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エジプトの地方都市探訪記【Part. 3】~饗応にあずかる〜

こちらの旅の続きである。今回は、コプト教徒とムスリムの人々から食卓に招いてもらったときのことを書いた。


コプト教会 使徒ペトロとパウロ教会

ケナーの中心部からは少し離れているが、大きな教会があったので、せっかくだからと見に行くことにした。
教会は、廃墟や崩れかけた庶民街が周りに広がり、ヤシの木や雑草の草地が混じり合う、半分都市で半分農村といった感じのところにあった。

教敷地は高い塀で囲まれている。
一応警察の検問らしきものもあったが、呼び止められることは無かった。
訪れた日が日曜日だったため、もしかして礼拝かなにかで入れないかもと思っていたのだが、入り口の門は空いており、そばにいたバッワーブも入っておいでと手招きをしてくれた。
開いている門の向こう側から、駆け回って遊ぶ子どもたちの賑やかな声が聞こえてくる。

挨拶しながら中に入ると、敷地内は小さな団地のようで、遊具があり、グラウンドのような広場があり、大人も子どものその中でのんびりしたり遊んだりしていた。
近くにいた人に「教会の中を見学させてほしい」と頼もうとしたところ、どこからともなく教会の管理人らしき男性が現れ、こちらへ来るようにと案内をしてくれた。
その周りでは、珍しい外国人の来訪に興奮した子どもたちが、あちこちからわっと寄ってきた。母親らしき若い人たちも手を伸ばして私達の髪に触れたり手に触れたり、とんでもない騒ぎになってしまう。
口々に「名前はなに」「どこから来た?」「一緒に遊ぼう」と一斉に話しかけてくるので、歩くのも話すのも一苦労だ。

管理人が「この人たちは教会を見に来たんだ。お前たちはあっちにいってなさい」と追い払うものの、それで引き下がる子供たちではない。
私たちと管理人と、英語が喋れるらしい女の子だけが教会堂に入り、扉も締め切ったのに、外から子供たちがドンドンバンバン、「わたしたちも中にいれて!」と騒ぐものだから、ホラー映画の主人公になったような気分だった。

現代のコプト教会


教会の中は思っていたよりも広く大きく、鮮やかな壁画に覆われた綺麗な内装だった。2016年に建て直したらしい。
正面の祭壇の上にはキリストの絵があり、その周りは金の額縁のように豪華な彫刻や天井に囲まれている。ステンドグラスには天使や使徒、聖母マリア、キリストの生涯などが描かれ、堂内の明かりをつけるとキラキラ輝く。たまにふらりと訪れるのが好きな境界がフスタートにあり、堂内の壁や床、ベンチの使いこまれた木の色と、そのひっそりとした雰囲気が好きなのだが、新しく建てられた華やかな教会にも、また違った荘厳さがあった。

天井を見上げながらぼーっと見学していると、いつのまにやら扉をこじ開けて入ってきた小さな子どもや母親たちに取り囲まれていた。
「何か記念になるものがほしい、何かプレゼントをくれないか」という人もおり、管理人に「そんなこというもんじゃない」と怒られていた。

教会でお招きにあずかる


教会に入ったのは午後3時頃だったが、「昼ご飯を食べていくか?」と誘われた。一緒に旅行していた友人が断食中なので、私だけがここで食べるのもどうかと思い、ふたりとも断食中であることにして最初は断った。
それでも、しばらくするとまた誰かに「昼を食べていけ」と言われる。
そろそろ街に戻ろうとしていたのに、いつの間にか子供たちに腕をがっつり掴まれ、教会の建物の隣にある台所らしきところに連れていかれた。

結局、断りきれなかったので私だけ食事をいただくことにした。
このときは、ちょうどコプト教でも四旬節にあたり、肉や卵などを食べない断食が行われている時期だった。
最初は、「断食をしている」と伝えても、ムスリムのように日が昇っている間は何も食べない断食をしているのだということが伝わらなかったので、
「私の友人は何も食べない断食をしているから、申し訳ないけど私だけいただきます」と伝え、何とか納得してもらった。それでも飲み物はふたり分出てきたが。

