Dai Tamesue(為末大)

元陸上選手です。スポーツで社会を良くするぞ! 為末の考え方を知っていただくにはこの本が…

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元陸上選手です。スポーツで社会を良くするぞ! 為末の考え方を知っていただくにはこの本が一番良いです。 https://amzn.asia/d/0ahPXTu4

記事一覧

悟りとは夢中ではないか

私はブッダが言った悟りとは夢中の状態に近いのではないかと考えています。共通の特徴は瞬間性です。今この瞬間を生きる。 悟りは言語的には執着から解き放たれ心の平穏を…

プロとアマではどちらの方がパフォーマンスが高いのか

長文ファンの皆様おはようございます。 スポーツには、そもそもプロのスポーツ(リーグや協会が賞金を出す、チームが純粋に金銭で契約する)とアマチュアのスポーツがあり…

私たちは何を計測するべきか

長文ファンの皆様おはようございます。 最近、計測の科学という本を読み始め、計測について考えています。人が計測をし始めた歴史は古いのですが、それが世界共通の基準(…

「頭がいい人は難しいことをわかりやすく説明することができる」は本当だろうか

長文ファンの皆様おはようございます。 「頭がいい人は難しいことをわかりやすく説明することができる」とよく言われます。ある程度はそう言えそうなものの、やはり難しい…

全てに寿命があり、終わりがある中で、どう適応し続ければいいのか

長文ファンの皆様おはようございます。 全てには寿命があります。人間はいつか人生を終えますし、企業の寿命は平均23年と言われています。国家も永遠ではなく、帝国の繁栄…

不快や嫌いと距離をとっていく中で、人がどんどん先鋭化する現象はどう理解すればいいのか

長文ファンの皆様おはようございます。 私は信念がいかにして構築されるかに興味を持っています。その中で分裂生成(元々はベイトソンが提唱したものだそうです)というア…

インターネットの登場で本当に知識に価値は無くなったのか

長文ファンの皆様おはようございます。 昔はいろんなことを知っている人が賢い人だったが、インターネットの登場でそれが崩れ、知識は必要なくなった、wikipediaを調べれ…

評価とは比較ではないか。そうであれば、何と比較するのか

長文ファンの皆様おはようございます。 「評価とは比較ではないか」と私は考えています。例えば仮に人生で一度も車を見たことがない人が、車を見てその車がいいか悪いか…

正義と幸せは両方手に入るのか

長文ファンの皆様おはようございます。 正義と幸福は相性が良くありません。これはどちらが大事というわけではなく、どちらも成立している状態を作るのが難しいのだと思い…

アスリートキャリアで代表的な五つ

長文ファンの皆様おはようございます。 昨日はメディア対応の話をしました。それらは将来何になりたいかから逆算されます。かと言ってなりたいものがはっきりしている選…

オリンピアンは、オリンピックの後メディアとどう付き合えばいいのか

長文ファンの皆さまこんにちは。 オリンピックを終えた後に、良い結果を出したアスリートがメディアに出演します。だいたい一ヶ月ぐらいがピークでそのあと年末までは緩…

平等を追求すると、なぜ社会は無個性になるのか

長文ファンの皆様おはようございます。 「平等」はよく聞く言葉ですが、平等について議論する時、一体何が揃うと平等なのかが明確ではないことも多いです。 平等を定義…

ドーピングの歴史からドーピングはなぜ良くないのかを考える

長文ファンの皆様おはようございます。 今日は「ドーピングはなぜ禁止されているのか」から、「大麻はドーピングなのか」を考えてみたいと思います。今日は第一弾。 ドー…

パリ五輪でメダル数三位になった背景分析

長文ファンの皆様おはようございます。 いやあ、オリンピック最高でした。日本の活躍はすごかったです。とても感動しました。 いっぱい選手のすごいところを書きたいとこ…

五輪は誰のものなのか

長文ファンの皆様おはようございます。 パリ五輪の開会式がさまざまな意見を引き起こしています。ここ数日考えてましたが、ふと「五輪は一体誰のものなのか」という問いが…

言語化能力を高めるときは「言葉を定義し、差異を見つける」のが大事なのではないか

長文ファンの皆さまおはようございます。 言語化能力は、考えるためにも、また人に伝えるためにも大事だと思います。言語化能力を支えるために、知っておくべき大事な点が…

悟りとは夢中ではないか

私はブッダが言った悟りとは夢中の状態に近いのではないかと考えています。共通の特徴は瞬間性です。今この瞬間を生きる。 悟りは言語的には執着から解き放たれ心の平穏を手に入れた状態だと言えるのではないでしょうか。過去を悔やまず未来を憂いていない。起きる出来事に心が惑わされず、執着せず、手放し続ける。 それは瞬間を生きることだと理解しています。 悟りを生きることは凡人にはなかなか難しいですが、夢中であれば体験できます。夢中の瞬間に人は過去を忘れ、未来を心配せず、今ここに没頭して

