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子どもは賢い!【6月11日(木)】

キーンコーンカーンコーン♪
6月11日(木) 朝の会始めまーす。

今日は、「寂しいときに寂しいって言えたら良いよね」という話をしまーす。


昨年、ついに3年かけて計画をした我が家が完成しました。

お世話になった住宅会社の担当の方から、「DaiSuKeさんの家がこれまでの我社の経歴の中で、一番長く時間をかけて作った家です。」と嫌味にも聞こえるお言葉をもらえるほど、愛情をかけてじっくり作っていった自慢の家です。

そんな自慢の家に、たくさんの友だちが来てくれます。

ボクの妻はおしゃべり仲人モンスターなので、次から次へとホームパーティの計画ができます。

そうすると、どうしても来てくれる友だちと話し込むことが多く、子どもたちを放っておくことが多くなります。。。


全く無視をしているわけではないけど、1人でプラレールをしていたり、TVに育児を任せてしまうことも多々あります。


息子は、保育園では目立つ存在で、そこでの生活には満足している様子です。
しかし、ホームパーティをした翌日には、大好きな保育園に行きたがりません。

最近、とても賢くなってきたのか、いろいろと言い訳を考えて、あの手この手を使って大泣きして休みたい理由を言ってきます。

「裸足(保育)が始まったけど、裸足になるの嫌だっ!」

「半ズボンが嫌だっ!」

「給食の野菜がいやだっ!」

ボクは、息子が言っているこの休みたい理由は、半分はほんとなのかもしれませんが、結局は『休む』という目的を達成するために、彼なりに色々考えて周りの大人たちを納得させようとしているだけとも思います。

この休みたい理由はすべて解決できます。

「先生に言って、靴下を履かせてもらおうっ!」

「長ズボンで行こうっ!」

「先生に言って、少し野菜の量を減らしてもらおうっ!」

でも、息子からすると、この理由が解決してしまったらダメなんです。だって休めないから。。。

子どもは賢いです。おそらく遺伝子レベルで『愛情を欲する力』はどの子にも備わっているのかなって思います。

よく、大人たちは自分の都合の良いように言ったり行動したりします。
今回のボクの場合だったら、友だちが来ているので「ちょっと、上でプラレールして遊んでおいでー」とか「TV見るー?」とか。

子どもたちは、幼いなりにわかっています。
「あっ、今は、かまってもらえないのね。すこし邪魔なのね。」ってことに。



やっぱり寂しい(寂しかった)んだと思います。



「ボクもみんなの会話に入れてーーー!!ボクの話し聞いて-!!」
「ボクのこと見て!すごいでしょ!!褒めて褒めてーーー!!!」

たぶんこんなような言葉をホームパーティ中に何度も何度も言っていたし、口には出さなくてもココロの中ではすごく思っていたんだと思います。

でも、大人たちはなかなか聞いてくれない。自分はこの場の中心じゃない。。。

そんなことを感じて、それが翌朝に爆発しちゃうのかなって。。。

もちろん、すべての時間を子どもたちに捧げることもできないし、自分も楽しみたいです。でも、この子どもの気持ちを少しでも分かってはあげたいなとは思います。


大泣きしてボクに保育園を休みたい理由を語ってくる息子に、一番効いた言葉は一つ一つの理由を解決してあげる言葉ではなく、「保育園から帰ってきたら昨日の分までたくさん遊ぼうっ!!」でした。

それでも、泣き止まず、めめって保育園に向かう息子に対してボクができることは、ぎゅっと抱きしめて、信じて送り出してあげることだけでした。

こんなことしかできないけど、それでいいのかなとも思っています。理由はないです。なんとなくです。




でも、子どもが大きくなればなるほど、少し心配なこともあります。


それは、察する能力が上がれば上がるほど、自分のココロの中で上手に解消していくことです。

これは生きていく上で大事な能力だと思います。

でも、自分の中で寂しい気持ちやどうしようもない気持ち(虚無感)を無理に抱え込んで、生きる希望や夢を無くして欲しくはありません。

そんなときに、近くの人がその気持ちを察してあげれたり、その子が素直に「寂しい」と話せる人がいたら良いなって思います。

幼いときには親がその役割を果たすと思いますが、発達する段階で、その役割がおじいちゃんになったり友だちになったり先生になったり、そして、自分が一番尊敬できるパートナーになったり。。。


自分が「寂しい」ってことを素直に「寂しい」って言える相手がいればいいなとつくづく思います。その存在がもし、自分なのであればちゃんと聞いてあげたいなって思います。


どこかで(たぶんNewsPicksで)学んだ話ですが、人は“特別感”とか“優遇感”を感じたときに愛情を感じることが多いそうです。

それは、お金やものを得たときにもあるとは思うのですが、やっぱりその“特別感”とか“優遇感”を一番感じられるのは“人”なんじゃないかな。。


自分の人生のどの場面に生きていても、「寂しい」ときには「寂しい」って言える人がそばにいると良いよね。。


そんな人や仲間を作っていくって意味でも、人付き合いって大切だなぁって思います。


今日は、家族のことを想ういい父親風に語ってみました。


一つだけ間違ってほしくないのは、この「寂しさ」を表現する対象は自分で決められるということ。
絶対に親には言わなきゃいけないとか、父親がいないからボクは不幸で「寂しさ」を表現できない我慢しなきゃいけない子、と思わないでほしいです。

自分で決められます。“言うか” “言わないか”もそうだし、“誰に言うか”もです。

自分で決められます。。


“今日もワクワクしようぜ!”

朝の会終わりまーす🎶

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