新岳大典

ブロガー。酒場を求めて巡り歩く居酒屋探偵daitenこと新岳大典(あらたけだいてん)がエッセイ、小説などを掲載。 blog : http://daitenkan.jp/ facebook : https://www.facebook.com/daiten.aratake

新岳大典

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最近の記事

新岳大典=あらたけだいてん

新岳大典とは何者か。 「あらたけだいてん」と読みます。名刺を出したりすると、名字を「にいたけさんですか」と聞かれ、名前は「おおのりさんですか」と言われたりします。 あわせると「にいたけおおのり」となります。誰・・・。 もちろん新岳大典は本名ではありません。 運命鑑定家だった母が命名した筆名です。 もちろん、本名も母が命名しました。「大」という文字だけは本名にも入っているので、新岳大典でおつき合いいただいている皆さんも本名で生活の場を共有させてもらっている皆さんからも「大」とい

    • どしゃぶりの向こうに立ち吞み放棄の立ち吞み店 ~進化も退化もしない元立呑み店~

       その店は広い国道に面した場所にあった。JRの駅も近い。  国道の反対側からもよく見えるように、大きく「立ち呑み」と書いてある。  その日は大雨だった。どしゃぶりの中、傘をさして横断歩道を渡る。  短い雨宿りには、立ち飲み店が助かる。  店に背を向け、濡れないように気をつけながら傘をたたむ。  ふり返った。  右手の長いまっすぐのカウンターと左手の短いまっすぐのカウンターがあり、それを斜めのカウンターがつなぐ。  不思議な形のカウンター席だった。  カウンターの高さは立ち呑み

      • 風鈴の鳴る角打酒店 ~90年という長き時に~

         真夏の八月の話である。その夏は本当に暑かった。  エアコンが無い角打だった。かなりの暑さを覚悟であえて訪問した。  ある私鉄沿線の駅から少し歩いた、野菜、魚、肉の生鮮三品を安く売ることで有名な商店街の裏手にひっそりとその酒屋さんはある。角打ちのできる酒屋として歴史が古い。  入口は開け放ってある。左手にL字形のカウンターがあり、その中に業務用の巨大な冷蔵庫があって、昭和三八年一二月一日付の「酒類小売価格表」が貼ってある。凄い。五十年以上前のものだ。  入って右手に棚が並び

        • 居酒屋探偵DAITENの生活/ Life of the izakaya detective DAITEN 居酒屋探偵daiten復活〜長い眠りから目覚めたように〜

          http://daitenkan.jp  このブログの最初の記事は、深川の割烹「高橋」さんでした。  2006年7月ですからそれから18年の時が経っています。振り返って読んでいただければ分かりますが、膨大な軒数の居酒屋さんを巡りました。紹介しなかった居酒屋さんを入れれば、どれだけ巡ったか自分でも分かりません。  2020年の1月上旬に新型コロナウイルス感染症が国内で確認されてから何故か様々な業態がある中、「居酒屋」が悪者扱いされました。  テレビでは、感染状況の報道一色と

        • 新岳大典=あらたけだいてん

        • どしゃぶりの向こうに立ち吞み放棄の立ち吞み店 ~進化も退化もしない元立呑み店~

        • 風鈴の鳴る角打酒店 ~90年という長き時に~

        • 居酒屋探偵DAITENの生活/ Life of the izakaya detective DAITEN 居酒屋探偵daiten復活〜長い眠りから目覚めたように〜

          ブログ「居酒屋探偵daitenの生活」のドメインが変わりました。 いわば大転換jpです。

          ブログ「居酒屋探偵daitenの生活」のドメインが変わりました。 いわば大転換jpです。

          短編小説「車いすとホッピー」(改定版)

           ニュースでその事故を知ってから裕一郎はずっと憂鬱だった。  八十歳の女性が六十歳の長女に車いすを押してもらい、東急多摩川線の多摩川駅にやってきた。車椅子でも通り易いように通路の幅が広くなっている自動改札を抜け、エレベータに乗ってホームへ直接向かうことができる。  ニュースによれば、女性は車椅子を押しながらエレベーターからホームに出ると、渋谷方面の線路の方向に車いすを向けて置き、その場を離れた。下の階で待つ人たちの為、エレベーター内の「閉」のボタンを押すためだったという。ホー

          短編小説「車いすとホッピー」(改定版)

          文芸投稿誌「文芸本陣」1993年・冬号について

          1992年に会が発足、翌1993年2月に創刊、全9号まで作った文芸投稿誌「文芸本陣」。1993年冬・第4号の特集テーマは「決断の瞬間(とき)」でした。下記に特集テーマについての文章。そして、今回は「編集後記」も載せました。当時の私は、なんだかちょっと気負ってますね。 写真は目次と表紙です。文芸本陣は「かたびら・スペース・しばた。」で無料で差し上げています。 ----------------------------------- テーマについて 特集 決断の瞬間(とき) 199