出してもらったのは、スフール(朝食)でよく出てくるもの。
ハッス(サラダ菜)、ドゥッカ(クミン、カルダモン、トウガラシ、ゴマ、塩のスパイス)、サラダ、アエーシ、フール。
食事を用意してくれていたおじさんは卵も食べるか?と声をかけてくれ、卵焼きまで作ってくれた。ありがたい。


食事をしながら、どこから来たのか、エジプトで何をしているのか、結婚しているのか、子どもはいるのかという定番の会話(取り調べともいえる)をした。
しばらくすると、年配の女性が買い物から帰ってきた。テーブルにあったサラダ菜をむしゃむしゃとしながら、ジロリと私たちを見て、「あなたたちはキリスト教徒なのか?」と聞いてくる。

私は完全に無宗教なのだが、エジプトでは、特に初対面の人には理解してもらえないので、いつも通り「仏教徒だ」と答えた。
その途端、年配の女性と彼女の娘らしい女性のテンションが明らかに下がったのが分かった。
なんだか申し訳ない。だから食事も最初断ったのに。
それを傍らで見ていた食事を用意してくれた男性がまあまあと彼女たちをなだめ、私達にはご飯を食べなさいと薦めてくれた。
こういう会話になる前に、さっと食べて早々にここを出ようと思っていたところだったので、残っているものをぐっと口に押し込み、それではどうもありがとうと街に戻ることにした。

「食事をありがとう、もう時間なので行きます」というと、周りの人達は「そうなの、じゃあねーー」といい、彼らだけのおしゃべりに戻っていった。実にあっさりとした別れだった。
「外国人が来た!」という興奮状態ではあったものの、こんなに自然に食卓に招かれ、大袈裟な別れなどなく、まるで家族に食事を出したあとのようにあっさりといつもの日常に戻っていくひとたちを見ると、そこに一瞬だけいれてもらったあの時間がとても不思議な感じがする。

モスクとイフタール

教会を出た頃にはもう16時近くになっていたが、街の中心部に戻る道すがら、イフタールの用意をしている人たちを見かけた。
バイクに3人乗りしている若者たちにも「ニーハオ!」と言われつつ、「イフタールを食べていきなよ」と声をかけられる。
挨拶するだけで通り過ぎながら、ようやく最初の場所に戻ってきた。
ケナーに行くなら寄るといいと教えてもらったモスクを見に行く。シーディー・アブドゥッラヒーム・モスクだ。
噴水のある広い庭があり、モスクのつくりも近代的だが、華やかな雰囲気がある。

モスクの中は、マグレブの礼拝の時間が近いこともあってか、多くの人が出入りしていた。表の方は男性ばかりで、女性は入れなさそうな雰囲気をしている。
裏へと回る女性たちがいたので、ここに入っていいものかと迷いながらもついていく。
一応ヒジャーブはしている。

途中でガラベーヤを来た若い男性に声をかけられた。何しに来たのかと問われ、モスクの見学に来たと答える。
ムスリマかと聞かれたので違う、仏教徒だと言ったところ、仏教が何か分からなかったらしい。
友人が日本の宗教だと補足するも、「あっそ、写真とってもいいけど外だけね」と言われたので、廟は外から見るだけにした。
地方ということもあるのだろうし、やはりムスリムでないと中には入れないようだ。

モスクの裏には女性専用の入り口があり、更にその奥にまた別の聖者の廟がある。中をそっと覗くと、聖者廟の前に座り込んだり、壁に体を持たせかけたりしながら祈ったりじっと時間を過ごしていたりする人が見えた。あまり長居をするのも悪いと思い、記録を撮ったあとは早々にモスクの敷地を出た。

