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Sound Of Silence 歌詞和訳 〜 SOS, Save Our Souls, サウンド・オブ・サイレンス

The Sound of Silence という表記が一般的だろうと思うけれども, 今日は SOS に因んで The Sound Of Silence で通します。 


前口上

Paul Simon 及び Simon & Garfunkel の歌の歌詞の和訳を note に載せるのは これが 24曲目(全曲リンクは 本 note 最終章)。なぜ今まで「サウンド・オブ・サイレンス」の歌詞和訳をやっていなかったのかというと, それはこの曲があまりに有名で, というか彼もしくは彼らの有名な曲は多く, もっと具体的に言うと, この曲はそれらの中でも最も世に広く知られた曲で, この歌詞を日本語にするという行為はどうにもこうにも平凡, 至って(甚だしく!)ありふれた行為のように思えたからだと思う。その感覚自体が当然過ぎるもので, これまでに深く考えたことすらなかったけれど。

一方で Beatles の "Let It Be" のような超絶有名曲の歌詞の和訳なんぞも note にアップしたりしていながらナンだけど(ナンはインドの美味しいパン, Beatles は一時インド気触れ, かぶれもあの場合はわるいものでもないけれど, 話脱線!), しかし自分はガキの頃から音楽全般(「全般」は些か大胆な形容ながら)を聴き続けてきたとはいえ, 中でも特に Paul Simon と Eric Clapton の音楽を聴きながら大人になったような面があって, 自分の音楽脳の半分は彼らの音楽の要素で出来ているのではと思えるくらい。その Paul Simon が作った超絶レベルの有名曲はやはり個人的に特別な位置付けにあったのかもしれない。位置付けって仰々しいな。

黙れ, Sound of Silence, だまれ, いや「とまれ」(ともあれ!), 今日は とにかく, ともかく(兎も角ともかく, 「兎も角」とも書く, 言葉遊びが過ぎます), 今まで抱いていたかもしれない拘り(こだわり)のようなものは 捨てて, 棄てて, 漢字にも拘り過ぎ, とにかく「サウンド・オブ・サイレンス」の歌詞の和訳をやろうと思う。

一言(二言)書いておくと, 昔からある パレスチナ/イスラエル問題を巡るアメリカ(合州国)とか イギリスとか ドイツとかの, 要するに 西洋の「民主主義」面(ヅラ!)した連中の, 奴らの 欺瞞と偽善が, この一年余のうちに「いい加減にしろよ, このクソ餓鬼ども!」レベルに達したことが上記に拘わる(かかわる)自分の心境の変化の背景にあるような気がしているけれど, その辺, ユダヤ系アメリカ人である Paul Simon 本人の心境は如何に(本 note 第7章)。

長いな, 前口上。

一例, 数多(あまた)いや「星の数」ほどあるうちの一例, イスラエルによるガザ「大虐殺」「民族浄化」を まるで 自然災害であるかのように見出す 〜 相変わらず「芯まで腐ってる」ニューヨーク・タイムズ

SOS, Save Our Souls

SOS は Save Our Ship, Save Our Souls の略だという話は 俗説で, 本当は Sound Of Silence の略です。前者は確かに俗説, 後者はウソ。イスラエる* のはやめよう。

この歌のタイトル, 「頭」文字を並べると SOS になるってことが ガキの頃から「頭」から離れない。初めて聴いたのは 小4, 10歳の頃かな, だから優に半世紀を超える愛聴の歴史(愛鳥の方は近年から), この歌は SOS の歌なのか, なんてことを半世紀以上 考えてるのか。まぁもはや 年に2, 3回の頻度かもしれないが(笑)。

しかし 誰の「頭」にも浮かびそうなシンプルな連想だから, Sound Of SilenceSOS, そんなこと 一度でも考えたことがある人なら, 世にごまんといるだろう。いや, 五万人もいるだろうか。

