変化を受け入れよう。「反脆弱性」を読みながら−7
今日も自宅にて大人しく待機。目に見えないものとの戦いというのは、本当に怖い。何をどう気をつければ良いかわからないので、「何もしない」というのがベストになってしまうようだ。
今週読み進んでいる「反脆弱性」にもあるように、ストレスが無いと脆く崩れてしまうものはたくさんありそう。私は、身も心もだらけてしまうことが怖いので、休日続きのこんな時でも、だいたいいつもと同じ時間に起き、メイクをして、服を着替え、必ず何らかの筋力トレーニングをする。この偶然に得てしまった休日は、私にとっては完全offにはしたくない。
さて、「反脆弱性」今日は下巻の後半がテーマ。医原病という、医者だったり、治療者がもたらす害について。そしてそこから広げて直近には役立つけれど後からもっと悪いことが起こるという事例をいくつか紹介している。
これは、私たち社交ダンスインストラクターはよく実感していると思う。生徒さんが、身体のどこか、肩だったり腰だったり膝だったり、を痛めて病院に行く。そして私たちに言う「医者にしばらく動かない方が良いと言われたのでしばらく休みます」。
医者が言うのだから、嘘ではないだろう。炎症が引き、痛みがなくなるまで休ませると言うのは正しい治療法なのだろう。
しかし私たちは、痛くならない程度に動かしていた方が治りも早いし、痛くなっていない身体のパーツは動かしていない方が悪くなる、と言うことを経験的に知っている。
だから私自身は、多少の痛みでは病院には行かない。湿布をもらって、休めていたところでなにも治らない。それより、信頼できるマッサージなどの治療院に行って、痛めたパーツの周囲の緊張をほぐしてもらう方が役に立つ。もちろん、私は医者ではないのでこの方法が正しいと主張はしないが、私自身はこのやり方を続けるだろう。
今日見つけた素敵な箇所。主題から外れてしまってるかもしれないけど。
「より洗練されたタイプの合理主義を実現するための条件はたったひとつだ。全てをわかっているわけではないという前提で行動することだ。洗練された行動を取るために必要なのは、自分が洗練されていないと認めることなのだ。」
いつも謙虚に、いつもと違うことが起きたり違うことを感じたりしたことも受け止め、その時々で冷静に対処する。そして自分が完璧ではないということをきちんと理解して良い将来を導こうと努力し続ける姿勢。これが反脆い生き方なのではないだろうか。
現在の状況にしても、今年の初めには、世界中がウイルスに怯えるこんなシーンは誰も想像していなかったに違いない。少なくとも、私はしていない。だけど、全くもって楽しくない状況だけど、受け止めてできることをして、しない方が良いことをしないということしか良い未来を作る姿勢はないように思う。