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ケルン大聖堂 1983年6月2日, 写真しょぼい2枚しかないので 〜 ベルリンまでのリンクと「宗教」絡み付録でも付けることにする

1983年4月26日に日本を発ってから, ベルリンまで(ソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 西ドイツ, 東ドイツは東ベルリンのみ) 

1) 前説: ユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行に旅立つ前の話, 1979年4月, 大学入学のために故郷の静岡県「秋葉路や花橘も茶の香り, 流れも清き太田川, 若鮎踊る頃となり, 松の緑も色もさえ, 遠州森町良い茶の出処, 娘やりたやお茶摘みに, ここは名代の火伏の神, 秋葉神社の参道に, 産声上げし快男児, 昭和の御代まで名を残す, 遠州森の石松を, 不弁ながらも勤めます」♫ (長かったか, 笑)そうそうあの石松の故郷を発って, 同年ってそれは 1979年, 3月末頃から北海道の「道都」札幌で生活し始め,

(これは大学2年の後半もしくは終わり頃から 大学4年にかけて辺りの時期の話)

大学入学からほんの数ヶ月のうち, 1979年の夏か秋ぐらいかなぁ, 既に「インド・ネパール旅の絵本」とかいった本を買って読み(今も持ってる!)、最初はインドを旅したいという気分からだったのが徐々に膨らんで,

(「委員長」とあるが実際には「委員長兼平委員」, つまりメンバーは俺だけ, そもそも勿論こんな委員会は実在しない。この巫山戯た名刺広告については上にリンク貼った note に書いた, 暇人しかクリックしないかもだけど, 笑)

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インドに留まらず, ユーラシア大陸「ほぼ」一周(エジプトも行ったので厳密に言うとアフリカ大陸にもぶらり)のバックパッカー海外 "放浪" もどき一人旅をしたくなり,

2) いざ, 出発。

3) おお, ソ連, 今や存在しない国, 今のロシア。シベリア鉄道の旅。

列車の旅絡み note 

ロシア民謡 note

そして、モスクワ ♫

間違えた(笑), 

そして, 辿り着いたモスクワ。

振り返るソ連, ソ連 U.S.S.R. に戻る?(笑)

4) あの頃のロシアはモスクワ含め, ヨーロッパには見えなかったのだ, だからフィンランドからがヨーロッパ。

5) フィンランドで, ピンク・フロイド「エコーズ」♫

6) 麗しのイングリッド・バーグマンはもういない, スウェーデン。

7) ラッキーなことに, ノルウェーでは「憲法記念日」(独立記念日)の盛大なパレードの日と重なり,

8) デンマーク, 赤いワインをぶちまいた遠い夕映え背に受ける ♫ コペンハーゲンでも幸運に恵まれ, 年に1度の賑やかなカーニヴァルに遭遇。

9) ここからドイツ, 当時は「ベルリンの壁」がまだあった時代, だから西ドイツ。東ドイツは東ベルリンだけ行った。

ビートルズの第二の故郷みたいな, ハンブルク。

ベートーヴェンの生まれ故郷, ボン。当時は西ドイツの首都だった。

マルクスの生まれ故郷, トリーア。

ベルリンに壁があった時代 〜 西ベルリン編(西ベルリンは正確に, 公式的に言うと, 当時は西ドイツでなくアメリカ合州国・イギリス・フランスの占領地)

ベルリンに壁があった時代 〜 東ドイツ・東ベルリン編, 超豪華BGM付き(憂歌団, Simon & Garfunkel, David Bowie, Roger Waters & more, Scorpions, Pink Floyd)♫

ケルンでのしょぼい写真の前に東ベルリン, ちょっと付け足し

前章にどかどか貼り付けたリンクの最後の 2つが 38年前の「ベルリンの壁」があった時代のベルリンだけど(西ベルリンと東ベルリン)、1983年6月1日の夜行列車でベルリンを発って, 翌6月2日の朝にケルンに着き、ケルンでは泊まらずに同日夜に再び夜行列車を利用してフランス・パリに向かった(ドイツ, 西ドイツはその後も戻ってまた旅してる)。

