2022年ふりかえりシリーズ ~アリストテレスで西田幾多郎だったけど、根幹はトマス・アクィナスだったな~な2022年~
年の瀬である。
ぶんじ寮の食堂には、自家製おでんと年越し用そば、それに巨大な鏡餅が鎮座している。
年を越す準備はバッチリ。
あとは、じぶんが2022年とキッチリおさらばして、2023年へスッキリ踏み出すのみ。
ふりかえりも内省も、チャイとおなじくらい大好物なワタシ。
今年も元気に、1年をふりかえってゆきます。
壮大な長さになりそうなので、一体いくつに細分化されるかわからないながらも、小分けにして書いてゆくことにします。
アリストテレスで西田幾多郎だけど、根幹はトマス・アクィナスだった2022年
私と哲学は切っても切れない関係性なので、思い切ってふりかえりも哲学チックに分類してみることに。
トマス・アクィナスの愛
西田幾多郎(大先生)の絶対矛盾的自己同一
アリストテレスの中庸
が、私の1年の根源的哲学思想としてあったな、と。
もうちょっと分かり易くまとめると、愛される(愛してもらう)ことの模索を通して、自分を愛すること、周りから愛されていることに気づこうとしていた、根本感情としての愛の話と、
自己の内部や、自他の関係性において矛盾って、解消するものでもなんでもなく、矛盾の存在を認めながら話を先に進めることって、絶対矛盾的自己同一の考えが頭の片隅にあれば可能だよな、っていう私の変態的な西田幾多郎大先生への偏愛の話と、
幸せに生きるための特別な真理なんてなくって、中庸を目指して普遍的な生活を送り続けようとすることでしかないんだな、と4年がかりで当たり前のことに気づいたっていうお話。
ここまで書いてきて、待って~!なんかこれ卒論のはじめに、みたいな内容要約なんだけど、と未だに卒論の後遺症を良くも悪くも引きずっている自分に気づくワタシ。ウケる。
まとめているので、お時間があれば。
年越しそばでもすすりながら、読んでもらえると嬉しいです。
感想コメントもらえると、もっと嬉しいです。