内適応指導教室
たまたまその学校にあった校内適応指導教室(何らかの理由で不登校になったり、教室に入れない子の通う個室。以下、適室と書きます)に通い始めました。
そこの先生方は、最大限むすこに良くしてくださろうとしていました。
しかし、むすこの興味関心(主にコーディングをするPythonなどのプログラミング)を満たすには、学校の決まり上、限度がありました。
学校支給のタブレットは使ってよく、Scratchならやってもいいよと言われてはいましたが、Scratchが嫌いなむすこは手もつけず。そのタブレットを使って学校のセキュリティファイアウォールを突破してしまい、ちょっとした騒ぎになったこともありました。(これは本当にすみませんでした)
通級という選択肢
適室の教師のすすめで、集団と個別の通級の見学にも行きましたが、むすこは「俺は絶対に嫌だ」と受け入れませんでした。集団では私も交えて皆でゲームみたいなSSTをやったのですが、「俺にはあれの何が面白いのか少しも分からない」と吐き捨てるように言い、外からそっと見学していた個別の方にはもっと抵抗が強く、先生が児童に幼児に接するように振る舞っていたのが、気に食わなくて仕方ないようでした。
腹を括った瞬間
それでも、だましだまし適室には通わせて何らかの活動をさせていた、ある日のことでした。
「何もやりたいことがなくてつまらないし、周囲もうるさくて嫌だから、仕方なく、適室の部屋の隅っこの物入れで膝を抱えて寝て、ただ時間が過ぎるのを待っていたんだ」とむすこから聞いたその瞬間、
「この子にとっては、学校という存在はただただ苦痛を与えてくる辛い箱でしかないんだ、少なくとも義務教育までは、普通の学校に、普通に通わせるという道は諦めよう」と、腹を括りました。
中学受験という選択肢
当時からかなり加熱していて、そういう尖った子ならもう中学受験しかないって!と、知人からも勧められた中学受験も考え、幾つか塾にも通わせてはみたものの、LDもあり決して教科学習に意欲的なタイプではないむすこは、何をどうしてもやる気にはならず、最後の地域密着型個別指導塾でも完全に匙を投げられてしまいました。しかし、そもそも学校での姿を思い返せば、仮に本人が多少なりともやる気を出し、どこかの学校に受かったところで、それは公立中学とは「学校」という「苦痛な箱」の質や形や種類が多少変わるくらいで、むすこにとってはあまり意味がないのではないかと思い至りました。
フリースクール
学校には行かなくなり、少し落ち着いたころ、私には本格的なホームスクーリングをする能力もキャパシティもなかったので、フリースクールを探しました。むすこの興味関心とバッチリマッチしそうで、「絶対にここだ!」と思ったスクールは、狭いスペースに子どもたちがぎゅうぎゅう詰めで、感覚過敏のむすこにはとても厳しいと思い却下しました。
「せっかくだから、もう1か所だけ見ておこうよ」正直、あまり大きな期待はしないで、渋るむすこを連れていったのが、今もお世話になっているスクールです。当時のスクールは人が割と少なく、また、少し特殊な立ち位置のスクールだったこともあり、部屋はがらんとしていることが多く、それはむすこにとってはとてもありがたいことでした。
責任者の女性(ものすごく懐の深い人格者さんです)との面談の席で、不思議とむすこはリラックスしていました。
一生の師との出会い
そのフリースクールでは、「一生の師」と仰いでもいいくらいの存在の先生に巡りあえました。
工業系大学の助教授を退官し、マイペースに研究をしながら、ボランティア的にフリースクールに関わっている先生です。
初めて会った、小4のあの日のことは、今でも忘れることができません。
先生が「君ほど話が合う子とは、初めて出会ったよ!!」と叫び、とっくにスクールを閉めた夜の9時過ぎまで、2人で目をキラキラ輝かせながら、まるで普通のお友達同士のようにいろんなネットワーク技術やコンピュータ機器の話をしていた、あの日のことは、きっと一生、忘れることはないと思います。
