夕暮れ時のボスポラス海峡で、靖国神社を釣る。
夕陽に赤く染まるボスポラス海峡のこの 写真 を見てこの投稿に「スキ」する人には、一昨日の靖国神社の写真を付けた投稿の 文章 も読んで、あの投稿に「スキ」してほしいなぁ。まぁ当然ながら、この 2つの間には何の関係もないんだけれどもね。
昨日、ギリシャはアテネのパルテノン神殿の写真でこれをやったんだけど、反応ゼロ。これをやると、「靖国神社」投稿はおろか、新たな投稿の方も反応ゼロが続く可能性があるんだが、ま、いいや。
ボスポラス海峡は、トルコ最大の都市イスタンブール のヨーロッパ側 (Occident, 西洋) とアジア側 (Orient) を隔てる海峡で、両岸にイスタンブールの旧市街と新市街がある。
4日前、8月11日の投稿で書いたけれど(今日の投稿の最後にリンクを貼っときます)、1983年4月から1984年2月にかけてバックパック担いで海外一人旅に出ていた。10ヶ月弱だから、さして長いわけではないけれど、海外放浪もどき。「もどき」というのは、いつ頃までに帰国するというイメージは持っていたから、それを放浪と言い切ることはできないだろうと。旅人の器は彼らと比ぶべくもないけれど、小「なんでも見てやろう」(小田実、読んだ)、小「全東洋街道」(藤原新也、読んだ)。自分の場合、ギリシャを発った後のトルコ以降が「東洋街道」一人旅。
ボスポラス海峡
イタリアをブリンディシの港からフェリーで発ってギリシャに入り、同国の首都アテネに着いたのは 1983年7月11日。それまでの旅の疲れもあったし、またアテネの居心地の良さもあって、途中、地中海の島サントリーニでの 4泊5日を挟み、トルコのイスタンブールを目指してアテネを列車で発ったのは同年8月9日。2泊3日の列車の旅だったが、途中、美人女性2人組バックパッカーに襲われそうになりながら(妄想だったものと思われる、本投稿の最後にリンクを貼る)、イスタンブールに着いたのは 1985年8月11日の朝だった。
トルコには 2回行った。この時が 1回目で、その後、カッパドキアを経て、アンタキヤから陸路シリアに入り、アレッポ、パルミラ、ダマスカスを旅した後、そのまま陸路でヨルダンへ、ヨルダンではアンマン、ペトラ、アカバを旅した後、同国から陸路でイスラエルが1967年以降 国連安保理決議に違反しながら不当に占領し続けるパレスチナ人の土地であるヨルダン川西岸地区に入って、東エルサレムの他、西岸地区の数々のパレスチナ人の街、町を歩き、さらにイスラエル領(ここで言うイスラエル領とは1947年の不当な国連パレスチナ分割案と1948年の戦争を経てイスラエル支配下となったところ、1967年以降の違法占領地は含まない)の西エルサレム 、テルアヴィヴ、ハイファ、ナザレなどにも足を延ばし、その後、やはりイスラエルが1967年以降 国連安保理決議に違反しながら不当に支配し続けるガザ地区(当時は今のような封鎖ではなく、東エルサレム・ヨルダン川西岸地区同様に軍事占領していた)に行き、そこで数日間滞在した後(パレスチナ・イスラエルは 計3週間ほどの旅だった)、陸路でエジプト、カイロに出て、カイロで 1週間ほど過ごした後、その旅で初めて飛行機を使って、トルコ・イスタンブールに戻った。その後、トルコの首都アンカラ、そして旧約聖書「創世記」「ノアの方舟」物語、ってか、あのお伽話で有名なアララト山が見えるドグバヤジッドを経て、陸路イランに入り、イランの後はパキスタン、インド、タイ、韓国を旅してから、日本に戻った。
というわけで、イスタンブールには 2回滞在したわけだけれども、あそこはほんと、(まぁ趣味嗜好は人によりけりだろうから全員とは言わないがおそらくは多くの)バックパッカーにとって魅力満載のところで、居心地もよく、疲れをとって次の目的地以降のプランを大雑把にでも考えてみたりする、そんな場所としても最適のところ。自分の場合は、合わせて 5週間ほど滞在した。
37年前のちょうど今頃はイスタンブールにいたわけで(ところで庄野真代の「飛んでイスタンブール」、「夜だけのパラダイス」ってアレはないよなぁ、特定世代にしか通じないこの括弧内)、上に書いたように、ギリシャのアテネを 1983年8月9日に発って、トルコ・イスタンブールに着いたのが 8月11日。
37年前の今日、1983年8月15日は、イスタン到着後まだ 4日目だった。
上の写真 3枚は、そんな 1983年8月15日の夕刻、住んでた 1泊200トルコリラ(当時のレートで 1泊200円ほど、因みに当時は 1ドル250円ほどの時代)の宿のある丘(あの辺、場所として何地区と呼ぶんだったか、今あらためて調べれば分かるんだろうが今日は割愛)を降り、ボスポラス海峡を眺められる、自分が住んでた側のイスタンブール旧市街とイスタンブール新市街を結ぶ橋のところに行って、夕陽に赤く染まる空と海峡の水面を撮った 3枚。
