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星野源は、どうして紅白歌合戦で「ばらばら」を歌うのか

星野源が2024年の紅白歌合戦で歌う曲を「地獄でなぜ悪い」から「ばらばら」に変更したというニュースを耳にしたとき、ファンである私は大きな衝撃を受けた。もともと2024年は彼が新曲をリリースしておらず、一体どの楽曲を披露するのかと、ひそかに期待を膨らませていたからである。

そんな中、当初発表されたのは「地獄でなぜ悪い」――2013年の園子温監督による同名映画の主題歌として使われ、星野源自身が2012年のくも膜下出血による闘病期に作詞したという経緯を持つ大切な曲だ(参考HP1より)。公式サイトで星野源のスタッフが明かしている通り、この曲は星野の個人的な経験・想いをもとに執筆されたものであり、いわば彼の人生の苦しみや復活が詰まった、エネルギッシュな作品なのである。

実は私自身、医師国家試験の勉強で追い込まれていた時期、心が折れそうになるほどのプレッシャーに押しつぶされそうだった。
そんなときに「地獄でなぜ悪い」の曲を聴き、“苦労やつらい境遇を楽しく明るい気持ちで乗り越えていこう”というメッセージに励まされたことが、今でも忘れられない。
星野源が倒れた闘病期の苦悩を音楽に込めながら、それを自身を含めた多くの人が笑顔で前を向けるメッセージへと昇華させた――そこに深い感動と力強さを感じたからだ。そうした背景があるからこそ、「地獄でなぜ悪い」の紅白パフォーマンスを心待ちにしていた。

ところが、曲名発表後にSNSで批判や疑問の声が急速に広まった。なぜなら、この曲が主題歌として使われた園子温監督の性加害疑惑が報道され、監督自身への否定的なイメージが拭えない状況だったからだ。実際、NHKは26日付で「曲目発表後の反響を受け、アーティスト側と協議を行い、曲を変更することを決定した」と公表し、番組全体の構成や演出面の都合も踏まえた結果、星野源が「ばらばら」を歌うことになったという(参考HP1参照)。
この判断については、番組サイドが“社会的な批判を無視できない”と考えたからこその対応といえるだろう。

こうした現代の風潮を見ると、“作者の不祥事”や“作品の出自”が問題になったとき、作品自体も「コンプライアンス」の観点から封印されてしまうケースが増えているように思う。過去には酒や煙草にまみれていたアーティスト、あるいは女性スキャンダルを抱えながらも歴史に名を残す作家が多数いたが、そうした人たちの功績は“作品”と“作者の人間性”をある程度切り分けて評価されてきた。
しかしSNSが普及した現代では、一度批判の声が上がると瞬く間に拡散され、番組や企業が「リスク」を回避しようと動くのも自然な流れなのかもしれない。

それでも「地獄でなぜ悪い」自体には、私を含めおそらく多くのファンにとって大切な思い出やメッセージが込められている。星野源自身の闘病経験に基づく“地獄”を、そのまま悲観するのではなく、むしろポジティブに逆転させようという強いエネルギーに満ちた曲なのだ。
だからこそ、一部ではこの曲の取り下げを「やるせない」と感じる声もあり、SNS上で「曲に罪はないのに」「監督と作品は別だ」という議論が交わされているのも事実である。

そんな中、新たな歌唱曲としてNHK側と星野源サイドが選んだのは「ばらばら」だった。しかし、驚くことにこの「ばらばら」をめぐっても再びSNSで賛否両論が巻き起こり、結局取り下げになるのではないかという情報がちらほら出始めている。実際のところどうなるかは当日の紅白本番を見なければわからないが、こうした短期間での曲変更騒動そのものが、現代社会が抱える“過剰なモラル管理”や“情報の過剰反応”を象徴しているようにも思える。

ところで、今年は星野源自身がSNSでの誹謗中傷の怖さを思い知らされる出来事に巻き込まれた年でもあった。5月に“暴露系インフルエンサー”の滝沢ガレソ氏が、X(旧Twitter)上で「超有名女優とドラマ共演して電撃結婚した男性歌手が、結婚後に某NHKアナウンサーとW不倫し、事務所が10億円で記事をもみ消した」という趣旨の投稿を行ったのだ(参考HP2参照)。投稿内容は匿名めかされていたものの、すぐに「これは星野源ではないか」という憶測が拡散し、ついには1億5,000万回を超えるインプレッションが記録されたという。
この根拠のない不倫デマに対して、星野源の所属事務所アミューズの法務部が素早く否定コメントを出し、星野源本人もSNSやラジオ番組「オールナイトニッポン」で「完全なデマです」と明確に否定した。