慈悲深き神の食卓


いよいよ17時近くになると、イフタールの時間(この時期は18時ちょっとすぎくらい)が近いこともあって、ラマダーンテーブルを用意しながら、マグレブのアザーンをいまかいまかと待っている人たちを見かけた。
彼らにも、ここで一緒にイフタールを食べないかと誘ってもらうが、「水と食べ物を持っているから大丈夫」と丁重に断る。
マグレブの礼拝まではまだ1時間弱あったが、このころには2人とも大きな荷物を抱えてへとへとだったので、モスクの敷地を出てすぐの歩道に座り込み、日没まで休憩することにした。

友人も私も「マグレブの礼拝になったら炭酸をぐっと飲みたいね」ということくらいしかしゃべる気力がなく、イフタールまでの時間を慌ただしく過ごす町の人たちを眺めて過ごした。
マグレブの礼拝まで1時間弱あるとはいえ、カイロのダウンタウンだったら、このくらいの時間帯にはもうみんな家路についていて、走っている車や歩いている人は働いている人かタクシー、バスくらいのものなのだが、ケナーでは普段の平日夕方のようにずっと人が行き交っている。あちこちの通りでラマダーンテーブルが用意されているからだろうか。

ひとの優しさ


しばらくすると、食事をトレーに盛り付けたり、飲み物を入れたコップを配り始めたりする人々の姿が目立つようになった。
イフタールの時間になったら飲めるようにと、近くのコシュクで炭酸ジュースを買おうとしたら、店主に「お代はいらないよ」と言われた。
思ってもいなかったことをいわれたので、しばらく思考が停止してしまった。それでもなんとかアラビア語をひねり出しながら、
「え、でも払うよ!」「いいって」「ちゃんと払わせて!」のラリーを経て、店主は笑いながらお代を受け取った。
帰り際、店主もそばにいた別の客も「クッルサナウェンティターイブ(おめでとう)」「ラマダーンカリーム(聖なるラマダーン月おめでとう、というラマダーンの間の挨拶)」と挨拶をしてくれる。
カイロでは、知り合いとはこういう挨拶をするが、知らない人から言われたことがなかったのでちょっと嬉しかった。
ヒジャーブをしていたから、巡礼者かなにかと思われたのかもしれない。
そのあともぼんやり歩道に座り込んでいると、あちこちからこっちでイフタールを食べたらどうかと声をかけてくれる人があらわれた。

どう見ても浮浪者っぽい恰好をした、ハイになって片言の英語を話すおじさん二人組にも声をかけられた。
モスクにイフタールを食べにこいと、ちょっとしつこいくらい声をかけてくる。ずっと断っていたが、どうしたものかと友人を見ると、彼女は道路の向かいからこちらを見ていた人たちが、「そいつらは頭がおかしい」というジェスチャーで教えてくれていると言う。

じゃあ徹底的に断ろうということになり、あとは何度声をかけられても適当にいなすことにしたら、そのうちその二人組もいなくなった。
ふと道路の反対側に目をやると、友人に警告してくれていた同じ人が、二人組の背中を指しながら「あいつらは頭がおかしいから」とまた同じジェスチャーをしていた。
「分かった。教えてくれてありがとう」と目礼と手を挙げて答えると、向こうも「良かった」という感じで手を挙げ返してくれる。
声をかけるというわけでなくとも「気を付けなよ」と警告してくれる人たちがいてよかった。それだけ、私たちが街から浮いた存在でみんながこちらを見ていたからだろうけれど。

マグレブのアザーンまであと20分くらいのところで、今度はまた別のおじさんが「イフタールに食べるものはあるか」と声をかけに来てくれた。「水と食べ物があるから大丈夫」と答えたのだが、そのおじさんはわざわざ私たちのそばにシートを広げ、水とデーツまで用意してどこかへ行ってしまった。

すると今度は、ケナーに到着してすぐに見かけたラマダーンテーブルを用意している人たちが、食事を盛りつけたプレートと水を持って「これを食べなさい」とわざわざ持ってきてくれた。
ここでも「ありがとう、でも大丈夫」と言いかけたのだが、「どうせだったらこっちで食べなさい」と言ってくれるので、ありがたくいただくことに。
思えば、クセイルもケナーもこんなことばかりだった気がする。