この先生と出会えなければ、いまだに一方的に邪魔者扱いしてくる先生か、過大評価して変に褒めそやしてくる先生としか出会えず、ずっと苛ついていたかもしれません。この先生と出会えた奇跡に感謝です。
このスクールはいろいろあって一度辞めはしたものの、出戻りして、かれこれ4年目になります。家からは決して近くなく、満員電車にも乗るので、感覚過敏のむすこには毎日通うのはきつく、週2〜3で通っています。
なので、中学生になってからは、週2のN中等部ネットコースとも両立し始めました。N中等部ネットコースも、とてもむすこには合っていますが、このお話は、またどこかで別途。
こういう流れで、中学生のむすこは、「公立中には在籍はするが、フリースクール2つに通う」「教科学習は自宅学習する」はざまの中のはざまで生きていくこととなりました。
はざまのむすこへの支援、らしきもの
今では、3ヶ月くらいに1度の児童精神科通いと、半年に1度の地方在住で当事者でもある公認心理師さんとの電話でのペアトレのみです(本来はむすこともやり取りすべきですが、当初ちょっとしたすれ違いがあり、私とのペアトレのみとなりました)。
当初はどちらも1ヶ月ごとで、それなりに悩みを話す場でもありましたが、今となっては、「ただの雑談の場」です。
それは、私にとっては、とっても喜ばしいことなのですが。
これからが思春期本番、まだまだ何があるかは分からないので、繋がり続けています。
そして、今、中学生になったむすこ
一条校に通っていないこと以外は、本当に何の問題もない、少し理屈っぽくこだわりも強いけど、明るく元気で爽やかな紳士、簡単に言えば「いいやつ」に育ちました。
家では毎朝早起きし、独自のインターネットセキュリティの研究やソフト開発、「tryhackme」(https://tryhackme.com/)(今は0x8らしいです)になどに勤しむかたわら、ときどき料理もし、DIYなども積極的に手伝ってくれ、フリースクールではリーダーとまでは行かないものの、年少の子たちからも慕われているようで、数人の興味関心の合う長年のお友達と楽しそうにつるんでいます。最近でのフリースクールでは、もっぱら週1のサッカーにハマっていて、ボランチとして活躍しているみたいです。
中学校の担任とは、1学期に1度くらいの頻度で、面談を行っています。
出会ってきた中では理解のある先生ではありますが、適度な距離感でお付き合いしています。校内に新しく作られた不登校生徒のためのスペースを勧められ、一応登録だけはしたものの、通うつもりは一切ないようで、私としても、最終的にはクラス参加を目指している場と読み取ったので、敢えて無理して通わせるつもりもない。といった状況です。
今は、普通に制服を着て学校に通う子達を見ても、無邪気に遊ぶ子どもで賑わう小学校を見ても、つらくなることは、まったくありません。
無理して「普通の子の普通の道」をむすこに押し付けようとすることをやめて、本当によかったと思っています。
でもね
この平和な生活が保たれていることが、完全に親の自助努力によってだという事実には、正直、理不尽に思うことは、あります。
どこのどんな家庭にとっても、多様な進路が当たり前の世の中になってほしいです。
将来の話
「高校には行くけど、大学に行くつもりはあんまりないよ。本当にやりたいことができれば行くけど、やりたくない講義(教養科目など)を受けるとか、俺にやれるのか不安でしかないし」と語る今後のむすこの進路は完全に未知数ですが、「特別支援教育のはざまにいる子どもたち」の「高等教育機関での支援」の章を参考とさせていただきながら、高卒就職も視野に入れつつ、その時その時のむすこに合ったいい選択をしていきたいです。
はざまで生きるむすこに、どういうラベル(本書のサブタイトルのような)がつくのかは、私には分かりません。
人から与えられるそれは、むすこはすべて完全否定しています。
いずれにせよ、むすこは「最高に爽やかないいやつ」なのには間違いないので、そのいいところを大切にしながら、これからもむすこと楽しく生きていこうと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?