さらに、妻の新垣結衣も電話出演で否定するという異例の事態にまで発展している。ここまでしなければならなかった背景には、SNSの拡散力の圧倒的な強さと、匿名での投稿が「真実かどうか」にかかわらず瞬時に人々の目に届いてしまうという“現代の怖さ”があると言えるだろう。

今やSNSは、一人ひとりが“個人メディア”を持つ時代を生み出した革命的なツールである反面、デマや誹謗中傷もまた超スピードで広がる危うさを秘めている。
今回の星野源の“紅白選曲騒動”にしても、NHKが元々選んだ「地獄でなぜ悪い」が批判されるや否や、その声があっという間に拡散され、番組が方向転換を図らざるを得なくなった。

さらに、「ばらばら」を選んだあとも別種の批判が即座に噴き出し、また曲取り下げの可能性が取り沙汰される――まさにSNS時代における“コンプライアンス”と“芸術表現の自由”のせめぎ合いを垣間見るような出来事だ。

そうした経緯を考えると、星野源があえて「ばらばら」を選んだ背景には、SNSでの誤解や分断、対立が絶えない現代に対して“全員が完全に一致することは難しいけれど、少しずつ重なり合いを見出して生きていこう”というメッセージが込められていると感じる。
実際、星野源がこれまでも楽曲を通じて発信してきたのは、“何かを否定したり押しつぶすのではなく、まずは受けとめてみよう”という優しさや寛容さだ。

SNSに代表されるような過激で感情的な発言が飛び交う空間だからこそ、「ばらばら」のような柔らかい曲が必要とされるのかもしれない。

とはいえ、どれほど慎重を期しても、どんな作品にも賛否はつきまとうものだし、人によっては選曲の背景を知り「これはおかしい」と思う人も出てくるだろう。番組やアーティストがあらゆる声に耳を傾けすぎると、いつまでも意思決定ができないジレンマに陥る。今回の二転三転する騒動は、その難しさをまざまざと示している。
同時に、楽曲や作品そのものに罪はないのに、制作者や出演者の経緯が社会的に問題視されると、そこで流れるはずだった曲が封印されてしまう――そんな現代社会の空気感に、息苦しさや切なさを覚える人も多いはずだ。

こうした議論はおそらく今後もたびたび起きるだろう。SNSの力がますます強まるにつれ、どんな小さな情報でも一気に拡散され、時には誤解が重なり合い、二次加害や炎上につながる。個々のアーティストや番組制作スタッフは、そのリスクを踏まえ、あくまで社会の空気を読み取ったうえで対策を講じていかなければならない。しかし、作品と作者の分離、モラルと芸術性のせめぎ合いは、そう簡単に“正解”を導き出せる問題ではない。
だからこそ、番組側がどう折り合いをつけ、星野源自身がどうステージで表現するのか――大みそかの紅白歌合戦が大勢の視聴者に注目される理由は、まさにそこにあるのだと思う。

私としては、「地獄でなぜ悪い」が当初選曲された背景には、星野源が闘病期に生み出し、多くの人に励ましを与えてきたという強い想いがあったはずだと信じている。そして最終的に「ばらばら」が選ばれたならば、それも星野源がSNS社会における分断や誤情報の拡散を、身をもって体験してきたからこそ発信したいメッセージがあるのではないかと推測する。
どちらの曲も、星野源の人生やこの時代の風潮が反映された“意味深い選択”であることは間違いない。

実際に彼のパフォーマンスを見て、自分の中でその意味を噛み締め、どうして星野源が紅白歌合戦で「ばらばら」を選んだのかについて、改めて考え、書き記したいと思う。

参考HP
1.星野源 紅白歌唱曲「地獄でなぜ悪い」から「ばらばら」に変更 選曲への批判受け

2.“SNS時代”の怖さを思い知らされた星野源さん「不倫デマ」騒動

最後まで記事を読んでいただき本当にありがとうございます。
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三谷雄己|綴る救急医
救急の現場を少しずつ知ったうえで、一般の方々との感覚のズレが少ない今だからこそかける文章を心がけて。 皆様のサポートは、多くの方々に届くような想いが書けるよう、自己研鑽にあてさせていただき記事として還元できたらと考えています。 共感いただけた方は何卒よろしくお願いいたします。

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