コロナ禍以後のテレビやエンターテイメントの物語性について
まだ以後ではない
まだコロナ禍中なのでこんなこと話すのは早いのかもしれない。これからもっとひどくなる可能性もあるわけだから。
ただすでに以後の世界であると思う。
311以後
311は以前と以後、同じものは作れない、作られない。現在の時間を描きながらそれがない東北を描いてしまったら違和感というか、フィクションではあるがSFくらい嘘っぽさを感じてしてまう。
以後の世界を生きていて好きだったのは『最高の離婚』と『あまちゃん』
また米津玄師のパプリカは花は咲くの返歌としてのメッセージが込められつつも作品としての素晴らしさがある。
もう311以前の世界を描くことは創作の世界ではリアリティがないことになっている。
まだ渦中ではあるがもう以前ではない。
日本と日本以外の感覚はおそらく他の国、地域でも自国と自国以外の感じ方は違う。
だから日本としての感覚で書くしかないが、テレビドラマやCMを見ていても、今放送されているものの多くは4月以降の渦中で作られたものだろう。
しかし中身は以前のままであるように感じる。
大人数でわいわいしたものは少ないにしても、人との距離感や家族でもないのにマスクをしてないで会話しているだけでも違和感を感じている。
まだ渦中にも関わらず。
なぜテレビは変わらないのか
特にバラエティ番組でひな壇芸人がわいわいやるタイプの番組はただ小規模になっただけだったり、飛沫防止効果がほぼないとされているマウスシールドだけつけて、密でディスタンスもなく以前と同じような内容の番組を作り続けている。
もうそんな番組を見ても違和感しか感じず面白さはない。
テレビドラマも普通の恋愛ドラマでだんだんカップルの距離が縮まっていっても、虚構感が増してしまう。
現在日テレでやっている#リモラブはまさに渦中のドラマであって、まだ以後のドラマではない。
テレビ局の人は間違いなく優秀な人がいるはずなのに、なぜ以後の世界をエンターテイメントとして表現できないのか。もちろんそもそも番組作品を一つ作ること自体が大変な時代ではあろうが、こういうときにこそ新しいエンターテイメントを提示してほしい。
それはリモートで画面越しに演技することではない。そんな映画はこんなことになる前から、SNSだけでつながっている人の殺人事件がテーマの洋画もたくさんあったし、セリフにコロナで大変だからと入れれば以後の世界を描いていることにはならない(「秋元康のリモートで殺される」なんて全然時代を反映した感じはなかった)
王様のブランチは良かった
ただ気づいた番組で王様のブランチはグルメと映画とロケと定番の東京中心のエンタメ番組なのに、出演者の自宅からのリモート出演対応が早かったり、旅ロケ企画も出演者一人で車に載せ移動中はゲストがラジオDJ風に参加し、ロケ地先ではレポーターの女の子を随時変えることでタレントの仕事も減ってはしまっても誰かをゼロにはせず、食レポも孤高のグルメ風に後でアテレコすることで食事中の映像に喋りがなくても番組を成立させており、面白かった。
以後は何が描かれるべきか
かと言って必ずしも以後を意識した作品でなければ違和感があるかといえばそんなわけもなく、Nizi Projectは繰り返し何度通しでみても、一部分を見ても毎回可愛くて泣けるわけだ。圧倒的にコンテンツ力が時代を凌駕しており、だからこそ多くの人が勇気と元気をもらっている。
まずは以後の世界をちゃんした形で表現してくるのは小説か坂元裕二ではないかと思っている。
MIU404が最終話でオリンピックが行われた世界を描くのか、と思ったらそうでない世界線をちゃんと描いてくれたので、テレビドラマで以後の世界を期待しているのは坂元裕二、クドカン、野木亜紀子あたり。
是非映画でも国内外でちゃんと今の時代を描く物語を期待したい。
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