プロとアマではどちらの方がパフォーマンスが高いのか

長文ファンの皆様おはようございます。 スポーツには、そもそもプロのスポーツ(リーグや協会が賞金を出す、チームが純粋に金銭で契約する)とアマチュアのスポーツがあります。 近年、アマチュアスポーツの中でプロ的に活動する選手とアマ的に活動する選手が分かれるようになりました。この場合のプロとアマの違いはほぼ「長期雇用前提か、短期の契約前提か」と言っていいと思います。 プロの方がパフォーマンスが高くなると考えがちですが、一部にはプロになってパフォーマンスが下がった選手もいます。そ

私たちは何を計測するべきか

長文ファンの皆様おはようございます。 最近、計測の科学という本を読み始め、計測について考えています。人が計測をし始めた歴史は古いのですが、それが世界共通の基準(メートル法)に至ったのは案外古く、フランス革命の時期になるそうです。 それより前は、各地域で基準が違ったり、または状況によって違ったそうです。例えば牛10頭が食べられる広さという定義だったそうで、そうなると牧草地よりも、荒地の方がおなじ1なんとかという基準でも広くなります。 さて、私たちは今あらゆることを計測して

「頭がいい人は難しいことをわかりやすく説明することができる」は本当だろうか

長文ファンの皆様おはようございます。 「頭がいい人は難しいことをわかりやすく説明することができる」とよく言われます。ある程度はそう言えそうなものの、やはり難しいことはどんなに説明上手でも理解が難しいこともあり得ます。 これは「わかることと、わかった感があることは違う」ところからやってきていると思います。どちらかというと「わかった感」の話をしていると思います。ではわかった感はどう生み出されるのでしょうか。 人がわかった感を持つために大事なのは、「理解できる程度に単純化され

全てに寿命があり、終わりがある中で、どう適応し続ければいいのか

長文ファンの皆様おはようございます。 全てには寿命があります。人間はいつか人生を終えますし、企業の寿命は平均23年と言われています。国家も永遠ではなく、帝国の繁栄も100-300年と言われています。 大きな視点では地球にも寿命があります。地球は寒冷期と温暖期を繰り返していて、今の温暖期にもいずれ終わりが来ると言われています。 そこまで大きな話でなくても、社会という環境は変わり続けています。30年前インターネットは一般的ではありませんでした。AIが一般的に使われ始めたのも

不快や嫌いと距離をとっていく中で、人がどんどん先鋭化する現象はどう理解すればいいのか

長文ファンの皆様おはようございます。 私は信念がいかにして構築されるかに興味を持っています。その中で分裂生成(元々はベイトソンが提唱したものだそうです)というアイデアでそれが説明できないだろうかと考えています。 普通に考えれば、例えば農耕や儀式などはより合理的かつ魅力的なものであれば当然採用されそれが広がると考えます。 しかし、実際には距離的に非常に近い地域同士で、違う文化が育つことがあるそうです。農耕の近くで狩猟採集、派手な祭りの近くで、質素な祭り。これらを説明するた

インターネットの登場で本当に知識に価値は無くなったのか

長文ファンの皆様おはようございます。 昔はいろんなことを知っている人が賢い人だったが、インターネットの登場でそれが崩れ、知識は必要なくなった、wikipediaを調べればいいし、chatGPTに聞けばいい、と言われることがあります。 しかし、そもそも「知っている」とはどういうことなのでしょうか。 例えば日本の歴史に詳しい人がいます。何を聞いても少なくとも教科書に載っているような史実を知っている。そこでそれだけ知っているのだからと「日本とは何か」と聞いてみます。 日本と

評価とは比較ではないか。そうであれば、何と比較するのか

長文ファンの皆様おはようございます。 「評価とは比較ではないか」と私は考えています。例えば仮に人生で一度も車を見たことがない人が、車を見てその車がいいか悪いかを判断することは難しいのではないでしょうか。車というカテゴリーそのものの評価はできても。 「目利きができる」人は、その領域で量に触れてきた人なのではないかと思います。 ただ、問題はある狭い範囲だけにふれてきた人は、短い物差しで測る癖がつくのではないかと思います。妙に評価が細かい人が、その領域で異質なものを評価で