Ten thousand people, maybe more 🎶

Sound Of Silence は Save Our Souls の歌だと思う人, 思ってた人, 1万人以上いますか。

…………………………

*「イスラエる」:日本語, 動詞

1. 嘘を吐く(つく), 息を吐くように 嘘を吐く, 2. 盗む, 土地を盗む, 食文化などを含む文化を盗む, ファッションモデルがパレスチナ伝統のクフィーヤ(クーフィーヤ, كُوفِيَّة‎, kūfīya, kūfīyah) などを衣装デザインに取り込んで身にまとい, 「我が国の伝統よ」ヅラしてファッションショーに臨む, 3. 他人の家屋を壊す, 4. 他人のオリーヴの木を伐採する, 5. 他人の土地に家を建てる, 6. 他民族の土地に巨大な分離壁を建設する, 7. 「モーセの十戒」を破って 盗みや人殺しをする, 8. そのほか同類の諸々。なお, "ISRAELed" は 英語の動詞で, 上述「イスラエる」の意味だが, これは受動態として使う。能動態の過去形として使用しても構わない。何はともあれ, 全て人類の 過去の歴史のゴミ箱, 要するに屑箱, クズ箱に, 唾棄いや遺棄, とにもかくにも早く, 速く, 即刻, 可及的速やかに, 棄ててしまいたい, 棄ててしまうべき行為を意味する言葉である。 

"The Sound Of Silence" from "The Paul Simon Songbook" (1965) 〜 歌詞和訳

"The Paul Simon Songbook" について

The Sound Of Silence は, 1966年リリースの "Sounds of Silence" というタイトルのアルバムに収められた Simon & Garfunkel 名義のものが, 世に広く知られているヴァージョン。しかしファンなら誰もが知る通り, 最初にリリースされたのは, Simon & Garfunkel のデビューアルバム "Wednesday Morning, 3 A.M."(1964年)に収録されたヴァージョンだ。

時期的に上記 2つに挟まれたものが, 本章で取り上げる, Paul Simon が 1965年6, 7月にロンドンでスタジオ録音した, ギター 1本と彼のヴォーカルによるソロ・アルバム "The Paul Simon Songbook" に収録されたヴァージョンである。

以下は, 下掲リンク先, 自分の過去 note からの転載。

同アルバムは、Simon & Garfunkel の 1964年のデビューアルバム "Wednesday Morning, 3 A.M." が思うように売れず、その後、彼がイギリスに渡って同国のラジオ番組に出演して歌ったりしていた時期に録音・制作され、1965年8月にイギリスで発売、その他、リリースの期日については私は未確認ですが、一部ヨーロッパ諸国やオーストラリア、日本等でも発売されました。しかし Paul Simon 本人の意向で 1969年になって回収され、彼の母国アメリカでは発売されませんでした(随分と後年になって CD化されたものはアメリカでもリリースされています)。

日本では、本人には無許可だったようですが、イギリスでの回収の年に当たる 1969年に発売されたようです。私は同じく音楽好きの 3歳年上の兄が小遣いを貯めて買ったそのアルバム(日本では "Simon Before Garfunkel" というタイトルも付いていて私自身は当初そう呼んでいたと思います)を 1971年頃、学齢で表わすと小学校 5年の頃に初めて聴いていて、そのアルバムに収録された曲について言うと、Paul Simon が途中叫ぶようにして歌う箇所がある、Simon & Garfunkel の 1964年のオリジナル・ヴァージョンや後にエレキ・ギターなどを加えられて大ヒットしたロック風のヴァージョンとは一味も二味も違う "The Sound of Silence" を始め大好きな曲ばかりで、当時の 10歳もしくは 11歳の頃からずっと大のお気に入りのアルバムの一つです。そのアルバムの些か数奇な運命は非常に面白く、いつか機会があったらそれについても投稿したいと思いますが、今日はとにかく、そのアルバムに収録された "Kathy's Song" の拙訳を載せます。

というわけで, 横着して, 以下の過去 note から転載してしまったのだった(あの頃は「拙訳」などとよくある表記をしていたけれど, 意味は「拙者による訳」, 訳の方は良薬ならぬ良訳, 自訳自賛)。