ラマダーンテーブルから少し離れたところに、椅子と食べ物をおけるスペースを用意してくれていたので、ありがたく座ると今度は子供たちが水とジュースを持ってきてくれた。

少し離れたとこにあるラマダーンテーブルには、外で働いていた男性たちでいっぱいで、皆ちょっと放心気味な表情をしながら、マグレブのアザーンをじっと待っている。私たちの向かいの露店に座っていたおじいさんは、もう待ちきれないのか、スプーンを手に取り、プレートを「カチン、カチン」と鳴らしながら辛そうに待っていた。

断食中の友人も、残り10分少々をこの食事と飲み物を前にしてお預けくらっているのはしんどい、とこぼす。
15時過ぎにコプト教会で食事と飲み物をもらったとはいえ、それ以降なにも口にせず、蒸し暑い36度の世界で、そのせいぜい2~3時間を過ごすのもしんどいと感じたから、日の出から何も口にしていなければ相当辛かっただろうと思う。待ちに待ったアザーンが流れ始めると、やっとだ、という感じで周りの人達が一斉に食べ始めた。

水と一緒に茶色いジュースが配られていたのだが、口をつけると甘ったるい味にえぐみ、漢方のにおいがする。甘草ジュースだった。
ジュースにすると余計にこの風味が広がって、苦手な味。
食事はバターと塩の味付けをした定番のご飯、ホロホロの牛肉煮込み、インゲンのタジン、デーツ、ザラベーヤのような揚げドーナツ。さっとお腹に入れられるメニューだった。

もそもそと食べていると、アザーンが聞こえてから10分もしないうちに、ラマダーンテーブルについていた男性たちが次々と席を立ち、街に消えていく。
夜に向けて店の準備をするか、仕事の続きか、あるいは家に帰って家族との時間を過ごすのか。あまりにさっさと早く食べ終わるので、びっくりしてしまった。
アザーンのあとも、「イフタールをこちらでどうぞ」と案内されてきた人たちが続々とやってきていた。中には、学校帰りらしい女の子4人組が、プレートを手渡されてテーブルへ案内されている。

イフタールが始まってしばらくすると、余った食事や飲み物が、近くにいた不用品回収をしている親子にも配られた。
かわいそうなほどにぼろぼろの服を着た小さな女の子も、ご飯が入った入れ物を抱えてもぐもぐしている。
周りの人達も当然のように「これももっていけ、あれももっていけ」と飲み物や食べ物を渡しており、私たちが飲み切れなかった、口をつけていない水や飲み物も手渡された。

少々脱線するが、大学生の頃、イスラーム教やエジプトに関心を持ち始めてから初めて読んだ本に、八木久美子『慈悲深き神の食卓』がある。
その中に、八木氏が学生の頃、初めてエジプト留学をしたときのエピソードがあった。
ひとりで町を歩いているときに、みすぼらしい姿をした男性たちが道端で食事をしていたのを見ていたら、彼らに手招きされ、お前もこれを食べるかと声をかけられたという。
その日に食べるものにも欠くような生活をしている様子なのに、見ず知らずの自分にも食事を分けてくれようとするのかと驚いた、というような内容だったと記憶している。

ラマダーンという期間でもあるし、ムスリムである彼らにとってこれはそう特別なことではないのかもしれない。
それでも、私のような見ず知らずの人間でも、同じ食事に招いてもらえるという経験をして、不思議な感覚を覚えた。
それに、旅の途中、モスクの周りで饗応にあずかるというこの経験は、中世の巡礼者たちの旅と食の在り方に繋がっているような気もする。
またケナーに行くということは無いだろうけれど、カイロか日本か、どこかで必ず誰かにこのお礼をしたい。

途中で見かけた雑貨屋。可愛いラマダーングッズとファヌースが並ぶ。買っておけばよかったなぁ。
クナーファというお菓子の生地を売っていたお店。生地を作っているところは初めて見た。
熱した回る円盤に、網の目から押し出した生地を流していく。量り売りしていた。
クナーファの生地。




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