ポストコロナの『人生時間』を考える -時間拘束された働き方からの変節点-
コロナ禍は、時間縛りの労働に一石を投じました。「テレワーク」が常態となる新しい働き方は、現行労働関連法規の例外規程や解釈論だけでは対処に限界もあり、私見ではありますが「法改正」も視野に入れて議論する必要があると思います。
「テレワーク」の巧拙はさまざまですが、「管理」意識のバイアスには課題もあります。在宅時の部下の勤務状況を「監視」する管理職には、部下がしっかりと「働いている」かをチェックするテックツール(PCの稼働状態や、マウスの動きをリアルタイムでモニターし、仕事をサボっていないかのチェックができる管理ツール)が与えられ、目を光らす光景を「滑稽」としか思えないのは、私だけではないはずです。
時間縛りの働き方が常識の社会が故に、大真面目に「リモートワーク時間管理」が行われていますが、私はこんな事をして生産性向上には繋がるとは思えません。
チームメンバーを『信頼』し「任せる胆力」を持つ事、それには「時間」の使い方と作り方をメンバーに指導するのが管理職の職務です。
一挙手一投足を監視し、精神的おりに閉じ込めて暗黙の心鞭を入れる「管理」は、イノベーティブな価値創造には向いていません。
管理職は、「時間」の意味をメンバーに伝え、リモートワークの中で、自律的に、かつ自立的にセルフワークデザインができるスタイルを気づかせる事が、最低限の管理職務です。しかし、管理職自身が「時間」の意味を認識していない事が多く、不幸な状況を生み出しているとの思いから、「時間」について考察してゆきたいと思います。
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