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会社のユニフォーム、自分たちで作ってみました。



ユニフォームリニューアルのきっかけ

GRAPH榎本さん(以下、榎本) 無事、ユニフォームがリニューアルされましたね。

ダイナン但馬(以下、但馬) はい。閑散期に作って、新しい年から着始めようとしていたのが、ありがたいことに忙しく、のびのびになってしまいました。

榎本 今回は、改めて経緯を振り返ったり、変えてみて何か変化があったかなど、うかがえたらと思います。
但馬 よろしくお願いします。
榎本 一番初めにご依頼をいただいた時は、「オリジナルのアパレルブランドを作りたい」というお話しだったんですよね。でも、色々お話を聞いてく中で、まずは会社の理念や行動指針をしっかり作りましょう、インナーブランディングから始めましょう、というお話になって。

但馬 はい。社員の話を聞いてもらってクレド(社内で意思統一をするための信条や行動指針などを書いたもの)を作って、ロゴマークやホームページを新しくして…という中で、ユニフォームも新しくしませんか、というご提案をいただいたんですよね。
榎本 ご提案して、もう2年になるんですね。但馬さんから「ぜひやりましょう!」と言っていただいてスタートしたんですよね。
但馬 社員が、ダイナンで働いていて良かったと思える環境を作りたいという想いはもちろん、今後、オリジナルのアパレルブランドとして販売できるようなユニフォームを作れたら、という目論見もありましたね。
榎本 プロジェクトの中心となったみなさんには、服作りの上流から関わっていただくことができました。
但馬 そうですね。うちの会社は縫製メインなので、その部分のことしか知らない。ですから、素材作りの現場から立ち会うことができたことは、チームのメンバーにとっても、すごく貴重な経験になったと思います。

女子学生が、制服で高校を選ぶように

榎本 元々、前のエプロンを変えたい、みたいな思いがあったわけではないんですよね。
但馬 はい。色々変えていただいた中で、見え方としての統一感を出したかったというのはありますね。コーポレートカラー(会社を示す色。ダイナンブルー)も決まって、ロゴも新しくなったわけですからね。前のエプロンは古いロゴが入っているので。
社員間での統一感、というのもあります。前まで使っていた物も、限られた中で統一感を出そうとして既製品の中から選んでいました。

榎本 ユニフォームを新しくした際、社員に喜んでもらうことはもちろん、ホームページに写真を載せたとき、「ダイナンの社員さんは、かわいいエプロンつけてるな」って思ってもらえたらいいな、という話もありましたね。
但馬 ありましたね。女子学生が高校を選ぶとき、制服で選ぶような。社員は女性が多いので、「あそこの高校の先輩たちかわいいな」みたいに、ユニフォームをきっかけの一つとして興味を持ってもらえたら嬉しいですね。

自主的な社内チーム結成

ダイナンnote編集部(以下、編) ユニフォーム作りのプロジェクトを引っ張ったチームは、どんな経緯で結成されたのですか?

ブランディングチーム

但馬 はい。クレド作りからユニフォームまで中心となって進めてくれた「ブランディングチーム」ですね。まず、人数が多すぎては決定のスピードが遅くなるので、人数は少なめで。人選としては...、どんな要望がありましたっけ?
榎本 はい。新しいことをガンガンやっていくチームになると思うので、そういうことを苦と思わない方で、いろんな部署、いろんな立場から集めてほしいとお伝えしましたね。特定の部署の人ばかりだと意見が偏ってしまったり、ということがよくありますので。
みなさん、一回やると決めると、ガンガン進めていただいた印象がありますね。今ではこんなエプロンへの想いも掲示してくださって。

但馬 そうそう、ユニフォームを変える!といきなり言われても、みんな訳がわからないだろうな、と考えて、思いを伝えてくれたんですね。あとは、ここまではカスタムしても良いけど、ここまで改造してはダメ、というような運用面のことも。
榎本 本当だ!ポッケはオッケー。レースやワッペンはNG。そのほかの希望は一度相談してください。すごい!
但馬 ユニフォームが完成して、今はいったん落ち着きましたが、プロジェクト進行中は定期的にランチミーティングもしていたみたいですよ。
榎本 自主的に?いいですね〜。
但馬 はい、僕抜きで笑。

デザイナー村田さんと、絣(かすり)との出会い

 デザイナーとして、村田さんを選ばれた理由はなんだったんですか?