ではでは, 「歌詞和訳」を。

Paul Simon 弾き語り版 "The Sound Of Silence" 〜 歌詞和訳

The Sound Of Silence from Paul Simon's 1965 solo album The Paul Simon Songbook

英語原詞 https://genius.com/Paul-simon-the-sound-of-silence-lyrics

ハロー, 暗闇よ, 私の旧き友よ
また 君と話しに来たよ
なぜって そっと忍び寄ってきた幻想が
その種を置いていったんだ, 私が寝ている間にね
そして 私の脳に植えつけられてしまった幻想が
今もそこにとどまってるんだ
静寂の音のうちに

覚めることのない夢の中で 私はひとり歩いた (*1)
石畳が敷かれた狭い通りを
街灯が作る「後光」の下をね (*2)
私は 冷気と湿気に 襟を正した (*3)
ネオンライトの閃光に 私の両眼が射抜かれたとき (*4)
その閃光は夜を引き裂いて
静寂の音に触れたのさ

裸火(はだかび)の中で 私は見た (*5)
1万人もの人々, いやおそらくもっといただろう
彼らは 互いに話しかけることなく 喋り (*6)
聴くことなく, 耳を傾けることなく 聞き (*7)
民の歌声が分かち合うことなどないような歌を書いていた (*8)
敢えて静寂の音を乱そうとする者など
誰一人としていなかった (*9)

「愚か者よ」, 私は言った, 「君たちは分かってないんだ,
沈黙が 癌細胞のように蔓延るのを (*10)
君らに伝える私の言葉を聞くのだ (*11)
私が差し出す手を掴むのだ」 (*12)
しかし私の言葉は 音もなく降る雨のように零れ落ち
こだまするだけだった
静寂の源泉の中で (*13)

そして 彼らは 額突き(ぬかづき)祈った (*14)
彼ら自身が創ったネオンの神に (*15)
ネオンサインは 閃光でその警告を伝えたのだ (*16)
その閃光が形づくる言葉で (*17)
そして ネオンサインは言った, 「預言者達の言葉は 地下鉄の, その地下道の壁に 書かれている (*18)
安アパートの廊下にすらね
預言者達の言葉は 静寂の音の中で 囁かれているのだ」(*19)

…………………………………

訳注

*1 restless は 「停止することのない」「休止することのない」。そんな
夢だから, "覚めることのない夢"。

*2 halo は「(聖人の頭の後ろに描かれる)後光」「(偉人の周りにあると考えられる)後光」「後光のような 丸い光の輪」。

*3 turned my collar, turn down a collar は「襟を折り返す(曲げる)」, turn up a collar は「襟を立てる」, ここでは 歌詞の全体の意味を踏まえ "襟を正した" とした。

*4 stabbed は「刺された」と訳す方が普通かも。その方がいいような気もするが, とりあえず "射抜かれた"。

*5 naked light, naked light bulb は「裸電球」, ここも「裸電球」でよいかもしれないが, あえて英語原詞の熟語に忠実に "裸火"とした。その意味は「覆いのない, むき出しの火」。「ランプの裸火」「瓦斯の裸火」「タバコの裸火」など。

*6 speaking, speak には「(人の心に)訴える」「働きかける」といった意味もある。

*7 People hearing without listening, hear と listen のニュアンスの違いを鮮明に。

*8 People writing songs that voices never share, 些かまだるっこしい日本語にしてしまった。本日, 昼食時間を過ぎ, 疾うに, 既にとっくに過ぎてて, 余裕なし, 早く昼食 Late Lunch にありつきたい(笑)。

*9 And no one dared disturb the sound of silence, ここ以外は英語原詞の語順にほぼ合わせて日本語にしていたが, ここだけは崩した。

*10 Silence like a cancer grows, "沈黙が 癌細胞のように増殖するのを" という日本語にしてもいいけれど。「増殖」は YMO のアルバムを思い出す(あまり聴いてないが)。

*11 Hear my words that I might teach you, might の解釈が難義。正直, 未解決。

*12 Take my arms that I might reach you, might は同上。arm は「腕」だが, 日本語の表現上は ここでは(英語で言えば hand の)「手」の方がいい。

*13 And echoed in the wells of silence, well は「井戸」「泉」「鉱泉」「源泉」。"源泉" なら「水が湧き出るみなもと(源)」「いずみ」「物事が生ずるもと」「物事のはじめ, 発端」(そこから生まれ出る)。まぁ "こだま" する場所としては, 「井戸」が一番相応しいだろうから, そっちが本来は妥当なのかな。しかし "ネオンの神" のありがたい仰せによれば, "源泉" で構わないらしい。怪しいけど, まぁいいか(笑)。

