子育て日記142
おはようございます。
昨晩は、仕事から帰宅したタイミングでちょうど息子がお風呂からあがって体を乾かしているところでした。ドアを開けた瞬間に、生まれたときと同じ姿でママから逃げている姿が今でも脳裏に焼き付いています。息子が着替えをしたり、妻が髪を乾かしたりしている間に、僕も先にお風呂に入ってしまい、息子の寝かしつけをバトンタッチすることにしました。一昨日の晩には息子が起きているうちに会うことができなかったので、今晩のミルクから寝かしつけまでが唯一のスキンシップ。ただ、僕も一緒になって寝てしまいそうでしたが、案の定寝てしまいました笑。起きたのが23時30分。そこから夕飯を食べ、ちょっと作業をしたり、読書をしたりして、床についたのが1時過ぎ。そして今、ちょうどこのnoteで子育て日記を綴っているところです。
昨日のnoteで寝かしつけの時間を大切にしたいと思っているということを書いていたら、文脈は違いますが、昨晩の読書の時間に、似たような内容に遭遇しました。こういうのをセレンディピティとでもいうのでしょうか。
今ちょうど愛読している本が「アメリカの大学生が学んでいる本物の教養」です。先日の日々雑感30にも少しだけ記述しました。
この本の中で、「役立てることを目的とせずに身につけたことほど、いつ、どこで役に立つかわからないものなのです」という文章に出会います。僕はこれを昨日の子育て日記141でも書いた、「息子の寝かしつけの時間は一見すると不毛の時間(=役に立たない時間)で、なるべく早く眠ってほしいと願っていますが、この一見すると役に立たないであろう時間でのできごとが、いつ、どこで役に立つかわからないものである」と解釈しました。著者の文脈はおそらく「学ぶということの動機につながる考え方」としてのつもりで書かれたと思います。ですから、著者からは叱られるかもしれませんが、僕はこの本を読んで、息子の寝かしつけと、このようにリンクさせて捉えることになり、寝かしつけの概念が少し変わりました。読書のよいところか分かりませんが、学校教育で言う国語と違うのは、必ずしも正解が一つではないので、自分が本にどう感化され、心を動くかが大事だと思いました。このこともあって、昨晩の息子との時間はさらに楽しいものとなり、お互いに眠りにつくまで、終始ニコニコ過ごすことができ、笑ったまま眠りについたことだけを覚えています。
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