 村田裕樹 STUDIO MOMEN 代表 / デザイナー / 農家
大学在学中から服作りを学び始める。
素材から服作りをするために織物産地・兵庫県西脇市へ移住。
産地を拠点にhatsutoki(ハツトキ)のディレクター/デザイナーとして活動。
原材料からテキスタイルを作るために2024年から岩座神(いさりがみ)に拠点を移し、電気や下水のオフグリッド、循環型の家で農家として暮らしを始める。
STUDIO MOMENでは田畑で作物を作りテキスタイルをデザインする。自然のなかで、世界をより美しくするデザインを生み出すテキスタイルブランドを目指す。

榎本 私たちグラフと「STUDIO MOMEN」の村田さんは、元々お付き合いがあったんですが、ユニフォーム作りのプロジェクトが立ち上がった時、ダイナンさんの持つあたたかい雰囲気には村田さんがぴったりだなと思ったんです。
「手」で生み出すことを大切にされていて、生き方そのものが地についているというか…。生地作り、それこそ原料の生産から始まるアパレル全体の流れを知っているということもありましたね。ダイナンさん側にも参考にしていただける学びが多いのでは、と。そう思って村田さんにご相談しました。
但馬 当時、村田さんはhatsutokiというブランドをやってらして、企画やデザインのことも色々ご存じだったので、一連の流れを勉強させてもらうことができましたね。
 第一印象はどんな感じでしたか?
但馬 一番最初、お子さん連れで、奥様も一緒にいらしたんですよね。なんというか、いい意味でデザイナーっぽくないというか。今、会社の取り組みとして行っているコットン作りも指導していただいたり、とにかく物事をよく知ってらっしゃるな、と思っています。
榎本 久留米絣(くるめかすり)という、昔ながらの生地を採用されて、工場にも2回足を運ばれてますよね。

但馬 はい。僕は理系の人間なのでちょっとマニアックなんですけど、動力とかが気になっちゃいましたね。ブランディングチームも同行しました。なかなか見る機会がないというか、見せてもらえないというか。縫製は生産過程の下流の方なので、生地の生産現場とは接点がなかった。けれども、村田さんとのご縁があって見ることができました。テキスタイル(織物とその素材である繊維)や型紙、パターンのことも色々教えていただいて。全部の工程を共有いただきながら進めていくことができました。

 久留米絣やデザインについては、村田さん、ブランディングチームも交えて、詳しいお話を伺っていきましょう!

いつか「私たちのもの」をブランドに

榎本 新しいユニフォームを着はじめたのは、今年(2024年)の2月頃からですかね。
但馬 そうですね。それまでに形や機能面などを試行錯誤して、量産まで3回くらい作ったんじゃないかな。
榎本 私たちの手を離れて、ダイナンさんと村田さんで直接やりとりしていただいてましたもんね。
但馬 はい、細かいところを色々調整して。
榎本 お披露目の会、みたいなものはしたんですか?
但馬 特別にそういう会はしていませんが、変える時は一斉に変えよう、とはしましたね。先にできた分から、とかではなくて。やっぱりみんなが揃ってた方がいいじゃないですか。そうしましょう、ってブランディングチームからも言われて。
榎本 実際どうですか?ユニフォームが変わってみて、社員のみなさんからの声は?
但馬 直接聞いてはいないんですけれど、なんていうのかな。色々なプロセスを村田さんと共有して作ってきた想いが込められているので...既製品を買ってきて、はい刺繍をして着てくださいね、という「着せられ感」というんですかね。そういうものがないように思います。
ちゃんと「私たちのものなんだ」って感じてくれているような。**そんな印象を受けています。
榎本 さっきすれ違った社員の方もご自身でポケットをつけられていて、自分のものにしていただけているのかなって感じて、すごく素敵だな、って思いました。
但馬 男性社員も前掛けみたいに着ているんですけど、ポケットを付けていましたね。

榎本 このオリジナルの生地で、次はこれを作る、というようなものは決まってるんですか?
但馬 はい。新しくしたこの休憩室(大広間)と工場の間のあそこの扉、普段は開けているのであそこに暖簾をかけようかと。あと、畳のスペースにクッションをたくさん置きたいと思っているんですが、その中に久留米絣生地のものをいくつか紛れ込ませようかと。
榎本 遊び心ありますね(笑)。グッズ販売がもうスタートできちゃいますかね。
但馬 できなくはないと思うんですけれど、オンラインショップを開くのもコストがかかりますからね、たとえばnoteを読んでもらった人にプレゼントするとか?そんなことから、始めてみるのがいいかもしれませんね。

編 次回、更新予定は、7月15日頃。インタビューの場にもなった休憩室「大広間」のリニューアルについて、デザインしてくださった建築家の方を交えてお送りしたいと思います。お楽しみに!



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