*14 And the people bowed and prayed, 「額突く」(ぬかづく)は「ひたい(額)を地につけて礼拝する」「額が地につくほどに丁寧にお辞儀する」, ここは "額突き(ぬかづき)祈った"。the people は和訳歌詞の文脈上, 「彼ら」でよい。

*15 To the neon god they made, ここの made は「創った」が 相応しい。なぜなら もともと「神とは, 我々の苦痛を測るための概念である」。天地創造, 天地想像。個人的には 旧約聖書「創世記」は「創神記」「創 "神" 記」と呼びたい。

*16 And the sign flashed out its warning, the sign はここでは "ネオンサイン"。なお, ここはとくに 文法的に忠実に訳すことに拘泥しなかった。

*17 In the words that it was forming, 文法的に(?)この it は warning なのか, sign なのか, しかしいずれにしても 和訳歌詞の中の表現としては, ここは "その閃光が形づくる言葉で" ということで「当たらずと雖も遠からず」と, "ネオンの神" の「御託宣」, お告げが あったから(上でも使ってた!), 大丈夫だろう。

*18 The words of the prophets, words は当然として, prophets, つまり prophet が 複数形になっていることが 不意に気になり出した(本 note 投稿翌日の 2024年12月14日朝, したがって此処は加筆, *19 も編集)。

確かに歴史上, 自称・他称「預言者」は複数存在した。「した」だけでなく「している」? .. なんかなぁ。「自称」も, なんかなぁ。

ともあれ, この複数形が この歌の歌詞の解釈の上でどれだけ重要なのかはさて措き(まぁそこそこ以上には重要だろう), 和訳の日本語においてもこの箇所は「複数形」であることを明示しておきたい, おくべき, と思い, 「預言者」を「預言者達」に改めることにした。

そういえば(参考まで, かな), Bob Marley の "Redemption Song" の歌詞にも prophet の複数形 prophets が 出てくる。"How long shall they kill our prophets while we stand aside and look? Ooh, some say it's just a part of it. We've got to fulfill the book."

*19 "預言者達の言葉は" は 和訳歌詞上の補足。蛇足の補足かもしれないが, 足は足だ。

「足は足」って? 

Stop Making Sense … 8年 survive してる "Stop Making Sense", しかしこの MV に乗っかってるイメージ, めっちゃ Stop Making Sense だな。

ではでは 🎶

ゴスペル調 Save Our Souls, SOS 〜 "The Sound Of Silence" Live Rhymin' 歌詞和訳

1974年リリースの Paul Simon in Concert: Live Rhymin' に 収められたライヴ・ヴァージョン。文字通り ゴスペル・シンガーで ゴスペル(*19) の作曲家・ピアニストでもある Jessy Dixon (Mar 12, 1938 – Sep 26, 2011) 率いる Jessy Dixon Singers が 共演している。

The Sound of Silence from Paul Simon's 1974 live album Paul Simon in Concert: Live Rhymin' 🎶

英語原詞 https://genius.com/Paul-simon-the-sound-of-silence-live-lyrics

ハロー, 暗闇よ, 私の旧き友よ
また 君と話しに来たよ
なぜって そっと忍び寄ってきた幻想が
その種を置いていったんだ, 私が寝ている間にね
そして 私の脳に植えつけられてしまった幻想が
今もそこにとどまってるんだ
静寂の音のうちに

覚めることのない夢の中で 私はひとり歩いた (*1)
石畳が敷かれた狭い通りを
街灯が作る「後光」の下をね (*2)
私は 冷気と湿気に 襟を正した (*3)
ネオンライトの閃光に 私の両眼が射抜かれたとき (*4)
その閃光は夜を引き裂いて
静寂の音に触れたのさ

裸火(はだかび)の中で 私は見た (*5)
1万人もの人々, いやおそらくもっといただろう
彼らは 互いに話しかけることなく 喋り (*6)
聴くことなく, 耳を傾けることなく 聞き (*7)
民の歌声が分かち合うことなどないような歌を書いていた (*8)
敢えて静寂の音を乱そうとする者など
誰一人としていなかった (*9)