あの日のイスタンも暑かったが(と思うが、実は当時の日記でも読み返してみないとあの日の暑さまでは思い出せない、今日はその辺いいかげん)、今日、2020年8月15日、敗戦75周年の日本の北関東にある我が街も暑い、熱い、あづい。早朝、妻と街中から行ける原生林みたいなところの木陰を目指して歩き出し、けっこう長いウォーキングをしてきたんだが、朝食前の時間にして、既にけっこう暑かった。いや、かなり暑かった。今もどんどん気温が上がってる。あんまり暑くて、文章書く気が起こらないね。って、ここまでけっこう書いてるか。
冒頭で書いた通り、言うまでもなく、太古の昔からあるボスポラス海峡と、神道という日本独自の宗教そのものはそこそこ昔からあるものながら、一方で「明治維新」後の1869年というごくごく最近になって初めは東京招魂社として設立され、その10年後に現在の名前に改称された、とてもとても新しい、しかも日本の神道の伝統とはけっこうな距離がありそうな、歴史的には真新しい、日本の靖国神社との間には、何の関係もない。これっぽっちもない。関係なんか、あるわけがない。当たり前田のクラッカー(特定世代にしか通じない)。
勿論そんなことは承知の上で言ってるんだけれども、上の、夕陽に染まるボスポラス海峡の 写真 を見て、且つこの投稿文を読んで、この投稿に「スキ」する人がいたら、一昨日の、ある夏の日の夕刻あたりに撮ったと思われる青白い靖国神社の写真を付けた投稿の 文章 も読んで(最低限、恥を知らない日本の排外主義者について書いた「付録」その 1 も読んで、ナンだったら、ってインドのパンのナンのことじゃないよ、なんだったらあの投稿のコメント欄にも目を通して)、それでもって、あの投稿にも「スキ」してほしいなぁ。まぁ無理強いはしないし、無理強いなどできないけれども。いやほんと、一昨日の投稿、読んでほしいもんだなぁ。
まぁ、読まないんだろうな。読んでも反応しないんだろうな。そもそもネット人脈が貧弱な筆者の note 投稿は(内容は面白くてタメになるにもかかわらず、自画自賛)もともと読者が少ない上、ああいう、おそらくは靖国神社そのものよりも、あの投稿の「付録」その 1 の、
「いい朝鮮人もわるい朝鮮人もいない。朝鮮人を皆殺しにしろ」とか、「日本が嫌いな韓国人、女でもいい、出て来い、締め殺してやるから出て来いよ。ぶち殺してやるから出て来い」とか、「日本が嫌いな日本人は私は許さない。叩き殺す」とか、「反日韓国人は日本から出て行け」とか、「犯罪朝鮮人を皆殺しにしろ」とか、「コリアンタウンを焼き尽くせ」(奴は取り巻き引き連れて新大久保のコリアンタウンでこれを大声で叫びながら闊歩している)とか、「韓国人の店でモノ買うな。日本人として恥ずかしいだろ、君たち」(ところで日本人として恥ずかしいって、恥ずかしいのは誰なんだよ、本当のところ)とか、さらには「大人から子供まで朝鮮人を皆殺しにしろ」と街中で(取り巻きに囲まれながら)マイクを使って喚き散らす、ああいう、いわゆる「まともな」神経の持ち主の耳を疑うようなことを街中で叫びまくりつつ大股開きで闊歩する、極右の排外主義者とその取り巻きや支持者連中について取り上げた(日本のメディアの恥晒しな沈黙について併せて取り上げたんだけど)文章を目にして、怖くなる人はいるんだろうし、
あの投稿の下についたコメント欄を見て、ますます怖くなったような人すらいるのかもしれない、あ、やめようやめよう、これ、見なかったことにしようと思った人すらいるのかもしれない。
まぁ率直に言ってね、おそらくはネット人脈貧弱な自分の note 投稿が(内容は面白くてタメになるにもかかわらず、自画自賛)普段からあまり読まれていない、ほぼそれに尽きるんだろうけれども、しかし、
上に書いたようなことへの恐怖感とか、ああ、とにかくあの種のことには触れたくない、逃げたい、見なかったことにしたい、見て見ぬ振りしたい、そういう大衆心理ならぬ個人心理が働いたとしても、
この「見ざる言わざる聞かざる」(もっともアレの元来の意味合いはやや違うニュアンスのようだけれども)、「臭いものに蓋」の日本社会、そんなことがあっても不思議な現象ではないのかもしれない。
くどいようだけれども、そもそもが現時点で読者が少ない筆者の note アカウントだから、理由の多くはこれで説明が付くのだろうとは思っているんだけれども、しかし一応、多い時で 10とか 11とか「スキ」が付く時もあるからね、
この敗戦記念日辺り、その直前2日前というタイミングで、靖国神社の写真を載せつつ「靖国神社」と銘打って投稿したわけだから、もう少し「スキ」反応があったっていいだろう、くらいには思うわけですよ(現時点であの投稿への「スキ」は 1人のみ)。
な〜んて書くと、一昨日のその投稿にも、昨日の投稿にも、今日の投稿にも、要するにそのどれにも、「スキ」が入らなくなるのかもしれないね。ま、いいや。