正義と幸せは両方手に入るのか

長文ファンの皆様おはようございます。 正義と幸福は相性が良くありません。これはどちらが大事というわけではなく、どちらも成立している状態を作るのが難しいのだと思います。 例えば社会で許せないことがある。格差であったり、差別であったり、紛争であったりするわけです。これをなんとかしたい。これは素晴らしいことで、憤る人がいるから社会が変わるわけでもあります。 一方で憤っているより、平穏な心で日々を過ごした方が幸福度は高い。毎日平穏な心で、友人たちと時間を過ごし、好きなことをやって

アスリートキャリアで代表的な五つ

長文ファンの皆様おはようございます。 昨日はメディア対応の話をしました。それらは将来何になりたいかから逆算されます。かと言ってなりたいものがはっきりしている選手はそう多くありません。私も引退するまでそうでした。 ですので、何パターンかアスリートのセカンドキャリアの事例を出してみたいと思います。当然もっと多様ですが、わかりやすく代表的なものをピックアップしました。 1、ビジネスマン 一番多いのがこの道です。アスリートの多くは引退後、一社会人として社会に馴染んで

オリンピアンは、オリンピックの後メディアとどう付き合えばいいのか

長文ファンの皆さまこんにちは。 オリンピックを終えた後に、良い結果を出したアスリートがメディアに出演します。だいたい一ヶ月ぐらいがピークでそのあと年末までは緩やかに続き、最も活躍したアスリートが紅白歌合戦の審査員になるところで一旦は終了します。 わずか4ヶ月の間ですが、ここでの振る舞いはアスリートの人生に多少なりとも影響を与えます。この時期に「消費される側」になるか「メディアを活用する側」になるかが分かれます。 もしもすでに競技人生の先にこんなふうになりたいと思っ

平等を追求すると、なぜ社会は無個性になるのか

長文ファンの皆様おはようございます。 「平等」はよく聞く言葉ですが、平等について議論する時、一体何が揃うと平等なのかが明確ではないことも多いです。 平等を定義するためには「差異」と、それに上下をつけるための「価値基準」が必要です。 平等と聞いてまずわかりやすいのは格差と機会の平等です。これは是正した方がよいですが、しかしなぜ平等と聞くとこれが浮かぶのか。 それは、現代が「能力が高いものは富を手に入れる」「資産が更なる資産を生む」という仕組みで動いているからだろう

ドーピングの歴史からドーピングはなぜ良くないのかを考える

長文ファンの皆様おはようございます。 今日は「ドーピングはなぜ禁止されているのか」から、「大麻はドーピングなのか」を考えてみたいと思います。今日は第一弾。 ドーピングの語源は、複数ありますが、有力なのはアフリカ南部のカフィール族が先頭や狩猟の際に飲んでいたdopという酒だと言われています。 その後、何かの物質を摂取することでパフォーマンスを高める行為がドーピングと呼ばれ、禁止されてきました。 最も古いドーピングの歴史は1865年のオランダの運河水泳大会だと言われています。

パリ五輪でメダル数三位になった背景分析

長文ファンの皆様おはようございます。 いやあ、オリンピック最高でした。日本の活躍はすごかったです。とても感動しました。 いっぱい選手のすごいところを書きたいところですが、あんまりそこを期待はされていないと思うので、今回は「なぜ日本は躍進したのか」を書いてみたいと思います。 メタな視点になるので、個別の選手の努力を軽視するのかと突っ込まれそうですが、それは十分リスペクトした上で、というのをご容赦ください。 もし研究者やメディアで興味を持たれる方いたら、ぜひ追跡調査お願いします

五輪は誰のものなのか

長文ファンの皆様おはようございます。 パリ五輪の開会式がさまざまな意見を引き起こしています。ここ数日考えてましたが、ふと「五輪は一体誰のものなのか」という問いが浮かびました。 マルセルモースは贈与論の中で、北アメリカの先住民が繰り広げる激しい贈与合戦であるポトラッチを解説しています。宴の絶好調の際には最も重要であるとされるものを叩き割る事すら行われます。 モースは贈与の中でその宴をとらえましたが、別の視点では所有物を破壊することで、他者に所有する力を示しているともいえま

言語化能力を高めるときは「言葉を定義し、差異を見つける」のが大事なのではないか

長文ファンの皆さまおはようございます。 言語化能力は、考えるためにも、また人に伝えるためにも大事だと思います。言語化能力を支えるために、知っておくべき大事な点が二点あると思います。 ・言葉の定義をしようとすること。ただし、それには限界があること ・言葉の定義はどこまでいっても他人と同じにはならないこと この二つを集約すると、言葉は明確に定義することはできず、人によって定義は違うが、それでも自分なりに定義しておくことが言語化能力にとっては大事、になります。 言葉は究極、