藤井風『花』から紐解くキャリアプラン【将来の進路に悩むあなたへ】
1.誰もが悩む。将来のキャリアプラン
「研修医生活が終わりかけているのに、自分は何科に進むべきなのか、全然決められないんです」
切実な悩みを吐露する研修医が私の目の前に座っている。
きっとこのエッセイが目に止まって読み始めたそこのあなたも、自分の未来のキャリアプランに悩みを抱えているはずだ。
日本で医者になるためには、まず医学部で六年間学び、その後初期臨床研修というさまざまな診療科をローテーションしながら学ぶ研修医の期間を二年間経たのち、自分で専攻する診療科を決めるという流れを取る。
そのため、研修医生活が終わるまでに研修医たちはどの診療科を自分は専攻して行くのかということを決定しなければならないのだ
私自身は、チーフレジデントという、いわゆる若手医師の中の取りまとめのリーダーのような役を病院で担っていたこともあり、このような質問をたくさん聞いてきた。
周囲がどんどんと自分のキャリアプランを決めていくなか、なかなか決断できない人もいる。
自分が選択によって、自分のこれから先の50年が決まるのだと(錯覚してしまい)、考え込んでしまう。
そんな一大決心をタイムリミットを迫られながら決断しなければならないのだ。それはみんな臆病になったり、悩むのも当然だ。
VUCAの時代である。
私が診療科を決めた5年前と現在では、すでに医療の現場の流れや技術の進歩が大きく変わっている。AIの台頭やデジタルトランスフォーメーションが進む中で、今後伸びしろがあると言われる診療科もあれば、今後難しくなってくる診療科もあるらしい。そんなテレビから聞こえてくるニュースや、上司たちの雑談を聞けば聞くほど、どの診療科を選べば良いのか迷子になるのも無理はない。
診療科を選択する軸として必ず議論に上がるのが、この各診療科の将来の伸びしろや、開業できるかどうか、ワークライフバランス、QOLなどである。
この辺りが、みんなが診療科を選択する上での主な判断材料となっているようだ。しかし、多くの人の話を聞く中で、最も大切な軸が抜け落ちてしまっている。それは"自分自身"だ。
2.自分の"内なる花"が見つからない
どうして医者になりたかったのか?
どのように社会と関わっていきたいと考えているのか?
自分自身が本当に興味があることは何か?
毎日の生活や、日々どんなことに時間を割くのが好きなのか?
そんな当たり前のことから一歩離れたところで、究極の選択(だと思い込んでいること)をしようとしている研修医たち。
一般に医学生や研修医というのは、自分が想像している以上に自分自身のことがわかっていない。鏡に映っている自分でさえ、左右逆の単なる平面に過ぎない。自分が想像するよりも、自分自身の声に耳を傾けることは、時間をとって注意深く行わなければならない。
これまでまじめに勉強してきた人、周りや先生や親などの期待に応えようと努力してきた人ほど、自分の人生の選択の場面で、好きなことを突き通すようなわがままなことを言ってはいけないと考えてしまう。
大人になる中で、自分が好きだったこと、興味があったことに自然と蓋をしてしまっている人も多いのだ。知らず知らずのうちに、自分が何が好きだったのか、自分にとって大切な"内なる花"も見えなくなっていく。
3."内なる花"の見つけ方
例えば、どんなものを昼ご飯に食べたいか、どんな映画が好きかなど、些細なことでも少しずつ表出する。
他人との衝突を避けるために、無難に隠すのではなく、自分の意見を小出しにしてみる。
はじめはストレスを感じるかも知れないが、続けることで自分の好きという感覚がだんだんと研ぎ澄まされてくる。
たまには、周りの人がやっていることや、周りの人が好きなことを真似してみることで、本当に好きなことが見つかるかもしれない。そうしていると、今度は日常の仕事でも、これまで楽しかったこと、嬉しかったこと、達成感を感じたことなど、小さな日常の"内なる花"が探せるようになる。
自分への問いかけを続けながら、他人にも問いかけてみよう。他者から見た自分というのは案外的を得ていることも多い。自分自身が気付かなかった好きであったり、得意なことを見つけてくれるのもよくある。"内なる花"を他者が見つけてくれることもあるだろう。
4.万華鏡のように、"内なる花"を咲かせる
大切な自分と、そして大切な周りの人と見つけてきた"内なる花"を重ね合わせると、きっと自分がどんな人間でなりたいか、その漠然とした全体像が見えてくる。
漠然で不安定な時代、5年後や10年後の未来の見通しが立たない以上、誰か一人のロールモデルを目指して、その背中を追っていくような、北極星を探す望遠鏡型のキャリアプランというのは次第に終わりを迎えているのかもしれない。(参考1)
こんな時代だからこそ、何年も先の未来や崇高な夢ではなく、自分自身が好きなこと、興味のあること、得意なことなどを並べて、その宝物を横並びにしてつなぎ合わせることで進路を見つける、万華鏡型のキャリアを目指せばいい(参考2)。
ここでいう万華鏡のメタファーは、万華鏡のガラスチップが回転して新しいパターンを形成するように、個人が仕事と仕事以外の生活や人生のさまざまな側面を回転させて、人間関係や役割を新たな方法でアレンジすることで、キャリアのパターンを変化させる様子を反映している。本質的な軸は変わらずとも、その時々に合わせて、自分が持つ"内なる花"を信じてみて、しなやかに変化していけばよいのだ。
石の上にも三年ともよく言うが、この激動の時代にその三年という我慢や忍耐が必要とされる下積み期間が本当に適切な時間かどうかはわからない。我慢し続けるほど、人生は長くない。
自分の好きなこと、興味があること、人が得意だと言ってくれていること、そんなものをちりばめた、いろんな側面からいろんなものをつなぎ合わせることで、おのずと自分が一番幸せに働けるキャリアをなんとなく選ぶ、それぐらいでいいのだ
5年後や10年後、未来の自分がどのようなキャリアを積んでいるか、私自身も全く想像がつかない。だが、こんなふうに自分の好きを散りばめて、我慢しなければならない修行時間ではなく、自分自身の人生を自分でリードして働き続けることは毎日本当に楽しいし、そんな生き方をしていると、おのずときっと数年後の未来は開けてくるのだと信じている。救急医という、将来が安定しているとは決して言えないであろう道を選んで進んでいることに、一変の後悔も悩みもない。
その一方で、1日後、1時間後、1分後の自分の未来は想像することができる。それは結局、自分が今、目の前でやらなければならないことに直面しているということであり、それに全力を費やすことでしか、次の万華鏡の素となる"内なる花"を得ることはできない。
仕事はもちろん、人生も遊びも何もかも全力で取り組むことで、自分の好きや興味をどんどんとつなぎ合わせ、また横展開にキャリアを考えていく。
そんな万華鏡のように、自分軸を大切にした視点で変化やニーズを参考にしつつ時代に擬態する。
しなやかに自分のキャリアを自分でリードできるような主体性を持った人でありたい。自分の未来を探す鍵は、流れ行くこの時代ではなく、自分の中にしかないのである。
【参考文献】
1『自分を育てる方法』中竹竜二 (著)
2Kirk, S. (2016). Career capital in global Kaleidoscope Careers: The role of HRM. The International Journal of Human Resource Management, 27, 681–697.