「愚か者よ」, 私は言った, 「君たちは分かってないんだ,
沈黙が 癌細胞のように蔓延るのを (*10)
君らに伝える私の言葉を聞くのだ (*11)
私が差し出す手を掴むのだ」 (*12)
しかし私の言葉は 音もなく降る雨のように零れ落ち
こだまするだけだった
静寂の源泉の中で (*13)

そして 彼らは 額突き(ぬかづき)祈った (*14)
彼ら自身が創ったネオンの神に (*15)
ネオンサインは 閃光でその警告を伝えたのだ (*16)
その閃光が形づくる言葉で (*17)
そして ネオンサインは言った, 「預言者達の言葉は 地下鉄の, その地下道の壁に 書かれている (*18)
安アパートの廊下にすらね
預言者達の言葉は 静寂の音の中で 囁かれているのだ」(*19)

…………………………………

訳注 *1 - *19 まで, 前章。

…………………………………

*20 「ゴスペル」(今日の此処では些か脱線)リンク 3点

クリスチャンでない者が、クワイアの一員として ブラック・ゴスペルを歌うことは可能か? 〜 前説

クリスチャンでない者が、クワイアの一員として ブラック・ゴスペルを歌うことは可能か? 〜 本篇

ポール・サイモン の ゴスペル調ロック, "Gone at Last" 〜 歌詞和訳

ではでは。

英語原詞 について

外国語の歌の歌詞の和訳を試みてそれを掲載するのだったら(note にしろその他のサイトにしろ), できることなら 原詞を併載した方がよい。明らかにその方が分かりやすい。しかし, それは(歌詞原詞の全編掲載は)残念ながら不可能。

英語歌詞, つまりここでは, 英語で歌われる曲の原詞。その(全編)掲載に関するその辺りの事情については, 以下の note の「前説」の次の次の章「英語原詞 について」にて。

さて さて 🎶

同じ タイトル画像を使ったので 〜 S&G "America" (歌詞和訳)

S&G 解散後の "American Tune" *3 と共に, Paul Simon が作った American Anthem, 単純な賛歌では全くないけれど。

歌詞和訳 note *1 のタイトル写真は, ポール・サイモンの S&G時代, 事実上の 1枚目のソロ・アルバムである 1965年リリースの "The Paul Simon Songbook" のカヴァー写真。

"America" は 1968年リリースの S&G 4枚目のアルバム "Bookends" に収録されたもので, 当然ながら "The Paul Simon Songbook" には収録されていないけれど, "America" の歌詞の中に登場する Kathy, つまり Paul Simon の当時の恋人 Kathleen Chitty がこの写真で Paul の右側に写っている女性, そこでこの写真を使うことにした。

*1 ああ, あの頃は「拙訳」などとよくある表記をしていたのだ。「拙者による訳」だから「拙訳」, 訳の中身の方は 良薬ならぬ 良訳, 自訳自賛。

*2 "America" 歌詞和訳 note, もう1本。「拙訳」じゃなく「良薬」ならぬ「良訳」。

*3 "American Tune" 歌詞和訳 note, 3本 プラス 関連 1本。「拙訳」じゃなく「良訳」だってば。

アメリカの歌 〜ピルグリムの船・メイフラワー、植物のメイフラワー、そしてナサニエル・ホーソーン「緋文字」を巡る不思議(?)な展開

Allen Toussaint による「アメリカの歌」カヴァーが また素晴らしい。

2つの苦いアンセム,「アメリカの歌」と「アメリカ」 ♫

ではでは。

ポール・サイモン について 今, 想うこと

緑の木の葉は茶色に変わり, 風に揺られて 枯れ, 手の中に砕け 散る

ポール・サイモン "Leaves That Are Green" 〜 歌詞和訳

ポール・サイモン は, 緑から成熟の茶になっただろうか, それとも..

上掲(前項)の note 第4章 ポール・サイモン は, 緑から成熟の茶になっただろうか, それとも.. から転載。「引用」形式の貼り付けでなく, 以下に そのまま載せます(ポール・サイモンから離れた関連トピックも書いてる)。

転載の後に, ポール・サイモンの(音楽の)近況を付け足し。

ポール・サイモン は, 緑から成熟の茶になっただろうか, それとも..