で、当時の旅日記の中の一コマ。東ベルリンで東ドイツ人(妙な言い方だけど要するに東ドイツの国民のドイツ人)が履いてるジーパンは国産のものが多いとか, 東ベルリンの街ではクルマも(ポンコツながら)多かったなぁ, ソ連 U.S.S.R. とは「何かにつけてエライちがい」と書いてるんだけど、

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これ, ちょっと補足しておくと, 

確かに当時の東ベルリンはけっこうファッショナブルで, 当時のモスクワを含めたソ連の街よりもよほど垢抜けてる感じに見えたのだが、それは当時の東ドイツにおいて東ベルリンは「西側」諸国に向けた玄関口みたいなものだったから, という事情もあってのことだったんだろうと思う(それにしてはやはり「玄関口」的な位置づけもあったに違いないソ連のモスクワは東ベルリンと比べて野暮な感じがしたと思うけれど, その違いの背景まで探るとなると, ベルリンという都市の歴史なども踏まえる必要が出てくるかと)。

東西冷戦の時代に東ドイツの領土の中央部辺りに位置しながら, 当時まだアメリカ合州国・イギリス・フランスが占領していた「陸の孤島」西ベルリン(居住してたのは殆どが西ドイツ国籍のドイツ人)経由で欧米諸国あるいは日本を含むいわゆる「西側」諸国からの旅行者などが入って来る東ベルリンは、東ドイツにとって格好の宣伝もしくは政治宣伝・プロパガンダができる(あるいは「しなければならない」)場所だったのだろう。当時の東ベルリンの印象は, その辺を踏まえて, つまり「その辺」を差し引いて捉えておいた方がいいのだろうと思う。要するに, おそらくは他の東ドイツの街は(筆者は行ってないが, もしも行ってみたなら), 東ベルリンとは見映えが違っていたのかもしれない。

ケルンはこれだけ, ケルンの人, ほんと申し訳ない!

ケルン大聖堂があるケルン,

そのケルンには, トリーアからベルリンに移動する際にも立ち寄っていて(1983年5月30日), 

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上に貼り付けた当時の旅日記, 冒頭 2行だけの「申し訳」(笑)程度の言及ながら,

ケルン の街(駅付近)をブラブラ。
大聖堂 はなっかなかのもの。

なんて書いてる。で、1983年5月31日に西ベルリンを見聞, 6月1日に東ベルリンを見聞した後(共に詳しくは前々章に貼った note リンクの最後の方)、ベルリンを 6月1日の夜行列車で発って, 翌6月2日の朝にケルンに着いた(ケルンでは泊まらずに同日夜に再び夜行列車にてフランス・パリへ, 因みにドイツ, 西ドイツはその後も戻ってまた旅してる)。

撮った写真は正真正銘, 以下の 2枚だけ。でも撮った写真が 1枚もないハンブルクよりはマシか(笑)。

あ、また note リンク磔, いや磔はあのキリストもやられた磔刑, 上のはリンク貼り付け。あ、下のも貼り付け, つまり, 下のはキリストの磔(はりつけ!)の(リンクの)貼り付け。

それでは、

2枚だけのしょぼい写真で申し訳ないけれど, ケルンの大聖堂, 

モノクローム

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それでは, もう 1枚,

コダクローム

あ、この巫山戯たワザとらしい間違い, 昨日の東ベルリン note 内でもやってた, 二番煎じのワザ。

でも確かにこの時, つまり 1983-84年・ユーラシア大陸「ほぼ」一周一人旅での筆者のフィルムは コダクローム だったのだ。 

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あ、写真, こっちの方がサイズ小さかったんだ。いま改めて認識。

ケルン大聖堂, 実際, 素晴らしい建築物だったんだけど, 写真がショボめのたったの 2枚で申し訳ないので、「大聖堂」つながりで, 

残念なことに一昨年, 2019年4月15日に大規模火災が発生して尖塔などを焼失してしまい現在は再建途上にある、フランス・パリのシテ島のノートルダム大聖堂

考えてみたら, シテ島のノートルダム大聖堂だって, 撮った写真の枚数で言えばこの 1枚だけ(ここは後の 1988年3月の新婚旅行の際にまた来て撮ってるけど!)。

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上の写真の右下に写ってるのは当時の筆者のフランス人のガールフレンド。モンパルナスを歩いていたら声をかけてきて, "Come with me now" って言われてから付き合うようになった ♫