          文芸投稿誌「文芸本陣」1993年・冬号について

          文芸投稿誌「文芸本陣」1993年秋号について

          1992年に会が発足、翌1993年2月に創刊、全9号まで作った文芸投稿誌「文芸本陣」。1993年秋・第3号の特集テーマは「ラブレター」でした。写真は目次と表紙と下記の巻頭の文章です。30年前の文章なので若い方には不思議な内容ですね(笑)。文芸本陣は「かたびら・スペース・しばた。」で無料で差し上げています。 ----------------------------------- 特集 ラブレター 電話のすぐあとで手紙が着いた あなたは電話ではふざけていて 手紙では生真面目だっ

          文芸投稿誌「文芸本陣」1993年秋号について

          文芸投稿誌「文芸本陣」1993年夏・創刊第2号について

          1992年に会が発足、翌1993年2月に創刊、全9号まで作った文芸投稿誌「文芸本陣」。1993年夏・創刊第2号からは、会員にテーマに沿った作品も書いてもらうことにしました。特集テーマは「私の横浜」でした。 写真は表紙と目次です。目次を見ると【宿場そば桑名屋】さんの店主近藤博昭氏の「ほどほどがやがや〜私の程ヶ谷宿中毒症について〜」も載っていますね。文芸本陣は【かたびら・スペース・しばた。】他にて無料配布中。 下記は巻頭に書いた文章です。 --------------------

          文芸投稿誌「文芸本陣」1993年夏・創刊第2号について

          文芸投稿誌「文芸本陣」1993年春・創刊号について

          1992年に会が発足、翌1993年2月に創刊、全9号まで作った文芸投稿誌「文芸本陣」は、その誌名の由来でもある本陣のある保土ヶ谷区を中心として、全国から会員を募っていました。 印刷代を確保する為に会費をいただき、本誌も500円で販売しておりましたが、現在は在庫を「かたびら・スペース・しばた。」内にて無料でお分けしています。下記は当時、編集長であった私が書いた「創刊の言葉」です。30年前なので表現が古めかしいですね(笑) ----------------------------

          文芸投稿誌「文芸本陣」1993年春・創刊号について

          車輪〜3・11の思い出〜

          12年前の今日。2011年3月11日は金曜日だった。それが始まったのは午後2時46分。 当時の職場は品川区の東急池上線戸越銀座駅の近くにあり、自宅は大田区の同じ沿線の雪谷大塚駅の近くだった。 私は職場の三階の事務所にいた。近くの棚が倒れないように手で押さえながら、立ったまま、足を踏ん張って揺れに耐えた。揺れは今まで経験に無かった長さだった。 揺れが収まって一階に降りて外に出てみると、少し離れたビルの工事現場の上で大きなクレーンが揺れ続けているのが見えた。 母は既に介護

          車輪〜3・11の思い出〜

          短編小説「酒に運ばれ」

           最低気温が零度以下の日々が続くという。  駅前の雑居ビルの三階、交差点を眺めることが出来るそのカフェの中は、温度管理が適切ではない古い空調機のため、無駄な暖かさに満ちていた。  陽が高いうちに、ビルの前に横付けしたタクシーから抜け出し、まっすぐにそのカフェに向かった。古くからあった喫茶店を改装して名前を変えた店である。その為か客の年齢層は高い。  しばらくして、待ち合わせの相手から来ることが出来ないという連絡を受けた。タクシー代は無駄になったが、とくに落胆もしない。そういう

          短編小説「酒に運ばれ」

          本当に名も無き激安居酒屋にて

           台風は去っていた。  しかし、空はまだ不安定だ。一昨日、九州に上陸した台風は日本列島の南岸を舐めるように通り過ぎ、房総半島の南端をかすめるように再び上陸、昼前には太平洋へと抜けていった。  空を見ながら歩くのも久しぶりだった。西の空と東の空の色が違っている。  夕暮れは近い。北側の住宅の日照を奪わないように手前から階段状に高くなってゆく真新しいマンションの外壁や窓に当たる西日が眩しい。遠く南の空にまだ青い色が残っていた。  しかし、振り返れば淡墨で描いたような空が不安を誘う

          本当に名も無き激安居酒屋にて

          長寿人生

           親友と二人、それぞれの仕事が終わった後、軽く飲む約束をした。  横浜市内のJRと私鉄が隣接する乗換駅の近くである。  店は決まっていなかった。  美味しい料理をだす店を探しているわけではない、ことさら安い店をみつけようというのでもない。  静かに二人で話すのにちょうど良い、古い造りの店がいい。  あまりに汚いのは苦手だけれど、それなりに小綺麗にしていてくれれば充分だ。    夕暮れ時である。でも、陽はまだ高い。  比較的広い裏通りを歩いていると、角地に硝子戸を開け放った古い