なんてね。そんな大袈裟な大見出しをつけながら, 実は大して深みのあることを書こうとしているわけじゃない。ちょっと気になってる程度のことをメモ書きしておこうと。

「音楽脳」の半分くらいは Eric Clapton と Paul Simon の音楽で作られたんじゃないかと思うくらい, ガキの頃から両者の曲を聴いてきた自分は, Simon & Garfunkel のオリジナル・アルバムは全て持ってるし, Paul Simon のソロ・アルバムも 1980年リリースの One-Trick Pony と 1997年リリースの Songs from The Capeman 以外は全て持ってる(上記2つを買ってないのは文字通り偶然のことで, 要するにこれまで音楽聴いて生きてきたなかで「買う」に至る縁が , たまたまなかった, それだけに過ぎない, だからそのうち縁が生まれれば 買う・持つに至るんだろう)。

ソロ・アルバムの中では There Goes Rhymin' Simon (1973年) と Still Crazy After All These Years (1975年) が 最も好きなアルバムだが, 近年のものでも, 例えば Stranger to Stranger (2016年) などもかなり良かった。齢 70代半ば にして 依然としてこれほどに創作意欲を持ち続け, 結果 これほどのハイクオリティの作品をリリースできるのかと, ファンとして感激したものだった。

その後, 2018年9月, Paul Simon が 77歳(日本的に言えば「喜寿」, 数えじゃなくて満だけど, 笑)になる直前にリリースした In the Blue Light, あれは言わば, アレンジはオリジナルからかなり距離を置きつつも「セルフ・カヴァー」のアルバムで, 面白いと言えば 面白いんだけど, しかし一例を挙げるならまず オープニング・トラックの One Man's Ceiling Is Another Man's Floor (元は There Goes Rhymin' Simon に収録)など, どう聴いても オリジナルの方が良かったし, そのうち In the Blue Light というアルバム自体 あまり聴かなくなってしまった。

その In the Blue Light の次のアルバムが 直近・最新作 Seven Psalms で(2023年5月リリース), これもリリース後 直ぐに手に入れた。

収録曲が アルバム全編通しで聴くことをリスナーに要請するような作りになっていて, かつ 完全なアコースティック(バラカン流で表記するなら「アクースティック」)のパフォーマンスで創作されているというもので, 80歳を優に越えてなお, こんな新たな試みをするのかと感心, 他の人に薦めたりもしたし, 実際しばらくの間, 聴き込んだのは確か。

だが, ごく当初の自分の予感に反し, 続かなかった。つまり, ほとんど聴かなくなってしまった。

Paul Simon は一般にその腕前が過小評価されているのではと思うほどに アコギが上手いし, アルバムの 演奏そのもののパフォーマンスは 流石に素晴らしい。しかし, なんだろう, 要するに, アルバム全編から醸し出される「世界観」みたいなものに, ガキの頃から既に半世紀を軽く超える長年のファンであるリスナーとしての自分でも, ついていけない感が強くなった, それが結局 早いうちに「聴かなくなってしまった」ことの 原因なのだろうと思う。

アルバム・タイトル Seven Psalms の Psalms が ユダヤ教の旧約聖書の「詩篇」(the Book of Psalms)から インスパイアされているだろうことは容易に想像できたし, psalm は一般的な単語として使っても「賛美歌」や「聖歌」を意味するようだから, アルバムのコンセプトの大半を ユダヤ教と特定せずともユダヤ教やキリスト教に根ざした宗教や信仰に関するものが占めていることは 最初から分かっていた。

それでもやはり, ここまで「神がかる」(Paul Simon 自身が このアルバムのアイディアを「夢の中で思いついた」「週に2, 3日, 午前3時半から5時の間に起き, このアルバムに収める [宗教や信仰に関わる] 作品の歌詞を書いていた」と語っている, 「神がかってる」よね, これは)と, やはり俺は無理だな, 単純に。とまぁ, そんな気分が増していったように思う。

