どしゃぶりの向こうに立ち吞み放棄の立ち吞み店 ~進化も退化もしない元立呑み店~
その店は広い国道に面した場所にあった。JRの駅も近い。
国道の反対側からもよく見えるように、大きく「立ち呑み」と書いてある。
その日は大雨だった。どしゃぶりの中、傘をさして横断歩道を渡る。
短い雨宿りには、立ち飲み店が助かる。
店に背を向け、濡れないように気をつけながら傘をたたむ。
ふり返った。
右手の長いまっすぐのカウンターと左手の短いまっすぐのカウンターがあり、それを斜めのカウンターがつなぐ。
不思議な形のカウンター席だった。
カウンターの高さは立ち呑みにちょうど良い高さだ。
しかし、椅子がある。
「立ち呑み」と大書してあっても椅子のある「元立ち呑店」だ。
カウンターの内側に三角地があって、その中にいるマスターは三角の先に行って、その辺りに座る客に、手を伸ばして生ビールを渡した。入口の六席は向かい合える席。グループはここがよいかもしれない。
右手の長いカウンターの真ん中あたりに座った。向う側に一人、先客がいた。
席料お通し付(五〇円)という紙が貼ってある。五〇円という価格が面白い。
ホッピーセット(三五〇円)がある。
「白、黒、赤」と書いてある。赤はワンウェイ瓶の55ホッピーのことに違いない。赤の値段は四五〇円。
支払いはキャッシュオンである。目の前に千円札を一枚だす。
奥のキッチンの中から何かを炒める音がする。少しして赤い麺がのった皿が私の向こう側のカウンター席に座る方に届けられた。
「はい、ナポリタンねぇ」
その方は、新聞を読みながら黙ってナポリタンを食べ始める。振り返って壁のメニューを見ると、ナポリタンをはじめ、食事メニューがしっかりとある。
お酒を飲むと同時に食事をされる方が多いに違いない。
ポテトサラダ(二〇〇円)を頼んだ。
入って右手に大きな冷蔵庫が置いてある。その上に大画面テレビ。私も含め、先客たちはみんなテレビを見ているので、新しく客が入ってくると、先客から一斉に見られることになる。マスターは奥の調理場から出てきて、私の座っているカウンター席の後ろを歩いて、入口近くのその大型冷蔵庫の所まで来て、その中から食材を取り出し、再び調理場へと戻る。長い移動距離だ。
壁に色々な食材が書かれたメニューがあって、その調理方法と味付けが横に書いてある。
調理法は、てんぷら、焼き、炒め、味は、塩、しょうゆ、味噌、ピリ辛、こしょう。とある。
好きなように作ってくれるのはとても良い。今日は十七種類ある。値段は一種は一五〇円、二種は二五〇円。二種一度に頼む方がお得ということか。
私も魚肉ソーセージとチンゲン菜の二種を炒めてもらった。二五〇円だ。次回は、ヤングコーンのてんぷらを食べてみようか。
目新しい食べ物があるわけではない、ただ、自分の好きな食材を好きな調理法で安く食べさせてくれる。
常連にとっては助かるシステムだ。
「チューハイお願いします。」
「チューハイは何がいいですか?」
「ええと・・・」
「チューハイは、レモン、ライム、グレープフルーツ、カルピス、ウーロンハイ、お茶ハイ・・・」
「・・・お茶ハイ」
「はい、お茶ハイですね」
種類が多すぎる。やっと、お茶ハイ(二五〇円)に決められた。
ワカメとカニカマの酢の物(一〇〇円)も頼む。
お茶ハイを飲みながら店内を見る。適度に汚れ、味わいが出ている。
元はバーか何かだったのかもしれない。洋風なつくりである。
雨もふり、少し寒くなってきた。
雲海お湯割り(三〇〇円)を呑む。
目の前に置いた残金は二五〇円なのであと五〇円が必要だ。財布から五〇円を入れる。
マスターは入口の冷蔵庫へ食材を何度も取りに行く。忙しい。
やがて、犬のケージを持ったお客さんが入ってくる。
ケージから犬が出され、椅子の上に犬を座らせる。
犬が椅子に座っている。人間も椅子に座っている。
ここは、立ち呑みを放棄した立ち呑み店である。
普通、立ち呑み店では、座る店よりも早く時間が流れる。回転率が命だからだ。
でも、お店の方が早い時間の流れを好む場合とそうではない場合がある。
途中でお店の方が疲れてしまったのか。それほど回転率も上がらなかったのか。
新しく来たお客さんが立ち呑み店でよく言う、「椅子を置いたら毎日来るのに」という嘘にのってしまったのか。
ここは外に立ち呑みと書かれた「立ち呑み放棄の立ち呑み店」となった。
座る店から立ち呑みになってもそれは進化でも退化でもない。
ここのお店はずっとこうに違いない。通う方がいる限り。
犬も座っている。私も座っている。だんだんと眠くなってくる。
マスターも隣に座るお客さんもその犬になれているようだ。
犬がいても何も反応しないお客さんたち。
すべてがゆるく流れてゆく。
外は雨。
遣らずの雨か。
思いのほか長居をしてしまった。
雨も弱くなってきた。
外に出ることにする。
国道を雨を蹴散らせて大型トラックが走りぬけた。
(了)