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冬とエモ

冷たい風が朝晩に吹き、毛布を押し入れから取り出していく。おてんとさまの体温をたっぷり含んだふかふかの毛布は新たな季節の始まりを告げる。通称・冬、冬(ふゆ)は、四季の一つであり、秋と春に挟まれた季節であり、夏と共に春と秋を挟む季節である。
日本の四季は、春夏秋冬で構成され春は桜が満開に咲き花見を楽しみ、夏にはお陽さまが照りつける下でのバーキュー、秋は山が紅く燃え上がり、冬にはそれが雪で白く染まる。ヒルクライムが語り継ぐように、この四季は日本を日本たらしめる土台の一つだと思う。今は昔、やうやうしろくなりゆくやまぎはを語っていた清少納言の頃から、我々日本人は四季と共に歩んできたのだ。確かに気温に合わせて服装を変え、食物の保存方法を考案したり、きっと僕が当たり前だと思っているものにも四季が影響しているに違いない。それほどまでに、大前提としてきた四季が変わりつつあるんじゃあないかと、小さな一個人は不安を抱えている。一小市民として危惧しているのは気温上昇によるエモイベントの減少だ。
今年2024年、僕が住む地域では、11月でも25度の予報が出たり太陽が当たる昼間はTシャツ一枚で過ごせそうなくらい陽気なお天気であった。かろうじて最後の1週間は気温がグッと冷え込みやっと秋かという気候になった。
が、時に素手遅し、今はもう12月の6日、クリスマスまで三週間を切っている。この時期を冬と呼ばずになんと呼べるだろうか。流石に12月は冬と呼ばせていただきたいと陳情を訴えたところで秋が1ヶ月もなかった幻の季節になってしまうコトを嘆かないわけにはいかない。
夏が伸び、秋は消えゆき、冬になれば突然のクリスマスを迎える。
僕の頭の中の理想郷では、夏が終わり涼しくなってきた頃、少し涼しい夜風に吹かれて散歩をし、運動会や文化的活動で人間としての器のろくろを回し、さらに冬を迎える準備で手袋やコートを入念に探し回り、冬の始まりには人肌を恋しく思い、タコパや鍋パ、様々なパーティとイベントや街のキラめきを楽しんでいく。そういうエモが詰まった季節がこの秋から冬だと思っていた。
秋は気づかないうちに過ぎ去り、人肌を恋しく思うほど気温が下がらず、人と人の距離が近くならない、そんな季節は来てほしくない。
寒いのは嫌だと何度も文句を言ってきた人生だったが、本当は冬に感謝したことも何度もある。

行かないでおくれよ、冬とエモ