言葉の通じない場所に行くということ。
韓国に来た!
どこもかしこもハングルだ。
当たり前だ。
当たり前だが、日本にいて「どこもかしこも日本語だなぁ」と思ったことはない。
待ち行く人の顔立ちも、街の雰囲気や気候も、日本にかなり近くて海外にいることを忘れてしまう。
でも、看板は何も読めないし、どっちの改札をくぐればいいのか分からないし、店員さんの言葉もアニョハセヨとカムサハムニダしか分からない。
ちゃんと海外だ。
ほとんどハングル、たまに英語。
そんな中で、日本語が書いてあると、心底ほっとする。
公共交通機関や大きな飲食店だと、結構日本語の補足や日本語メニューがある。
電車でもバスでも、英語と中国語の次くらいに日本語のアナウンスが流れる。
日本にいるとほとんど聞き流している多国語アナウンスが、観光客にとってどれだけありがたいことなのか、実感する。
やっぱり母国語というのは、スっと耳に入ってくるのだ。
昨日、ゲストハウスのシャワールームの鍵が壊れて開かないとかで、ビビりながら近くのスーパー銭湯に行ってみた。
日本の銭湯とだいぶ雰囲気が近くてびっくりしたが、湯に浸かって見回してみると、やはり諸処に異国を感じる。
歯磨きしてるおじいちゃんや、床に座り込んでるおじさん、走り回る子供と放置する親。
なんというか、みんな自由だ。
そんな中、周囲の若者の話し声が右耳から左耳に抜けていって、折り返して戻ってきた。
(ん? 今の日本語だな?)
振り向いてみると、大学生らしき3、4人の集団が。
つい、「あれ、日本の方ですか?」と話しかけてしまう。
卒業旅行で京都から来たらしい。
どの空港で来たのか、いつまで居るのか、など少し話を交わす。
彼らも、「日本語安心しますわ〜」と笑っていた。
1日ぶりの日本語だったからか、1日ぶりのまともなコミュニケーションだったからか、相手の京都弁が移ってしまい、
「最後まで楽しんでく↑ださい」
と訛ってしまった。
バレてませんように。
しかし、卒業旅行シーズンというのも手伝ってか、やっぱり日本の若者が沢山いる気がする。
駅や観光地を歩いていると、ふと聞こえてきた言葉を理解できていることに気づき、それが日本語だったと遅れて認識するのだ。
脳のバグっぽくて面白い。
まあ、いくら日本人が多いからと言って、あくまで私たちは訪問者。
少しくらいは韓国語を覚えていくのが礼儀だし、せめて英語くらいもう少し話せるようになりたい。
ほんとに、赤ちゃんレベルの英語しか話せなくなっていてびっくりだ。
去年タイに行ったときは、もう少しマシだったよ。
これからも海外旅行はしたいし、ぼちぼち英語の勉強と向き合う日も近い。
韓国は釜山、西面駅近くのカフェから、今日合流する恋人を待ちながらお届けしました。
(更新が途絶えるかもと投稿したのに、結局しっかりnoteを書いている……これがSNS中毒か……)