ごめん, 上に書いたことは冗談。

其処彼処でオヤジギャグのジョーク, 親父冗談を言うのは筆者の悪い癖, つまり Bad Habit ♫

ジョークだらけかよ。そうなんだ, 今ちょっとの間, 俺はただジョーク飛ばしてただけさ, 我慢してくれ, I Was Only Joking Patience ♫

とにかく。

フィドルのお姉さんとだって I Was Only Joking ♫

冗談だらけになってしまった(笑)。

ケルンの「大聖堂」つながりで, キリスト教中心に「宗教」の話題でも

以下リンク先の note マガジンの中は, 文字どおり「宗教」そのものを中心に扱ったものも少なくないけれど, 少し触れた程度のものや核の部分は非「宗教」だけど周辺部分で「宗教」絡みになってるようなものも多数含まれている(その意味で, パレスチナ/イスラエル問題をテーマにした note 投稿もわりと入れてあるけれども, パレスチナ/イスラエル問題の核心は「宗教」ではない, あれは「宗教」が絡みつつも, 「宗教」とは別次元の, 植民地主義や人種差別・帝国主義などが絡んでそれらが複合的な要素となってその解決を阻んでいる問題, 念の為!)。

さてさて, いろいろ書くなり, 過去の「宗教」関連 note リンクを個別に「磔」, ちがった, 「貼り付け」するなりしようかとも思ったんだけど、もうキリがないから, それはやめる。

前章の最後の方でジョークばかり飛ばしてたし, やっぱ, この章も, ここから先はこんな感じにして今日の note 投稿を終えようと考え直した。ここから先, 「宗教」というより ♫ 

と, ジョーク。

そもそも今日のこの note 投稿, 過去の note 投稿リンクをいっぱい「貼り付け」てて, 「貼り付け」, 「はりつけ」, 「磔」, それって磔刑? .. なわけないか。

「貼り付け」じゃない方の「はりつけ」, つまり「磔」, 要するに「磔刑」は例えばこれ。

とくれば, 

Monty Python's Life of Brian, 1979年公開の Monty Python のコメディ映画の傑作, ひたすら笑える大傑作。筆者は DVD 持ってるので、いつでも、何度でも、繰り返し(同じ言葉の繰り返し!!!)、楽しめる。

Always Look on the Bright Side of Life 〜 from Life of Brian, by Monty Python 

Cheer up, Brian. You know what they say.

Some things in life are bad
They can really make you mad
Other things just make you swear and curse
When you're chewing on life's gristle
Don't grumble, give a whistle
And this'll help things turn out for the best

And always look on the bright side of life
Always look on the light side of life
If life seems jolly rotten
There's something you've forgotten
And that's to laugh and smile and dance and sing
When you're feeling in the dumps
Don't be silly chumps
Just purse your lips and whistle, that's the thing

And always look on the bright side of life
Come on!
Always look on the right side of life
For life is quite absurd
And death's the final word
You must always face the curtain with a bow
Forget about your sin
Give the audience a grin
Enjoy it, it's your last chance anyhow
So, always look on the bright side of death
A-just before you draw your terminal breath
Life's a piece of shit
When you look at it
Life's a laugh and death's a joke, it's true
You'll see it's all a show
Keep 'em laughing as you go
Just remember that the last laugh is on you

And always look on the bright side of life
Always look on the right side of life
C'mon Brian, cheer up!
Always look on the bright side of life
Always look on the bright side of life
Worse things happen at sea, you know
Always look on the bright side of life
I mean, what have you got to lose
You know, you come from nothing, you're going back to nothing
What have you lost? Nothing!
Always look on the right side of life...
Nothing will come from nothing, you know what they say?
Cheer up you old bugger, c'mon give us a grin!
There you are, see, it's the end of the film
Incidentally, this record is available in the foyer
Some of us have to got live as well, you know
Who do you think pays for all this rubbish
They're not gonna make their money back, you know
I told them, I said to them, Bernie, I said they'll never make their money back

Always look on the bright side of life ♫

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