若い時から, あれほど多くの, 宗教や国籍や民族の垣根を越えた, 要するに文字通りの「普遍的な」作品を創り, 発表してきた Paul Simon が, どうして 80歳を過ぎてから ここまで「神がかった」作品を創るようになった(なってしまった)のか, これは聴く人それぞれ, リスナーそれぞれ, ファンそれぞれが異なる感じ方をするんだろうけれど(それはもうこういうことに限らず 当たり前のことなんだが), 自分自身の受け取り方を言えば, 要するに, 些かそこは「失望」した。

そして, これはこのアルバム Seven Psalms を聴かなくなって以来かなり時を経て, あらためて思うようになったことなんだけど, つまり,

ユダヤ人である Paul Simon は, イスラエル/パレスチナ の問題をどう考えているのか, あるいはほとんど正面から向き合っていないのか, いや考えることがないわけではないのか ..

同世代の ユダヤ系アメリカ人ミュージシャンである Bob Dylan(以下の note リンク 3点の下に続く),

あの Bob Dyaln のように, くだらない, 恥ずべき イスラエル支持ソングなど, Paul Simon が 書いたことがないのは はっきりしているのだが,

しかし Simon も, 過去に 例えば Hearts and Bones (1983年) のように "One and one-half wandering Jews, free to wander wherever they choose" で始まる歌を創ったりもしてるし, Still Crazy After All These Years (1975年) のエンディング曲として収められた Silent Eyes のように "Silent eyes, watching Jerusalem" と歌う曲もある。彼が自身の「ユダヤ人性」 Jewishness を意識してきたことは明らかだろう(念のため書いておくと「イスラエル支持」を暗示するラインやフレーズなどは何処にもない, それは皆無)。

さて, こんな話は この辺にしておくけれど, Jerusalem とか, ユダヤ教とか, 「旧約聖書」とか言い出す輩「一般」には, ということで,

この章の最後, 唐突ながら,

第二次世界大戦前に親族の多くをナチス・ドイツによるホロコーストで殺され, かつ ワルシャワ・ゲットー蜂起, そしてアウシュビッツ強制収容所・マイダネク強制収容所の生存者である両親のもとに生まれた, ユダヤ系アメリカ人政治学者 ノーマン・フィンケルスタイン(Norman Finkelstein, 1953年12月8日生まれ)の言葉をここに(以下の画像の下にヴィデオも)。

*ノーマン・フィンケルスタインが, (反)ナチス, (反)ホロコースト等に言及して イスラエルをひたすら「擁護」する人たち, そんな特にイスラエル人もしくはユダヤ人に向けて, 同じユダヤ人(ユダヤ系アメリカ人)として 語った言葉。

….. この下は, ポール・サイモンの(音楽の)近況, 付け足し …..

ポール・サイモンは 最近(先々月), カミさん *2 と一緒に 新曲をリリースした。

Bad Dream *1 〜 Paul Simon & Edie Brickell ♫

*1 Bad Dream .. 悪夢?

それでもやはり, ここまで「神がかる」(Paul Simon 自身が このアルバムのアイディアを「の中で思いついた」「週に2, 3日, 午前3時半から5時の間に起き, このアルバムに収める [宗教や信仰に関わる] 作品の歌詞を書いていた」と語っている, 「神がかってる」よね, これは)と, やはり俺は無理だな, 単純に。とまぁ, そんな気分が増していったように思う。

*2 彼の現在の「神」さんが「旧約聖書」や「新約聖書」などの「神」*3 ではなく, 彼の現在の「うちのカミさん」であることを祈る, 祈る, 何かに書かれた「神」なるものではなくこの宇宙を律する何か絶対的な力に「祈る」。

*3 ジョン・レノン, God 〜 神とは, 我々の苦痛を測るための概念である (歌詞和訳)

ではでは 🎶

ポール・サイモンの歌, 歌詞和訳とアルバム・レヴュー 〜 24曲 歌詞和訳 note リンク集

3年余り前, 2021年10月13日付 note(本日 2024年12月13日 分を含む その後の追加を入れて, 計 24曲 歌詞和訳) ポール・サイモン 80歳の誕生日に 〜 ポール・サイモンの歌, 歌詞和訳とアルバム・レヴュー

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