「柳は緑、花は紅」という禅語が好きです
新型コロナが猛威を振るい、第6波と言われても、もはやピントこない状況です。またぞろ、飲食店が煽りを食って、そこで働く従業員やアルバイトが収入を失う、学校は学級閉鎖が相次ぎ、修学旅行も文化祭も合唱祭もイベントは軒並み中止。学生時代の華やかな思い出も失っている世界。ビジネス現場でも対面営業を失った一部の企業は存続さえ悩みになっています。
新しい生活様式とか新しいビジネス環境とか言葉が踊るだけで、中身は何も確立できていないでしょう。
コロナ共存とかゼロコロナとか、ニュースもコロナ一色で、後ろ向きな気持ちを助勢する日々です。自殺者も増えているそうで、やはりお金の問題は人を蝕んでいくし、お金に限らず、自己原則の正義が、正しさだけを世界に求め、そこからはみ出るものを容赦なく叩き潰す日本です。
正義こそ正義。正義に勝てる者はいません。正義があれば、悪を懲らしめ、死ぬまで、いや死んでも追い込むのが可能です。正義に支配された世界。正義に歯向かうことは許されず、過ちや失敗を犯したものは成敗されて当然の風潮。そうです、正義があれば何でもできるのです。たとえ、正義が人を撃ちのめし、死を選ばせたとしても、正義は正義なのですから。
人は、失敗することがあるのです。誰もが、家庭やビジネスや友好関係で失敗するなんて日常茶飯事なのです。正義から見れば、失敗は悪です。自己責任原則で罰せられる対象で、自業自得です。だから、失敗は正義によって容赦なく叩かれる世界です。
「柳は緑、花は紅」という禅語が好きです。
柳は緑で、花は紅・・・当たり前の世界を当たり前に素晴らしいと受け止める心。当たり前のこと。その当たり前のことに気がつく間もなく、ただ忙しく通り過ぎる毎日で、素直に、自然を観て、なにかに心を震わせる時間もありません。
当たり前に囲まれ、当たり前に生きていることが、どれだけ尊いのか、気が付かず、毎日をやり過ごしています。当たり前のありがたさ。ありがたき当たり前。
当たり前の毎日。あたりまえのしぜん、当たり前の世界。
人は誰しも失敗や過ちを犯す、という当たり前。人は時として失敗を教訓に、生活でもビジネスでも成長の糧としてきた当たり前。
人は、いつか死ぬという当たり前。生者必滅もまた当たり前。
正義の名のもとに罰し、叩きのめすのが当たり前の世界に、失敗を当たり前として生きている矛盾。正義と失敗の共存に揺れる今日このごろです。